10.彼女の覚悟
「久しぶりだね、お父さん」
「……ああ。変わりないようで安心した」
「これでも変わったよ? 身長も結構伸びたし」
「……ふ。そうだな。大きくなった」
三年ぶりに再会した娘の姿に、シキさんは父親らしい、優しい笑顔を浮かべる。
それをくすぐったそうに見つめ、ナギちゃんは口元を尖らせていた。
場所はトウスイ家、シキさんの部屋。
あの襲撃があってから、僕たちはスイジン家の二人と別れ、ナギちゃんとともにここへやって来たのだった。
道中、そう多くのことは語らなかったものの、ナギちゃんはこう口にしていた。
――覚悟を決めたの。だから、帰ってきたんだよ。
彼女が決めた覚悟とは、果たしてどのようなものなのか。
……実のところ、薄っすら想像はついてしまうのだが。
「三年。お父さんにとってはどうだったか分からないけど、ボクにとっては長い時間だった。色んなことがあったよ」
「私にとっても、長かったさ」
「……そっか」
部屋の前には、コテツさんとヒュウガさんも控えていた。コテツさんは静かに待機していたが、ヒュウガさんはちらちらとこちらの様子を見てきたので、若干迷惑だったりした。せっかくの親子対談なので台無しにしちゃだめです。
「お父さんは、ボクの出自を知ってたね。その辺りも……色々と」
「……会ったのか?」
「事情があってね。あっちから接触してきたんだけども」
「そうなのか。……問題は」
「そりゃあ問題だらけだろうねえ。ボクは気にしちゃいないけどさ」
「……お前が構わないなら、私も何も言うまい」
「ありがと。お父さんには迷惑かけるつもり、ないから」
「そんなことは、気にしなくていいのだよ」
二人にしか分からないやりとりが続く。……ナギちゃんは捨て子だと聞いていたが、生みの親に関係した何らかの問題もある、というところか。
この子は、とんでもなく複雑な事情を抱えて生きているようだ。それは、性格も捻くれて当然だろう。
「しかし、彼らの前で話しても良かったのか?」
「これだけじゃ分かんないでしょ。それに……この二人には、いつかバレちゃうしね」
「……ふむ?」
シキさんと同じく、僕とセリアもナギちゃんの言葉には疑問符が出るばかりだった。……いつかバレるとは、どういうことだろう。
もしかして……僕たちが出会ってきた人、或いはこれから出会う人の中に、関係者がいるというのだろうか。
ナギちゃんに疑問をぶつけてみたかったが、彼女は答えてくれなさそうだ。その真意が分かる日はいつになることやら。
「……コホン。それで、だが」
シキさんは居住まいを正し、ナギちゃんをじっと見つめる。
「ナギ。……何故、魔皇が復活した今ここへ戻ってきたのだ」
静かではあるが、冗談を許さない真剣さがあった。
三年前、シキさんはナギちゃんが生贄とならないよう、リューズから旅立たせた。
それなのに、まさに生贄が必要とされている今、彼女は戻ってきた。
シキさんとしては、望ましいことではないはずだ。
三年ぶりの再会が、どんなに喜ばしいものだったとしても。
ナギちゃんも、軽薄な振舞いをやめてシキさんを見つめ返す。
そして、答えた。
「覚悟を決めたんだ」
「覚悟?」
「そう。三年前、お父さんの気持ちを汲んでここから逃げ出したことに、ずっと迷いを感じていたボクだけど……逃げたままじゃ気に入らないんだ。だからね。戦う覚悟をした」
リューズを離れ、遠い異国で悩み続けていたナギちゃん。そんな彼女が出した結論は、戦うこと。
「お父さん。ボクが生贄になる」
一切の躊躇いなく。
彼女はハッキリとした声で、そう宣言した。
「ナギ様、何言ってるんすか!」
「こら、ヒュウガ」
ナギちゃんの宣言に居ても立ってもいられなくなったヒュウガさんが、部屋の中へ入ってくる。その服をコテツさんが引っ張って制止しようとしていた。
「あ、ヒュウガにコテツ。二人も久しぶりだね」
「ナギ様が生贄になるなんて、そんな必要ないっすよ!」
ヒュウガさんは必死になって訴えかける。コテツさんも服を掴んではいるものの、彼の発言まで止めるつもりはなさそうだった。口には出さないが、コテツさんだって同じ気持ちなのだ。
「ナギ。それはどういうことだね」
「ボクも、魔皇アルフにこの身を差し出そうって言ってるワケじゃあないよ? つまり、これは一つの作戦なんだ。どうせ現状、キリカちゃんが生贄候補として選ばれてるんでしょ。彼女は戦えないけど、ボクはある程度まともに戦える力を持ってる」
「ナギ様が仰るのは、つまり」
「そうだよ、コテツ。キリカちゃんに代わりボクが生贄として魔皇アルフの元へ行く。そこで、油断したヤツに一撃でも食らわせることができたとしたら、勝率はグッと上がるじゃない。生贄の生存率だって、ね」
キリカさんでは無抵抗に殺されるしかないが、自分ならば魔皇に奇襲をかけることができる。ナギちゃんの作戦はそういうものだった。
確かに、キリカさんが生贄として魔皇の元へ行ってしまうよりも、ずっと良い道ではある。あるのだが……。
「やはりお前は、優し過ぎる子だ」
「……そんなことないよ」
「作戦と言いながら、お前はとにかくキリカちゃんを生贄から外したいのだろう」
「違うってば!」
ナギちゃんはムキになって否定する。しかしそれは、かえってシキさんの指摘が正しいことを証明するようなものだった。
彼女は最初から、誰かに役目を押し付けることを拒絶していた。
誰かが傷つくくらいなら、自分が引き受ける。それが彼女の本質なのだろう。
「言っとくけど、ボクは三年間努力して、強くなったんだからね。たとえ相手が魔皇であっても、そう易々と殺されたりなんてするもんか。ボクは絶対に死なない。奴の腹に収まるんじゃなく、奴の腹を撃ち抜いてやるさ」
「……なるほど。決意は固いようだな」
「もっちろん。だから帰ってきたんだよ」
強い口調でそう言って、ナギちゃんは握り拳を突き出す。その仕草に、シキさんはやがて諦めたようにふっと微笑した。
「それを作戦とするなら、私も効果的だと考える。だが、一番の問題は魔皇ではないぞ」
「分かってる。スイジン家だよね」
「あちらは主導権を取り戻すため、強引に生贄を認めさせ、キリカちゃんをその犠牲に選んだ。お前がしようとしているのは、その冷酷な計画をぶち壊しにすることに相違ないのだからな」
「怒るだろうね、シュウ=スイジンは」
リューズで一番の地位を奪還するために、自らの娘を生贄にするという恐るべき計画を練ったシュウさん。それに待ったをかけるのだから、簡単に事が運ぶというのは絶対にあり得ないだろう。
ここにきてナギちゃんが生贄志願をしたところで、全く聞き入れてくれないどころかさっさとキリカさんを魔皇の元へ連れて行ってしまう可能性だって考えられた。
「まあ、説得なんて無意味だし、どうせお父さんもキリカちゃんが生贄に差し出される前に、トウマとセリアに魔皇を倒してもらおうって風に考えてたんでしょ? なら、やることは大きく変わんないよ」
「魔皇討伐を決行するとき、お前が生贄を装う。それだけだな」
「そう。あと、保険としてはキリカちゃんが無理やり生贄にされそうなとき、入れ替わるとかもできるしね」
「万が一にも、キリカちゃんが犠牲になるのは防げる、か……うむ、異論はない」
後から何を言われるかは分からないが、説得が無駄だとは僕も思うし、勝手にやってしまうのが一番よさそうだ。
それでキリカさんは救える。
後は僕たちの戦いになる。
「お前が覚悟を決めてきたのであれば……私はその意を汲もう。ただし、危険と感じたらなり振り構わず逃げろ。お前は自分が傷つくだけならと思っているのだろうが、忘れてはならない。お前が傷つくことで悲しむ者もまたいるのだと」
「……うん。そうだね、お父さん」
互いに見つめ合い、その絆を確かめ合う。
たとえ実の親子でなくとも……同じだけの愛や信頼が、二人の間には確かに存在しているように思えた。
*
シキさんとの話を終えて。
退室した僕たちは、コテツさんとヒュウガさんを交えて五人、改めて再会を喜んだ。
「俺はナギ様が帰ってくるのを信じてたっすよ」
「その割には、ボクの提案に滅茶苦茶異議を唱えてたけど?」
「それとこれとは話が別っすよ。まさか生贄になるだなんて……」
「正確に言えば、生贄役を演じる、ということだな」
「そうそう、コテツの言う通り」
シキさんと父と呼び、この二人を呼び捨てにして気さくに話すのを見ていると、やはり彼女はトウスイ家の娘なのだなあと再認識させられる。
「僕たちも、再会できて嬉しいよ」
「ホント? またヤな奴が出てきたって思ってない?」
「大丈夫大丈夫、そんなことないよ」
「そっか。まあ、素直に受け取っておくかな」
相変わらずそっちは素直じゃないなあ、と心の中だけで呟く。
「……それにしても、ナギちゃんがこんな大きな問題で悩んでいたなんて、セントグランで会ったときには想像もしてなかったわ」
「家のゴタゴタなんて、楽しい話題じゃないし。あのときのメインはグランウェールの魔皇討伐だったんだから言うはずないよ」
「やっぱり、気を遣ってたのね」
「そうじゃないってばー」
褒めたり優しくしたりすればペースを崩せると分かったようで、セリアはわざとらしくナギちゃんを褒めていた。案の定、ナギちゃんはドギマギして言葉に詰まっている。なんとなく小動物を思わせる可愛さだった。
「……とにかくさ。本来はトウスイ家が生贄を出す番だったんだし、これであるべき形に戻ったワケでしょ。誰かがムダに傷つく心配もなくなったし、後は勇者サマと従士サマのお手並み拝見だね」
「はは、プレッシャーかけてくるね。ナギちゃんからしたら頼りないかもしれないけれど、全力で戦わせてもらうよ。負けられない」
「……ん。しっかりね」
それは、ナギちゃんにとって精一杯の励ましだったのだろう。
ナギちゃんは魔皇討伐までの間、トウスイ家に滞在することになった。彼女の部屋は、シキさんが家来に命じていつでも使えるよう定期的に清掃されていたらしい。女の子の部屋を勝手に触るなんて、と文句を言いつつ、内心はとても嬉しそうだった。
この後も、失われた親子の時間を取り戻すために、沢山の話をするのだろう。僕たちはそんな想像に胸が温かくなるのを感じながら、宿への帰路に着くのだった。
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