6.窓辺に立つ青年


 露天風呂でのドタバタ劇の後。

 僕たちはお互いに中々火照りの冷めない体を、夜風に当たりながら何とか鎮めて、いつのまにやら敷いてくれていた布団に潜り、早々に眠ることにした。

 こういう布団で寝るのは久々で、セリアに至っては初めてのようだった。とは言え、感触の違いに戸惑いつつも、すぐに彼女は寝息を立て始めたのだが。

 僕はといえば、露天風呂での一件が頭から離れてくれなくて、目を閉じても一向に眠れそうな気配がなかった。なんてこった。


「……はあ」


 寝返りを打つと、すぐそばにセリアの寝顔がある。いつもなら距離が開いているのだけど、敷布団だと結構近いな。

 セリアはこんな風にぐっすりだというのに、僕ときたら……。


「……ん……?」


 そのとき、他に誰もいる筈のない部屋に、微かな気配を感じた。最初は気のせいかと思ったが、先ほどまでの静けさとは微妙な違いがある。

 部屋の中、というわけではないようだ。どうやら気配は障子の向こう――つまり、ガラス戸の外からする。

 横になっている状態からでは、こちらが圧倒的に不利だったが、それでもなるべく音を殺しつつ起き上がる。そうして戸の近くまで歩いていき、耳をそばだてた。

 外には確実に人がいる。ただ、こちらに危害を加えるつもりならばもう襲ってきていてもおかしくはないし、明確な敵意は感じられない。どちらかと言えば、ここから先どうしようかと迷っているのではないだろうか。

 ここは大胆に出ようと、僕は一気に障子を開いた。サアッという音とともに外の光景が目に飛び込んでくる。

 そこには……一人の青年の姿があった。


「……だ、誰ですか?」

「あっ……」


 青年はどうすれば良いか分からなくなり、その場で動けなくなってしまったようだ。足がぐらぐらと揺れている。

 僕たちを暗殺しにきた――という風には全然見えなかった。


「えっと……僕たちと話したいことがあったり?」

「……勇者殿、ですよね」

「ええ、まあ。そんなところにいても仕方ないし、とりあえず上がってきてください」

「あの。……いいんですか?」


 普通は怪しむものじゃないのか、という意味だろう。もちろん怪しんではいるし、警戒は解いていない。しかし、彼の表情を見ても無碍に追い返せるほど、心無い人間ではなかった。

 彼は、酷く不安げな顔をしていたのだ。

 入口に回ってもらい、扉を開けて青年を中へ招き入れる。そこでちょっと待ってもらい、部屋の電気を点けた。


「……んん……? 朝……?」

「ごめん、朝じゃないんだけど」


 目を擦りながら、セリアがゆっくり起き上がる。僕は彼女にさらっと事情を説明すると、入口に戻って青年を連れてきた。


「うーん、どう考えても不審者……」

「そう思われて当然ですね……申し訳ない」


 青年は軽く頭を下げ、僕たち二人を見比べる。

 彼の年齢は僕たちと同じか少し上くらいのようだ。滑らかな黒髪に、整った容姿。見るからに美男子ではあるのだが、そんな青年が何故窓から侵入しようとしていたのだろうか。


「私は……コウ=スイジンと申します」

「え? スイジンって」

「はい。リューズを統治する領家の一つです」


 あまりにあっさりとそう言われたので、かえって真実味があった。コウ=スイジン。では、この青年がシュウさんの息子ということか。

 息子。つまりは、生贄の候補者……?


「実は、先ほど勇者殿が仰ってくれたように、お話ししたいことがあったのですが、踏ん切りがつかず。あちらから中の様子をとりあえず窺っていたところ、気付かれてしまいました」

「深夜ですからね……怪しい気配がしたら警戒しちゃいますよ」

「申し訳ない……ようやく家から抜け出せたところだったんです。ただ、やはりお二人とも寝ているだろうかと」

「諦め半分で、窓のところから僕たちが起きてるか寝てるかを確認しようとしてたって感じなんですね……」


 彼――コウさんの話す態度からして、嘘のようには思えない。外見には父親であるシュウさんの面影があるとはいえ、性格はかなり違っているように感じられた。

 

「あ、すいません。自己紹介をすっかり忘れてました」

「いえ、父から聞いてますから大丈夫です。トウマ=アサギさんとセリア=ウェンディさんですよね?」

「げえ、あの人家で私たちのこと話してたんだ」


 セリアが露骨に嫌な顔をする。あまり良いことを言われているようには思えなかったのだろう。実際、コウさんも曖昧な笑みを浮かべているし、セリアの想像は外れてはいまい。


「私がここに来た理由は、その辺りの事情もあります。何となく、予想はできていると思いますが」

「生贄のこと……ですか」

「はい。トウマさんとセリアさんは、シキ様からある程度説明を受けてるんですね」


 僕とセリアは同時に頷いた。


「リューズで繰り返される生贄の悲劇。今回の魔王復活では、我がスイジン家から生贄を出すと父上は決めました。他の誰にも同意なく、逆らうことも許さず、長として命じたのです。生贄になれ、と」

「独裁者……」

「トウマさんの言う通り、父上は独裁者のようなものです。そして、彼は自らの子を毒牙にかけようとしている……」


 そこで、コウさんはぐっと拳を握りしめた。やり場のない怒りを発散するように。


「魔皇アルフは領家の子を生贄として求める。……コウさんが、その生贄になってしまったんですか」

「違います。それならば、まだマシだった」


 コウさんはぶんぶんと首を振る。


「生贄に選ばれたのは、私の妹――キリカなんです」

「妹さんが……?」


 スイジン家には、コウさんの他にキリカさんという娘もいるようだ。

 そのキリカさんが、生贄として差し出されることになった、と……。


「スイジン家の子は私とキリカの二人で、物心ついたときから私たちは自他共に認める仲良し兄妹でした。成長した今でも、それは変わりません。しかし……父上は、残酷な決断をした。スイジン家に力を取り戻すためなのだと、跡取りとなる息子の僕を残し、キリカを生贄に選んだのです。キリカは、リューズのために生贄になるんじゃない……スイジン家のための生贄になってしまう!」


 最後は訴えかけるように、コウさんは声を荒げた。

 悲痛なる叫び。愛しき妹の命が、同じ家族である父親の意思で奪われるという残酷。

 彼の抱く絶望は、計り知れない。


「私は……父上に何度も訴えた。生贄なんて無意味だ、それでも必要ならば自分を生贄にしてくれ、と。しかしその言葉が聞き入れられることはなかった。父上にとっては、家族より家そのものの方がずっと重要なものだから……」

「あのオヤジ……やっぱり酷い奴だわ」


 家族より家そのものが大事。コウさんのその言葉が、ズキリと胸に突き刺さった。


「本来、勇者殿が魔皇を討伐してくれるのなら生贄は必要ない。そしてトウスイ家のおかげでこうして今、勇者殿はリューズに来てくれている。父上のやろうとしていることは、明らかに政治的な選択なのです。そのために、家族が犠牲になるなんて私は許せない」

「だから……僕たちのところに」

「はい。スイジン家の問題だというのに、こんなお願いをするのはおこがましいかもしれません。ですが……どうか生贄が差し出されるよりも前に、魔皇アルフを討伐していただきたいんです。この通り」


 そう言うとコウさんは、両手を畳について深く頭を下げた。……よもや、この世界に来て土下座でお願いをされるとは。それも、この国で最も偉い人の息子に、だ。戸惑いは大きかったが、答えは当然のごとく一つしかない。


「僕たちは勇者と従士ですから、魔皇を討伐するのが役目です。シキさんにも頼まれましたしね。キリカさん――コウさんの妹さんが生贄にならないよう、全力で魔皇討伐に挑ませてもらいます」

「それが一番いい道なんだから、やり遂げないとね」


 僕の言葉に、セリアがそう相槌を打った。僕たちの返答を聞いて、コウさんは救われたような表情を浮かべてくれる。


「ありがとうございます……! 優しい勇者殿で、本当に良かった」

「まあ、勇者はいつでも善き者なんでしょ」


 当たり前のように、セリアはそう言う。確かにまあ、勇者が悪事に手を染めたような記録はないけれど。

 魂がそうあるようにできている……か。


「父上の監視もありますし、あまり表立ったお力添えはできないかもしれません。ですが、可能な限りお役には立ちたいと思っています。魔皇討伐の際には、必ず。このようなワガママを聞いてくださって、本当に感謝しかありません」

「シキさんに、この国の複雑な事情は聞いてます。身動きが取りにくいことは理解できるので、仕方ないですよ。魔皇を倒すのは、勇者の役目。それなら、願いや期待はむしろ僕たちの力です」

「おー、格好いいこと言うようになったわね、トウマ」

「ここで茶化さないでよ、セリアってば」


 コウさんを励ますつもりで言ったのだ、多少気障ったらしいことくらいは分かってます。


「はは、お二人のおかげで重石がとれたような気分です。……リューズの悪習は、何かの、誰かのきっかけで変えていかなければならない。願わくばそれが、今であることを望んでいます」

「ええ。変えるために、頑張りましょう」

「そうね。領家の息子が夜中に忍び込んで、頭を下げたりしなくて済むように」

「こら」


 そこで僕たちは三人、緊張の糸が切れたように笑いあった。

 魔皇アルフが、如何ほどの強さなのかはまだ分からない。

 けれど、連綿と続いてきた負の連鎖を断ち切るためにも必ず、生贄という悲しき犠牲が差し出されるより前に討伐しなくてはと、改めて胸に刻んだ夜の一幕だった。

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