5.その温かさに癒されながら
コテツさんとヒュウガさんに連れられ、僕たちは町の端にある宿屋までやって来た。周辺に他の建物はなく、静かな場所ながらも宿屋自体はとても大きな造りだったので、さぞかしくつろげる宿なのだろうと期待が高まった。
手配が住んでいるので、宿の女将はすぐに鍵を手渡してくれた。受付のある本館から、渡り廊下で各部屋に繋がっているような構造なので、他の宿泊客のことを気にせずのんびり過ごせるのが良いポイントだ。
「リューズに滞在中は、ここを使ってもらうことになる」
鍵を開け、入った部屋はとても広く、宿だというのにキッチンまで備え付けられており、殆ど一軒家と変わりなかった。僕とセリアは二人して感動する。
「シキ様も太っ腹っすよね。この宿に長期滞在させるなんて」
「あはは……そんな高級宿なんですね。すいません」
「ヒュウガの言うことは気にしなくていいぞ、トウマ殿」
ヒュウガさんも、シキさんの下で働いているのならお金は持っていそうだけれど。用心棒の役割もあるのなら、ここへ泊まる時間がないのかもしれないな。
「……それにしても」
籐椅子に腰を下ろしながら、僕は呟く。
「あれがシュウ=スイジンさん……か」
「うむ、スイジン家の現当主だ」
「シキさんの話を聞いたときも悪そうだなーって思ってたけど、本当に悪そうね」
セリアは先ほどのシュウさんの一言が許せないようだ。
早々に絶えてしまえば良い。あれは、トウスイ家への強い憎しみを感じる一言だった。
「劣等感があるんすよ。もう何十年も、主導権がトウスイ家にあるわけっすからね。何としてでもスイジン家を一番偉い家にしたいって気持ちが、あんな風に性格を歪ませてるんすね」
「そういうところは鋭いですね、ヒュウガさん。僕もそうだろうなとは思いました」
「そういうところはってのは余計っすよ、トウマさん」
おっと、自然とヒュウガさんがボケキャラという認識になってしまっていた。まあ、満更でもなさそうだけど。
「怖い人でしたけど……シキさんもシュウさんも、まるで隙がないように思いました。やっぱり、お二人とも戦いの心得が?」
「当主たるもの、文武両道でなくてはならない。トウスイ様もシュウ様も、熟練の剣術士だ」
「なるほど……」
こういう国なので、武器として使うのはきっと刀なんだろうな、と勝手に推測する。
「あのお二人を以てしても、魔皇という存在は大き過ぎるのだ。そもそも、ただの人間が魔皇を倒すのは奇跡にも近いと、シキ様は仰っていたが」
「奇跡に近い、ですか」
「どうも過去にグレン=ファルザー殿から伝えられたようだ。善き力という恩恵があるからこそ、勇者は魔皇を倒せる仕組みになっているとか」
「仕組み……」
こうして旅の道中に度々耳にすることになる、勇者グレンの言葉。彼が遺したそれらの言葉には、まるで勇者というものを呪いのように形容している感じがしてしまう。
けれど……確かに。客観的には世界を救うヒーローだとしても、当の勇者にしてみれば、生きて帰る者がいない事実は、呪いも同然ではある。
呪われた機構。
残酷な仕組み、か。
「勇者に頼るしかないというのは、リューズだけでなく他国にとっても、辛いことだろうな」
「まあ……沢山感謝もされましたけど、全員がそうだったわけじゃないですね」
「偉い人とかは、メンツもあるから複雑そうだったもんねー」
「そんなもんっすよね。リューズも、シキ様はトウマさんたちを信頼してるけど、シュウ様は完全に邪魔者と思ってるっすから」
シュウさんと対峙したときの、あの冷ややかな視線。
それはヒュウガさんの言う通り、邪魔者だと認識している目のようだった。
「魔皇や魔王がもう少し弱かったら、世界ももう少し平和だったのかしらね」
「さてな……それならそれで、人同士の争いに比重が置かれてしまいそうだが」
「むー、難しいわ」
誰もが納得できる世界など、そう簡単に思い浮かぶものではない。
悲しいことではあるけれど、今考えたところでどうにもならないものだ。
「……それでは、我々はこの辺りで失礼するとしよう。今後については、また明日改めて話をさせてもらおう」
「じゃあ、ごゆっくりー」
「あ、ありがとうございます。また明日」
「ゆっくりさせてもらいますー」
暇を告げると、すぐにコテツさんとヒュウガさんは出ていった。広い部屋の中、僕とセリアの二人だけになる。鳥のさえずりや梢の揺れる音が聞こえてきて、風流という単語が自然に浮かんできた。
「いいところねー……今までのホテルとかとは、違った趣があるわ」
「僕がいた世界では、わびさびなんて言葉もあったけれど。それに近いのかな」
「ワビサビ?」
「まあ……簡単に言えば、質素なものを美しいと思う意識、みたいな?」
「豪華なだけが美しさじゃないってことか」
「そんな感じ」
こんな広い宿だし、値段も高いと言っていたし、質素なわけではないだろうが。宿のコンセプトとしては、やはりわびさびという概念が近いのだろう。
側面の障子を開ければガラス戸があり、その先には日本庭園を思わせる中庭があった。敷き詰められた砂利、底が苔で覆われた池、所々に意味ありげに置かれた石。本当に、日本の宿をここに持ってきたような感覚にもなる。
掛け時計は午後四時過ぎを示していた。外へ出るにはもう中途半端だ。今日のところは、この宿で静かな時間を過ごすとしよう。
「リューズのご飯かー。マギアルで食べたのも美味しかったけど、本場ならもっと美味しいのかしら」
セリアが早々に夕食のことを考えているのが面白くて、僕は図らずも笑ってしまうのだった。
*
宿の食事は期待通り、いや期待以上に素晴らしかった。従業員の女性が部屋まで料理を運んでくれ、机いっぱいに色とりどりの料理が並んだ。新鮮な魚介類から山菜まで、海と山の両方に恵まれたリューズだからこそ提供できる品々だ。
僕はその見た目と味の端々に懐かしさを感じつつ、セリアは単純に美味しさに感動しつつ、数十分かけてきっちり完食した。ボリュームはかなりあったはずだけれど、セリアはもっと食べられそうだと呟いていた。追加注文は流石にしなかったが。
片付けは、特に呼んだわけでもないのに良いタイミングで従業員さんが来てくれて、テキパキと全ての皿を持って行ってくれる。流石は高級旅館、質の良いサービスだ。
帰り際、従業員さんはお風呂について簡単に説明してくれた。
「この部屋にも簡単な入浴設備はありますが、北側に露天風呂もありますので、是非そちらをご利用ください」
「露天風呂?」
「外にあるお風呂だね。シャワーとかじゃなくて、浸かるお風呂」
「何故に外……?」
「うーん、景色を眺めながら入るお風呂も良いものなんだよ」
文化が違うと、わざわざ外で入浴する理由が分からないという意見も当然だな。
しかし、入浴事情に関してもリューズは日本風のようだ。
しばらくの間セリアは首を傾げていたが、せっかくだからということで露天風呂に入ることを決めたようだ。今はお腹がいっぱいらしく、少し休憩したら入ると告げたので、僕が一足先に露天風呂を堪能することにした。
宿の北、長い渡り廊下を進んだ先に、脱衣所があった。きちんと男性用と女性用に分かれているので安心だ。そもそも、高級過ぎるのかシキさんが取り計らってくれたのかは分からないが、他に客がいる様子もなかったし、僕一人で露天風呂を独占できそうだった。
人見知りなので、元の世界ではこういうところもあまり利用してこなかったが、貸し切りであれば話は別だ。たっぷり癒されるとしよう。
タオル一枚になって脱衣所を抜けると、そこは想像と寸分違わぬ光景だった。手前にはシャワーが備え付けられており、そこで体を洗ってから奥の露天風呂に浸かればいいわけだ。
細い竹がぐるりと囲んで壁になっており、高さも丁度良いため、風呂の中から山や月がちゃんと見える。幸運にも今日は満月のようで、夜空に浮かぶ真ん丸な月がとても幻想的で美しかった。
「はあー……」
さっと体を洗い流して湯に浸かる。少し熱めだったが、案外すぐに慣れるものだ。端の方には岩の間から湯が流れてきており、このお湯が自然に湧き出ているものであることが分かった。天然温泉だ。
「……静かだなあ」
静寂の夜。月明かりの下で、湯に体を沈めて疲れを癒す。とても贅沢な時間だ、と思う。
そろそろ隣には、セリアが来る頃だろうか。
「へー……こんな風になってるんだー……」
考えた瞬間に、セリアの声が聞こえてきた。まさにピッタリのタイミングだったので、ドキリとする。
まあ、この竹の壁で仕切られているから関係はないのだけど……。
「――ん?」
今、入口の方から声がしたような。
「って、きゃああーッ!」
悲鳴が聞こえ、まともに見てしまった僕は思わず噴き出した。
脱衣所のところに、タオル姿のセリアが立っていたのだ。
……全然意識していなかったけれど、ここって混浴だったのか。
振り返らなかったから見ていなかったが、確かに脱衣所のところには扉が二つあった。
「ちょっと! 何でいるのよ!」
「ご、ゴメンナサイ」
不幸な事故だとは思うのだが、セリアのタオル姿を見てしまった手前、反射的に謝罪の言葉が出てきてしまう。
……ちゃんとタオルを巻いていてくれたのがせめてもの救いだな。
「入口だけ見たら、普通に男女別だと思ったんだけど」
「私もよ……あ、こっち見ないで」
「う、うん」
もう少しよく確認しておくべきだったなと反省しつつ、僕はセリアの姿が目に入らないよう、体の向きを変える。
「交代で入ろうか」
「いや、そこまではいいんだけど……」
「……いいんだ」
てっきり賛成するものと思っていたので、驚いて呟いてしまう。それが耳に入ったセリアは、
「うるさいっ」
と怒りながら僕のところに風呂桶を投げてきた。桶は当たらなかったが、ぴしゃりと飛んだ湯が髪にかかる。
「むー、そっち向いててよ」
「りょうかい」
セリアの頼みに、僕は素直に従った。
シャワーの音が数分間聞こえた後、湯に浸かるぴちょんという音がして、波紋が見える。それから小声で、熱い、と呟くのも聞こえてきた。
「はあ、せっかくの露天風呂初体験だったのに……ショックだわ」
「宿の人も、分かれてないって言ってくれたら良かったのにね……」
「というか、普通に一緒に入るって思われてたんじゃない? それもショックよ……」
「あはは……」
勇者と従士の関係は、過去の歴史もあってそういう風に思われているようなので、セリアの予想は正しそうだった。僕にとってラッキーなのやらアンラッキーなのやら。
「景色を眺めて楽しむってどんな感じなんだろって思ってたのになあ、まさかトウマの背中を見ながらなんて」
「って、セリアはこっち見てるんじゃない」
「……う」
また、お湯が飛んできた。今度は手でかけてきたらしい。
「バカ」
「ご、ごめんごめん」
口では謝りつつも、反応が面白いな、なんて思ってしまう。……本当に、純真というかなんというか。
「いいもんでしょ。温泉も」
「ん。……そうね、ただシャワーを浴びるだけよりずっといいわ。綺麗だし、温まるし」
「でも、泳がないようにね」
「お、泳がないわよっ」
否定はしたものの、妙に慌てた感じだったので、ちょっと意識にはあったのかもしれない。そうなるとやっぱり、コーストフォードの浴室でも泳いでいた可能性はあるな。
「一人だったらもっと楽しめるのにー」
「出ようか?」
「こっち向かれるじゃない」
三度目のお湯かけ。
「私が出るまで熱くてもガマンしてて」
「さらっと酷いこと言ってますよソレ」
「乙女のこんな姿見る方が酷いでしょ」
「……善処します」
割と本気でのぼせてしまいそうな気がするのだけれど、仕方がないので耐えられるところまでは耐えることにする。
「……まさか騙されてリューズへ来ることになるとは思わなかったけど。気持ちの整理が中々つかなかったけど。こうしてお風呂に浸かってると、まあいいかって思えるわね」
「少なくとも今は忘れて、癒されるべきだよね」
「そうねー……」
これから先にも、凶悪な魔皇アルフとの戦いが待っているけれど。だからこそ、今は存分に癒されておきたい。
万全の状態で、アルフと対峙するためにも。
「三つ目の国、三体目の魔皇かあ。長かったような気もするけど、私たちってたった一ヶ月ちょっとでここまで来たのよね」
「うん。実際、もっとかかるものだと思ってたんだけどな」
「順調に、魔皇を倒していけてる」
「だね」
この国の魔皇を倒したら、残るはライン帝国の魔皇だけ。そして四体目を倒したら、いよいよ魔王が待っている。
魔王。誰も見たことのない、魔物どもの王。
勇者と従士が挑み、相打ってきた……。
「……ね、トウマ」
「えっと……?」
声が急に近くなって、僕はびくりと震えてしまう。……後ろから、小さな波紋が通り抜けていった。
「私たち、まだ一ヶ月なんだからね。まだまだ、短すぎるんだから」
「……そうだね」
「たったそれだけの旅で終わりになんて、ならないように」
時折襲ってくる恐怖を。
跳ね除けるように。
僕たちは何度も確かめ合う。
まだまだ続きはあるんだ、と。
「セリア――」
「ギャーッ!」
……まあ、僕たちは僕たちの歩幅で、進んでいくだけだよね。
明るい満月を見上げながら、僕はしみじみと思うのだった。
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