4.しきたりと約束②


 生贄を捧げることで、リューズを守る。

 それが、ここに住まう人たちが下した決断――。


「この結果には、魔皇の提示してきた条件も関係しているのだ。歴史上、アルフは生贄を捧げるまでの期限について、ある程度余裕を持たせていた。だが今回は、期限まであと一週間しか残されていないのだよ」

「一週間以内に何とかできなければ、アルフの襲撃が始まる……」

「その恐怖も、国民に生贄という手段を選ばせた要因だろう」


 実際、人々は百パーセントこれでいいと思って投票したのではないという。一見平穏に見える町も、自分たちが生贄という選択をしたことに対する後ろめたさのようなものがあり、それを取り繕っているのだと。


「国民がそれを選んだ以上、一週間以内には生贄が捧げられてしまう。だから、シキさんにとれる手段はもう、勇者を連れてくるくらいしかなかった……」

「そういうことだ」


 気付けばコテツさんとヒュウガさんも、重苦しい表情になってシキさんの言葉に相槌を打っている。二人にとっても思いは同じなのだ。勇者にこの危機を救ってもらいたい、と。


「……国民が生贄を認めてしまった理由がもう一つある。それもまた、古いしきたりによるものなのだが。生贄が始まった当初から、アルフが求めた生贄には基準があった。奴は……この国で最も地位のある者の子を求めたのだ」

「え? それって……」

「トウスイ家かスイジン家。生贄を捧げるならば、その生贄となるのはどちらかの家の子になる」

「そ、そんな!」


 アルフが凶悪だと言われる所以は、恐らくそこにもあるのだろう。

 奴は、リューズを治める血筋の一人を無慈悲に奪うことで、その優位性も示そうとするような悪魔なのだ。

 もしかするとアルフは、リューズという国の構造すら理解した上で、そのようなルールを作ったのかもしれない。

 他ならぬ国民に、支配者の子を生贄にさせるというルール……。


「国民からすれば、自分たちの子が奪われるわけではないのだから、生贄への抵抗がそれほど強くならない。そんな仕組みの中、自己犠牲を買って出るように生贄を肯定するなら。民の心は一気に動くわけだ」

「スイジン家は民を真に思い、自らの血を犠牲にできる領主なのだと……そういう風に映るわけですね」

「統治のために我が子すら犠牲にできる、ともとれるのだがな」


 シキさんは少なくとも、後者だと考えているようだ。


「生贄については、古くから両家が交代で出し合ってきた。そして順番からすれば、今回はトウスイ家から生贄を捧げることになるのだが……トウスイ家には現状、子がいないのだ」

「子どもが、いない?」

「そうだ。跡取りとなるはずの息子がいたのだがな。不幸にも病弱だったあやつは、三年前に息を引き取った。ゆえにこのまま行けば、トウスイ家の血筋は絶えてしまう状況にある」


 シキさんの表情に変わったところはないけれど、彼の話はおかしい。

 トウスイ家の子どもなら、ちゃんといるはずなのだ。僕たちも彼女には会っている。


「シキさん。僕たち、ナギという子に会ったことがあるんです。ナギ=トウスイという名前の、女の子」

「……ナギに」

「やっぱり、ナギちゃんはシキさんの子どもなんですね? 今、子がいないって言いましたけど、それはどうして……」

「嘘ではないのだよ。ナギは、私の実子ではないからな」

「えっ……」


 実の子どもではない。シキさんの告白は衝撃的だった。

 確かに、髪の色も顔つきも、あまり似てはいないけれど……。


「あの子はいわゆる捨て子でな。事情があり私が面倒を見ることになって、養子としたのだ。そんな子に、リューズのしきたりだからと生贄になってもらうわけにはいかぬだろう。それゆえ私は、あの子を旅立たせたのだ」

「だから……だからナギちゃんは、あの年でギルドに」

「うむ。好きに生きろと、私はあの子を送り出した。トウスイという名も名乗らなくていいとは言ったのだが……そうか、使っているのか」


 そのときほんの少しだけ、シキさんは間違いなく笑みを零した。

 トウスイを名乗っていることが、嬉しかったのだろう。

 ……ナギちゃんには、プライベートなことで悩みがありそうだと思ってはいたけれど。その答えは想像を超えたものだった。

 養子に、生贄。

 彼女は、本当はどこにいたいのだろう。


「そういうわけでな、トウスイ家には生贄となるべき子がいない。よって生贄を捧げることになれば、必ずスイジン家の子が犠牲となるのだ。生贄肯定派のスイジン家にとって、完璧とも言える条件が揃っているのだよ」

「でも、子どもが犠牲になっちゃうんでしょ? スイジン家はそれでいいの?」

「少なくとも、当主であるシュウ=スイジンはそれで良いのだろう。長年座ることの出来なかった統治者の席に着く。恐らくそれだけを、奴は求めているのだ」

「酷い……酷過ぎるわ」


 セリアが表情を歪ませる。僕も同じ思いだ。

 シキさんの話を聞く限りでは……シュウ=スイジンという人物はあまりにも独善的過ぎる。


「生贄になるスイジン家の子は、きっとそんなことを望んでないと僕は思う。その子のことも含めて、可能な限り早く魔皇を倒した方がいいでしょうね」

「無理を言うようで申し訳ないが、期限である一週間以内に魔皇アルフを討ち取るため、是非とも力添えを頼む」

「そんな事情を聞いて、やっぱり止めたなんて絶対言えないです。……生贄なんて悪習、続いちゃいけない。こちらこそ是非、よろしくお願いします」

「全力で頑張ります!」


 僕とセリアは、順にそう言って頭を下げた。初めは厳格なオーラに身を包んでいたシキさんも、このときはもう僕たちに気を許してくれていて、優しい目でこちらを見つめていた。


「やはり、勇者殿を信じて良かった」

「まだ何もしてはいないですよ。そういう台詞は全部終わってからの方が」

「そうかもしれぬがな。……信じていたのは、トウマ殿のことだけではないのだ」

「と、言うのは」

「自分を信じてくれと、かつて一つの約束を交わした者がおるのだよ。名をグレン=ファルザーといった。そう、お主より一つ前の勇者だ」

「……また?」


 最早呆れたようにそう言ったのは、僕ではなくセリアだった。言いたくなるのも無理はない。僕たちはもう何度、その名前を見聞きしたことだろう。

 ジア遺跡に遺された手記。彼や過去の勇者が置いていった沢山のもの。

 シキさんが語る約束というのもまた、毛並みは違うけれどその一つ。

 僕に対する置き土産というよりは、僕へ託した使命という方がしっくりくるか。


「次に魔皇アルフが現れたら、すぐに勇者を頼ればいい。生贄の文化など必要ない、必ず勇者はリューズの力になると保証する。グレン殿は、アルフ討伐後にそれを約束してリューズを去っていった」

「シキさんは、その言葉を信じて二十余年を待ち、再びこうして魔皇が現れたことで、勇者を連れてこようと決めたんですね」

「ああ。そしてグレン殿が保証した通り、トウマ殿はリューズの状況を心から憂い、願いを聞き入れてくれた。先の言葉も自然と出ようというものだ」


 二十年以上の重みがあるその言葉に、僕は胸がじんと熱くなるのを感じた。

 これで失敗なんてできるわけがないな。絶対に、リューズの危機を救わなければ。僕たちが選べる限り最善の道で。


「……さあ、語るべきことも語った。長い対談だったが、これで終いにしよう。最後にもう一度、魔皇討伐を快諾してくれたことに礼を述べる」

「勇者の役割ですから」

「ふ。グレン殿も同じことを言っておったよ。やはり似てしまうものなのだな。確か……魂がそうあるようにできているとも話していたか」

「魂が……?」


 少し気にかかる表現だが、それが彼なりの勇者観だったのだろうか。善き者と称される勇者は、根底から善人なのだと。


「とにかく、トウマ殿とセリア殿の働きには期待している。どうか、このリューズにて痛ましい犠牲が出るよりも前に。魔皇アルフを討伐してくれ」


 シキさんは対談の最後を、そう締めくくったのだった。





 トウスイ家を後にして。

 僕たちは、コテツさんとヒュウガさんの案内で、シキさんの手配してくれた宿屋へ向かうことになった。

 ヒュウガさんの言によると、その宿屋はハレスで一番高級なところらしい。羨ましがられてしまった。


「他の国でも厄介な問題に巻き込まれてはきただろうが、こちらも相当なものだろう」

「ええ……正直、一番ショックを受けました」


 コーストンではヴァレス大公の傲慢なる為政が、グランウェールではクライツ国王の病と後継者、それに暗殺計画が問題としてあった。リューズが抱えているのはそれらに勝るとも劣らない、根深く闇に満ちた問題だと思う。


「しっかし、ナギちゃんのことはびっくりしたわ。リューズの偉い家の子とは聞いてたけど」

「ま、そうっすよね。シキ様もさっき言ってたっすけど、トウスイと名乗る必要もないってナギ様にご忠告してましたから。家の事情なんて進んで話したりはしなかったでしょ」

「凄く悩んでる様子ではありましたけどね。魔王が復活してからずっと、リューズのことを心配してたのかな」

「根は優しい子っすから」


 根は、とわざわざつけるところからして、皮肉っぽいあの喋り方は生来のものらしいな。

 セントグランではあまり関われなかったけれど。次に会うことがあれば、優しく接してあげたいな、などと思ったりした。


「さ、分岐路まで戻ってきたっすね……」


 ヒュウガさんがそう言いかけて立ち止まる。何かあったかと前方を見ると、別の道から一人の男がやってくるところだった。

 別の道。それは、スイジン家へと続く道だ。

 つまり、この男は――。


「ほう、そちらが勇者殿というわけだな」

「……シュウ様」


 コテツさんもヒュウガさんも、渋々といった感じではあるものの頭を下げる。対立する家の長だとしても、リューズで最も地位の高い人物であることには変わりないからだ。

 シュウ=スイジン。リューズを治める二大派閥の一つ、その当主……。


「お初にお目にかかる。シュウ=スイジンと申す者だ。勇者殿にお会いできて光栄だ」

「ど、どうも。トウマ=アサギです」

「セリア=ウェンディです」


 僕たちはぎこちなく頭を下げた。それがどう映ったのかは分からないが、特にシュウさんの表情に変化はない。黒い短髪に少しだけ混じる白。力強い眼差し。年齢は五十前後というところか。それでもなお引き締まった肉体が印象的だ。


「ところで……そちらはトウスイ家へ続く道。ならば、勇者殿はあの家の当主に会っていたということだな」

「ええ……案内を受けまして」


 下手なことは言うまいと、最低限の返事に止める。シュウさんはその様子を見て楽しんでいるようにも感じられた。


「ふん。無駄なことをしよるわ……」


 彼はわざとらしく僕たちに聞こえるよう呟く。


「後はスイジン家に任せて、早々に絶えてしまえば良いと言うのに」


 そのあまりに傲慢な言葉に、僕たちは何も言い返せず、立ち尽くすことしかできなかった。

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