3.しきたりと約束①


「靴は脱がなきゃ駄目なのね……」


 早速コテツさんから指摘を受け、出鼻をくじかれたセリアが溜め息を吐く。


「というかトウマ、教えてよ」

「あはは……僕も自然と脱いでたから」

「むうー」


 日本風の玄関だったので、僕は言われずとも靴を脱いだわけだが、セリアは分からなくて当然だ。悪いことをしたな。

 木造なので、壁面以外は全て木材が使われており、床も柱も一つ一つ違う木目をしている。どうやら壁は全て白塗りされているようで、とても清潔感があった。

 しばらく廊下を進むと、両開きの襖に突き当たる。コテツさんとヒュウガさんの表情からして、この向こう側に当主であるシキさんがいるのだろう。

 ごくり。生唾を飲み込んで、僕はそのときを待つ。


「シキ様。勇者殿と従士殿をお連れしました」

「うむ。入るがいい」


 失礼します、と断ってから、コテツさんが襖を開いた。緊張に体が強張るのを感じながらも、僕は顔を上げ、足を動かす。

 畳敷きの広々とした部屋。木製を基本とした和風の調度品で統一されたその部屋の奥に、座椅子に腰を沈める男の姿があった。

 シキ=トウスイ。トウスイ家の長であり、リューズ共和国を事実上治める領主の一人。


「お主らが、勇者とその従士か」

「はい。トウマ=アサギと、セリア=ウェンディです。初めまして」

「トウマ殿に、セリア殿だな。ここまで足を運んでくれたこと、感謝する」


 やはり国のトップというだけあり、ただ座っているだけでもプレッシャーを感じる。ヴァレス大公のときとは大違いだ。民衆の上に立つ者はこうであるべきなのだな、と思わされた。

 シキさんは濃褐色の長髪で、ヒュウガさんのように留めることはせずそのまま垂れ下がらせている。想像とは違い、体格はどちらかと言えば細めで、顔つきも若々しかった。外見だけだと四十は過ぎていないように思えるが、彼の放つ雰囲気は老獪な人物のよう。実年齢は果たしていくつなのだろうか。


「まずは当主として、お二人への非礼を詫びたい。すまなかった」

「え、いや……私たちは全然」


 船内ではお怒りだったセリアも、シキさんに頭を下げられてはそんな風にしか返せない。僕も特に口出しはできなかった。


「ここへ来るまでに、既にコテツとヒュウガより聞いているとは思うが……リューズに迫る危機を脱するために、どうしても勇者殿の力が必要だったのだ」

「ええ……聞きました。騙されたのはびっくりしましたけど……納得はしたので」

「騙した……」


 その単語に、シキさんが敏感に反応した。……あれ、ひょっとして良くない発言をしてしまったかな、僕は。

 視線だけを横に向けると、コテツさんとヒュウガさんが気まずそうに俯いていた。


「……ふむ。確かに、多少強引にでも勇者を連れてきてほしいと命じたが……そういう手段を使ったわけか」

「はっ。手荒な真似をするよりはいい方法かと考えまして」

「まあ、勇者殿が納得しているのであれば良いのだが」

「だ、大丈夫です。ちゃんと納得してますから」


 罰でも与えられるんじゃないかと心配になったので、そう念を押しておく。セリアはほんの一瞬だけ悪そうな顔をしたけれど。


「失敬。リューズに迫る危機とは、端的に言えば魔皇だ。これもまた、そこの二人から聞いているかな」

「はい。この国に現れる魔皇は他の国よりも凶悪で、出現する度に国は甚大な被害を受けているとか」

「逸早くそれを討伐したいってことで、私たちは連れてこられたんですよね」

「うむ。事は一刻を争うと言ってもいい状況なのだ」


 シキさんの眉間に、深い皺が刻まれる。


「でも……町の中を歩いてきましたけど、魔皇の影響みたいなのは感じなかったんですが」


 僕がおずおず訊ねると、シキさんは僅かに首を動かす。


「魔皇や魔物が今すぐに町を滅ぼす、ということは恐らくない。そういう取り決めになっているのでな」

「取り決め……?」

「すまぬ。少し長くなるのだが、お主らにはリューズに根差した深い問題を、一から説明させてもらう方がいいだろう。聞いてもらえるか」

「それは、もちろん」


 正直なところ、無理やり連れて来られて右も左も分からず、ただ魔皇を倒してくれと言われているだけの状況だ。説明は大いに助かる。

 理解できるかはともかく、詳しく教えてもらおう。


「リューズ共和国の始まりは、他国とは少々事情が違っている。元々は無人だった島に、各国から流れ着いてきた者たちが定住していった結果、生まれた国なのだ。始祖たちは止むを得ない事情から新天地を求めてやってきた者が多く、それゆえにリューズは当初から他国に対し排他的だった」

「他所との関わりを最小限にしていたから、独特の風土が形成されたんですね」

「そう。それには良い側面もあったが、悪い側面もあった。伝統や文化を守ることは重要だが、そこに潜む危うさまで、引き継いでいく必要はないというのに」


 古くから伝わるしきたり。どうやらそこに問題の核心があるようだ。

 僕は無言で先を促す。


「ここへ来るまでに分かれ道があったのは覚えているな? あの道を右に行けば、もう一つの領家……スイジン家がある。リューズ共和国は遥か昔から、基本的には民に主権があるものの、代表として我がトウスイ家、そしてあちら側にあるスイジン家が統治を行ってきたのだ」

「仲良く、というわけではなさそうですね」

「方向性が一致したときには、共同で施策を講じることもある。だが、専ら両家は対立関係にあってな。常にどちらがリューズを治めるのに相応しいか争ってきた」

「今もなお、と」

「その通りだ。……さて、では共和制の国で代表同士が統治者の座を争うとき。優劣を決定づけるのは何だと思う?」


 そこでシキさんは、僕たちに問いを投げかけてきた。セリアは突然のことに戸惑っていたが、僕は元の世界の知識があるので、簡単に答えられる。


「国民の選択ですね」

「うむ。リューズではどちらの家が統治者として相応しいかを、国民の選択で決定しているのだ。具体的には投票だな」

「投票……そんな風に王様を決めるんだなあ」


 コーストン公国が故郷であるセリアにとっては、その手法は新鮮なのだろう。普段は見せないような、難しい表情を浮かべている。


「五年に一度、国民の投票により選ばれた方がリューズの統治を主導する。無論、重大な政策についてはこれも都度投票をとることになっているが、それとて統治権を握っている方に票が傾くのが常だった」

「実質、国民投票で選ばれた家が五年間も、リューズを好きに支配できる……そういうことですか」


 言い方は悪いかもしれないが、間違いではない。シキさんも、否定することはなかった。


「ちなみに、現在の統治権は?」

「我がトウスイ家にある。前回の魔王出現からずっと、トウスイ家がリューズを治めているのだ」

「それは凄い……」

「そして、半年後が次なる国民投票の時期なのだよ」

「あ……」


 迫る国民投票。

 トウスイ家が統治権を維持するための最善策。

 僕の脳裏に一つの仮説が閃いた。

 というか、嫌でも思い浮かんでしまうだろう。材料が揃っているのだから。


「要するに、トウスイ家が勇者を連れてきたのには、そういう事情が絡んでいるわけですね」

「え? それって……」


 セリアも何となく察しがついたようだ。


「魔皇の出現に際して、我々が迅速に勇者を招き、討伐してもらう。……そうなれば、次の投票も

我々が選ばれるのは間違いない」

「だから、強引にでも勇者を連れてくる必要があった。自然にではなく、トウスイ家が引き込む形で……」

「……重ねて、非礼を詫びる」


 ここまで語って、シキさんはまた頭を下げた。話を聞く限りは完全に政治利用されている感じなのだが、どうしてか彼を怒る気にはなれなかった。

 そう……何となくだが、彼が私欲のために統治者の座を狙っているようには思えないのだ。

 どこまでも真摯にリューズという国に、そこで暮らす民に向き合い、良き未来を願う。これは僕の直感でしかないけれど、シキさんからはそんな印象を受けるのだった。


「シキさん。スイジン家に統治権が移ることを、シキさんは危険だと思っているような気がするんですが。何か理由があるんですか?」

「……ふ。そんなことまで見抜いてしまうとは、流石は勇者殿だ」


 シキさんはそこで初めて笑顔を見せると、再び口を開いた。


「リューズの魔皇が凶悪と言われるのには理由がある」

「……それは」

「生贄だ」


 ――生贄。

 つまり、この国では……。


「魔皇に……人間を捧げてるって言うんですか!?」


 僕の代わりに、セリアが叫んだ。

 彼女が立ち上がらなければ、僕が同じように声を上げていただろう。

 古きしきたり。

 なるほど、確かにそれは悪い側面だ。


「……リューズに出現する魔皇、その名をアルフと言うが、奴はリューズがある程度の文明を築き上げてきた頃、出現と同時に一つの取引を持ち掛けてきたのだ」

「それが、生贄だった……」

「人間に取引を持ち掛けるなど、とても魔物のすることとは思えない。それも、国を滅ぼさぬ代わりに生贄を寄越せと恐ろしいことを言う。これを凶悪と言わずして何と言おうか」


 魔皇が、人間に対してそんな交渉をするなんて。しかも、半ば脅しのような形で取り決められたのであろう生贄の風習が、何度も繰り返されているだなんて。


「アルフは、出現する度に生贄を要求してくるんですか?」

「そうだ。どうやら魔皇は前回の記憶を保持しているようでな。新たに生まれるのではなく、蘇るというのが正しいのかもしれぬ」

「魔皇は蘇る、か……」


 言われてみれば、コーストンで対峙した魔皇アギールは勇者という言葉を認識していたし、過去の記憶があるという仮説も信憑性はある。奴らは肉体が死しても完全に消滅するわけではなく、毎回蘇っているというのか。

 だとすれば、魔王も……?

 疑問が次々浮かんでくるが、今はリューズの話だ。僕は首を振り、頭から余計なことを追い出す。


「我々トウスイ家は、生贄という悪習については反対の立場をとり続けてきた。しかし、スイジン家は真逆でな。リューズが滅ぼされてしまわぬよう、生贄を差し出すべきだと主張し続けている」

「でも! 勇者が魔皇を討伐すれば生贄なんていらないでしょ?」

「そうだな。勇者がすぐにリューズを訪れ、尚且つアルフを倒すことができるのであれば」

「……ああ……」


 シキさんの言葉に、セリアは黙り込むしかなかった。

 勇者がすぐに来てくれる保証もなければ、来た時点で魔皇を確実に倒せる保証もない。

 そして事実、思い通りにいかないことはあったのだろう。

 生贄がどうしても必要になった過去が、きっと何度かあったのだ……。


「統治権のこともあるけれど、何より生贄を出さないため。シキさんは僕たちを連れてきた」

「これから先もこの悪習が続いていくのは阻止したいのだよ」

「とはいえ、今は統治権がトウスイ家にあるんですし、勇者が来るまでは耐えると決めてしまえば生贄を出さずに済むのでは?」

「ところが、そうもいかなくなってしまった。さきほど説明した投票制度によってな」

「まさか……」


 そう、そのまさかなのだ。

 魔皇が襲ってくるのに耐えることと、生贄を差し出して凌ぐこと。その二つを天秤に掛けたリューズの民は、スイジン家の案を選び取ったのである。


「今回の魔皇出現に際し、生贄を捧げ国を守る。それが民の選択だったのだ」


 それを聞いた僕とセリアは、背筋が凍るような恐ろしさに身を震わせた。

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