2.懐かしき故郷の面影と
船の上での、単調な一日。朝は遅めに起きて、コテツさんたちが用意してくれた朝食をとり、甲板に出て風に当たりながら景色を眺めたり、室内で雑談したりして、正午を過ぎれば昼食をとる。そのあともまた、甲板か室内で過ごして夕食の時間になり、夜が来たらちょっとだけ特訓をして寝る。
天気が崩れなかったことは幸いだったが、丸二日の間、僕たちはやたらと長く感じられる線上での時間を耐え続けた。普段から仕事をする上で船を使う機会のあるコテツさんとヒュウガさんでさえ――いやだからこそなのか――つまらなさそうにしている場面を何度も目にしていた。
そんな生活も、三日目にとうとう終わりを迎える。
「トウマさん、セリアちゃん!」
「だからなんで私はちゃん付けなんですか!」
ヒュウガさんが何度もちゃん付けで呼ぶのを、セリアは必死に訂正させようとしているのだが直してもらえない。どうも突っ込まれたくて言っている節がありそうだが。
「ど、どうしたんです?」
「いよいよっすよ。大陸が見えてきたんで」
「え? やっと到着?」
それを聞くと、セリアの表情は一気に明るくなった。よほどこの無味乾燥な船上生活が辛かったのだろう。
「トウマ、甲板に出てみましょ!」
「う、うん」
腕を引っ張られ、僕はセリアとともに甲板に上がった。そこから見えたのは、海の上に浮かぶ大小幾つかの島々。中央の島が最も大きく、それに付随するような形で小さな島が点在している。
「あれがリューズかあ……」
「みたいだね。島国って言われるのも日本を思い出すなあ」
「トウマにとっても故郷っぽいわけよね」
「実際のところ、どんな文化なのかはまだ分かってないけど。今までの情報からすると、凄く似てるよ」
「そかそか」
何故だかセリアは、少し嬉しそうだ。船旅が終わる、というだけが理由ではないようだが。
……僕のいた場所に近い国。その文化を知ることができるのを、嬉しく思ってくれているんだろうか。
「もう三十分もすれば、港に着くだろう」
いつの間にやら上がってきていたコテツさんが、僕たちに知らせてくれた。
長かった船旅も、これでようやく終了だ。
一度部屋に戻り、広げていた荷物をまとめる。それから若干時間が余ったので、ベッドなども一応整えておいた。
綺麗に片付いたところで、ヒュウガさんから声がかかる。
「到着っすよ、二人とも」
そこでちょうど、船が港に着いたことを示す音と揺れが確かに伝わってきたのだった。
入口付近にあるハンドルを回し、ハッチが開かれる。コテツさんとヒュウガさんに続いて、僕たちも港に降り立った。
「あー、地面だ地面だ」
「何か、まだ揺れてる気分になるなあ」
セリアは大地の感触を楽しむように駆け回り、僕は額に手を当ててくらくらするのに耐えていた。コテツさんたちは、そんな僕らの様子を見て笑う。
「船に慣れてなかったらそんなもんっす。セリアちゃんは元気いっぱいみたいっすけど」
「またちゃんって言った!」
ヒュウガさんのちゃん付けは、リューズを出るまで直せない気がするな。
「港町があるわけじゃあないんですね?」
船が泊まれる桟橋は複数あるが、周囲に建物はそう多くない。港を管理するための小屋らしきものが二、三あるくらいだ。
「首都ハレスは、この港から歩いて十分ほどの場所にある。少し距離はあるが、この場所もハレスの一部というわけだ」
「なるほど……」
見れば、奥には曲がりくねった階段がずっと上まで伸びている。周りは木々に囲まれているけれど、あの向こうに首都ハレスの街並みが広がっているということだろう。
「さ、行くっすよ」
「あ……ゆっくりお願いします」
一人だけ酔いにやられているのは恥ずかしかったが、三人ともちゃんと僕の歩くペースに合わせてくれた。
あまり段差のない階段を、ゆっくりと上っていく。手すりもないし、左右は木の枝葉が伸び放題になっているので、気を付けないとぶつかりそうになる。
「……おお……」
百段近くあった階段を何とか上り切ると、そこには大きな街があった。想像していた光景と殆ど変わらない、東方風の街並みだ。
木造の大きな門の先には、瓦葺の建物がずらりと規則的に並び、着物姿の男女が通りを闊歩している。ハチマキを頭に巻いた八百屋の主人が商品の安さをアピールしていたり、小さな子どもたちが追いかけっこをしていたり。僕が生きた時代のものではないけれど、それはとても懐かしさを感じさせる景色だった。
「やっぱり、独特なのねえ……リューズ以外では、こういう景色は見られなさそうだわ」
「そうっすね。今はどの国も技術が進歩してるし、建物一つとっても、こういうのは他じゃ見られないでしょ」
「我々リューズ民は、自然との調和を大切にしているのでね。木造建築にこだわるのも、そういう理由があってのことだ」
「それだって素晴らしい思想ですし、技術だと思います」
「はは、勇者殿にそう言ってもらえるなら嬉しいものだ」
僕たちは、入口の門から真っ直ぐに続く広い道を進んでいく。コーストンやグランウェールにも、王の住まう城へ続くメインストリートがあったが、この道も同じようなものだろう。ただ、この道は少し傾斜があって、例えるなら参道のようになっていた。
道行く人は、僕たちの姿を二度見していく。着物が普段着である彼らにとって、僕たちの装いはやはり特殊なのだ。コテツさんとヒュウガさんでさえ、物珍しげに見ていく人が何人もいた。
「お二人も、普段は着物なんですね」
「そうだ。着物という名前を良く知っているな」
「あー……本で読みました」
この世界に来てもう一か月以上経つので、つい気が緩んで元の世界の知識をさらっと口にしてしまったりする。記憶喪失の勇者という設定だし、変なことはあまり言わないようにしないと。
「ちょっと着てみたいかも。似合うかしら?」
「ご所望とあらば、後ほど用意させてもらうとしよう」
「あ、どうもどうも」
もうそろそろ、騙されたことへの怒りも静まったようだ。セリアは普通にコテツさんと話せていた。
「僕たちが向かっているのって、どこなんでしょう」
薄々予想はついているが、念のために聞いておく。
「トウスイ家っす。勇者を連れてくることに成功したら、まずトウスイ家に案内せよってことなんで」
「ナギちゃんのお父さんに会うのかー……どんな人だろ」
「国を治めている一人なんだし、厳格そうな人だろうな」
「私、黙ってようかなあ……」
「大丈夫っすよ、セリアちゃんなら」
「んー、そうね……貴方が仕えていられるくらいだものね……」
ヒュウガさんに対しては本当に辛辣だな、セリア。無理もないけれど。
「この参道を直進し、分岐路を左へ行けばトウスイ家だ。もし間違えて右へ行ってしまうと、スイジン家の土地に踏み込んでしまうことになる」
「踏み込んでしまったら、面倒なことになったり?」
「察しが良くて助かる。トウスイ家とスイジン家は決して仲良く交流しているわけではないからな」
二つの領家と聞けば、統治の在り方を巡って対立していそうだというのは容易に想像できることだ。よくある展開というか。
きっと、その問題も僕たちに纏わりついてくるのだろうな。
「分かれ道から両家まで、結構な距離があるんでねえ、迷い込むこともほぼ無いんすけど。親族だけじゃなく俺たちみたいな家来にも、絶対スイジン家には近づいちゃいけないって命じられてるんすよ」
「それはスイジン家でも同様のことだろうがな」
もしも相手の敷地に入ってしまったら、その人間だけの問題では収まらないだろう。細かいことでも、なるべく波風を立たせないようにする。そういう暗黙のルールが長年守られてきているわけだ。
古い慣習、そうしたものが数多く残る場所。ホラーやミステリの舞台になりそうな場所でもあるな。
「……さあ、見えてきた」
コテツさんが、僅かに顔を上向けながら教えてくれる。段差に気を付けながら僕たちも前方を見ると、そこには巨大なお屋敷の一部が覗いていた。
階段を上り切ると、その全貌が明らかになる。端から端まで何十メートルあるのか想像もつかない、立派な屋敷。
「うわあー……綺麗」
「匠の技、というやつだ。築百年以上経つ屋敷ではあるが、修繕を重ねてこの美しさを保っている」
外壁は白く塗り潰され、そこには僅かの欠損もない。黒い瓦もつい最近取り換えられたのか、陽光を受けてきらりと輝いている。入口であるガラス戸の上には、円の中に縦線と波紋を組み合わせたような模様が描かれており、それがトウスイ家の家紋であることは一見して明らかだった。
「あの家紋は、水に沈めた刀身を表している」
「トウスイ……なるほど」
元の世界の漢字で表すなら、刀水にでもなるのだろう。つくづく日本を彷彿とさせる国だ。
「お二人には、このままシキ様にお会いしてもらう。客人ではあるが、粗相のないようにな」
「シキ様は怖いっすからねー」
「私たちよりヒュウガさんに注意しておいた方がいいんじゃない?」
「……気をつけろよ、ヒュウガ」
「大丈夫だって、コテツ」
彼が大丈夫かどうかはさておき、僕たちは怒られることのないよう、礼儀正しく振舞おう。
深呼吸で気持ちを整え、僕とセリアはコテツさんたちに続いて、トウスイ家の玄関を上がった。
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