第1章 自宅警備員ですがなにか

第1話 自宅警備員、はじめ

 -1-

 総務省の統計によると、ここ日本には数十万を超える自宅警備員がいるらしい。


 自宅警備員という言葉は、ネットを使わない一般人にはなじみが薄いかもしれない。

 簡単に説明すると、毎日部屋に閉じこもり、誰とも会わず、ゲームばかりしている人間のクズ。

 それが自宅警備員であり、僕のことでもある。


 僕は今、パソコンで〈ライジングフォース〉というオンラインゲームをやっている最中だ。一日の大半をこのゲームに費やすほどに熱中している。


 生きるために必死に働いている一般的な人はこう思うだろう。

 毎日ゲームばかりやっていて頭がおかしいんじゃないか、と。


 正解。そのとおり。間違いない。自分でもそう思う。

 だけど、変えられない。

 この自堕落な自宅警備員生活を変えるなんて、そう簡単にはできやしない。

 できるものならとっくにやっている。


 部屋はいつも暗くしている。

 光は怖い。まぶしすぎる。

 とくに、太陽光なんて最悪だ。日光が一瞬たりとも侵入しないように、いつも雨戸を閉めている。紫外線なんてもう何か月も浴びていない。


 黒髪ボブヘアーの女性キャラを操作してモンスターをなぎ倒していると、ぴこん、という音がスピーカーから流れてきた。誰かがチャットルームに入室したようだ。

 PCゲーム画面を最小化してネットブラウザを開くと、チャットルームのページに〈れいな〉の名が確認できた。すかさず僕は文字を打ちこんだ。


 <はじめ> おかえり

 <れいな> ただいまです。学校の用事で遅くなりました。すいません待たせてしまって

 <はじめ> 大丈夫だよ。ぜんぜん待ってないから

 <れいな> 待っててくださいよ…


 『れいな』は僕のチャット仲間だ。

 彼女は僕と違って学生だから、一日中チャットするだなんてことはできない。だけど、学校から帰ってきたらほぼ毎日僕とチャットをしているのだから、自宅警備員の僕とそう変わらないくらいの暇人だ。


 <れいな> ところで、はじめさんは今日はなにされてました?

 <はじめ> なにって、いつもどおりだよ

 <れいな> エッチな画像収集ですか?

 <はじめ> うん

 <れいな> え……きもいです

 <はじめ> いや、冗談だよ

 <れいな> ですよね。仕事もせずに毎日エッチな画像集めてるだなんて、ぜんぜん笑えませんもん。お母様は泣いてるんじゃないですか?

 <はじめ> そんなことないよ。いつも「自宅警備ありがとー」って感謝してる

 <れいな> ほんとですかー?

 <はじめ> もちろんさ。母はニコニコ笑ってるよいつも

 <れいな> はは、だけに(笑)

 <はじめ> ははっ、てか。さむっ!


 れいなとはそれほど長いつきあいではないけれど、たがいに軽口をたたきあう間柄にはなっていた。

 僕がいまことばをかわせる相手は、このネットの向こうにいるれいなだけだ。


 -2-

 僕がここ〈チャットでGO!〉の常連になってからどれくらい日数が経っただろうか。

 すでに廃れてしまったチャットサイトではあるが、かつてはここにも多くの利用者がいたものだ。


 自宅警備員に朽ち果てて世間とのつながりのなくなった僕は、誰かとのコミュニケーションに飢えていた。だから、このチャットサイトでいろいろな人と知り合い、多くのことばを交わしてきた。


 チャットをする毎日は充実していた。相手は顔も声も年齢もわからない人たちだったけれど……いや、そんな人たちだからこそなのかもしれない。さまざまなことについて、自分の想いをさらけ出せた。

 ここは僕が人とつながることのできる唯一の場所であり、たいせつな空間になっていた。


 しかし、そんな『ともだちごっこ』も長くはつづかない。どんな人も数日、長くても数週間でチャットルームに来なくなる。

 

その理由はシンプルだ。

「みんなは僕とは違う」

 ということ。


 僕とは違って、誰にも現実の世界に居場所がある。みんなにとって、ネットの世界は一時的な宿でしかない。旅先の宿でいい気分になったからって、じゃあそこに住みましょう、とはならない。いずれはみな自分の家に戻っていく。つまりはそういうこと。


 語りあった彼らはいまごろなにをしているのだろうか。しあわせな人生を生きている? それともかなしい毎日? 想像するたび、せつない気持ちになる。なぜなら、僕には彼らの現状を知る術がないからだ。僕は本物のともだちじゃない。彼らにとって僕は、たんなるネットで文字の交換をした『誰か』でしかない。


 いまチャットをしている〈れいな〉と知りあったのもこのチャットルームだ。二週間ほど前、ここで知り合った。その日から毎日のようにれいなとチャットしている。何度も話しているうちに、打ち解けた会話ができる間柄になった。

 

 だけど僕にはわかっている。

 どうせ、れいなもここに来なくなるんだ。


 -3-

 <れいな> 今日も例のお仕事やってたんですか?

 

 そのれいなの問いかけに、


 <はじめ> もちろん


 と答えた。厳密には仕事ではないが、実は「お金が入ってくる作業」をやっている。


 <れいな> どれくらい稼ぎました?

 <はじめ> 500万ゴールド

 <れいな> え、すごいじゃないですか!

 <はじめ> まあね。僕くらいのレベルになるとこれくらい朝飯前だよ

 <れいな> ちなみに日本円にするといくらいですか?

 <はじめ> 50円


 僕がお金を入手している方法。それは、〈RMT〉だ。


 ふつう、ゲームで獲得したゴールドは、もちろんゲーム内でしか使えない。しかし、オンラインゲームならば、それを現実のお金に換える方法がある。ゲーム内で稼いだゴールドを、ネットオークションなどを経由して誰かに売るのだ。それがリアルマネートレード、通称〈RMT〉。


 こうしたやりとりは、さまざまなオンラインゲームで日常的に行われている。法律には抵触しないが、ゲームの運営会社は〈RMT〉をルール違反としている。だから、取り引きがばれるとそのアカウントは永久追放されて、二度と使えなくなる。そんなリスクを冒しながら、僕は日夜〈RMT〉にいそしんでいるのだ。


 とはいえ、稼げる額は微々たるもの。月の稼ぎは多いときでも1500円。すずめの涙とはまさにこのことだ。高校生が牛丼屋で二時間働けば稼げる額を、僕はひと月かけて稼いでいる。


 とはいえ、展望がないわけでもない。〈RMT〉で生計を立てている猛者も中にはいる。

 僕の目標はまさにそこだ。〈RMT〉で一人前の生活ができるよう、毎日ひたすら戦っている。ゲームの中で。


 <れいな> あの……がんばって仕事探しません?

 <はじめ> 仕事ならしてるよ。RMT。

 <れいな> いや、それぜんぜん稼げてませんよ


 どうやられいなは、僕のすくない稼ぎを聞いてあきれているようだった。


 <はじめ> 大丈夫。これで生活してる人もいるから。いつかRMT事業の会社をつくるんだ。社員も募集して、チームプレーでゲームをやる

 <れいな> 冗談ですよね

 <はじめ> マジだよ。本気と書いて、マジ。きっと実現できる!

 <れいな> ……できるといいですね

 <はじめ> そうだ、学校卒業したらうちの会社にこない? すぐに内定決まるよ

 <れいな> ありがとうございます。遠慮しておきます


 チャットでは自分でも驚くほどスムースに会話ができる。これが対面式の会話だったらきっとまともに話せていないだろう。


 なんの前触れもなく、お腹がぐぅーと鳴った。19時12分。そろそろ食事にしよう。

 カップラーメンをとってくる、とれいなに告げてキッチンに向かい、戸棚をあさった。しかし、中は空だった。なにもない。


『夕食をお探しですか? お作りしましょうか?』


 とつぜん後ろから声をかけられて、僕は小さく悲鳴をあげた。ふりかえると、つやのある純白ボディのあいつが鼻先にいた。赤い瞳でこちらをじっと見つめている。気味が悪い。


「マックスかよ! おどかすなって!」


 人間の身体に白いペンキを塗りたくったような姿をしているこいつは、〈JANGLE(ジャングル)〉社が半年前に発売した、ヒト型家庭用ロボット〈マックス〉だ。

 このロボットは、流暢な会話ができるだけのおもちゃじゃない。なんとこいつは、料理、洗濯、掃除、といった家事までこなせるのだ。独り身のさびしさを紛らわす相棒として、またはお手伝いロボットとして、さまざまなシーンで導入されつつある。


 まだ高価な代物だが、『一家に一台家庭用ロボット』の時代がそう遠くないのだと実感させられるキカイだ。

 ちなみに、うちにはこんな高価なロボットを買う金銭的余裕はない。〈マックス〉がここにいるのは、特別モニターとして〈JANGLE〉から無償でもらったからだ。


『冷蔵庫の残り物でお料理しましょうか?』


 白い顔かつ無表情なマックスが、男とも女とも言えない中性的な声で聞いてくる。


「いいよ。コンビニでなんか買ってくるから」

『またカップラーメンですか? 体に悪いですよ』

「余計なお世話」


 冷たく言い放ち、マックスの横をとおりぬける。

 誰もが欲しがる最先端のロボット。届いたときはちょっとわくわくしたけど、もうとっくに飽きている。いまは、おせっかいでお邪魔なやつだ。


 玄関に向かうと、母の部屋のドアがわずかに開いているのに気がついた。ぶつぶつとつぶやいている声が聞こえる。僕は形容できない複雑な心境になった。

 ドアの隙間から中を覗くと、ほの暗い部屋のようすがうかがえた。机上のロウソクが部屋全体をあわく照らし、母さんは不気味な人形に向かって手を合わしている。そして、謎のことばを呪文のように口にしていた。

 毎日のように行われている母のこの儀式。僕はこの儀式の意味を知っている。

 僕は泣きだしそうになるのをこらえながら、静かにそこから立ち去った。


 -4-

 外は肌寒いどころの冷え具合ではなかった。

 寒さで歯がかちかちと鳴りだし、そのかちかち音で音楽が作れそうなくらいだった。


 外に出ることはほとんどないが、例外はある。それは今のような状況のときだ。常備されているインスタント食品がない場合、嫌でも買いにでるしかない。

 母に食事を作ってもらうことはできない。顔をあわせれば「そろそろ仕事しなさい」と泥を食ったような顔で諭される羽目になる。〈マックス〉に作ってもらうのもごめんだ。機械なんかにドヤ顔されたくはない。だからこうして少ない金を手に外出することが月に数回ある。


 といっても、昼間には絶対出歩かない。ふだん太陽光にまったく触れていないからか、すこしでも紫外線に当たると気分が悪くなってしまう。まるで僕の身体はドラキュラだ。


 セブンイレブンでカップラーメンとコーラを買った。会計をするとき、店員の顔は絶対に見ない。終始うつむいている。それでも、店員からの視線は感じた。僕の顔を見て内心馬鹿にしてるにちがいない。「またきた、きもい客が」。なんて思ってるんだ。


 足早にコンビニを出ると、入店してきた女性客とぶつかった。

「すいま……」

 そこまで言って、僕は思わずことばを失った。その顔に見覚えがあった。

「あれ……今井くん……?」

 女性客は僕の名を口にした。僕は驚きのあまり硬直してしまう。

 忘れるはずがない。この人のことを忘れた日は一日たりともない。


 そうだ、僕の初恋の人であり、そして、僕がひきこもる原因になった人。

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君と僕のディスタンス 終谷昇 @noborun

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