「   」

夕野草路

第1話


「要はパシリじゃねえか」

 友人は笑いながら言った。

 郵便局員。

 その仕事は、彼の目にはそう映るらしい。

「あの安っぽいバイクで、この田舎を行ったり来たりするんだろ?」

 お盆の休みで帰省した彼は、こうして昔の仲間と酒を飲みながら、管を巻いていた。

「良いところだよ」

 俺は言った。

「何も無いだけだ」

 そう言って、彼はジョッキを煽る。

「何も無いだけだよ……」

 彼は繰り返す。何となく、その言葉が、俺の中の何かに引っ掛かった。



 田舎だから、家と家の距離が遠い。だから、配達をしながら、ちょっとしたツーリング気分を味わう事が出来た。

 季節は八月。

 田んぼには稲が青々と茂る。

 風が吹く。

 燦燦と照りつける太陽を目一杯に含んだ、夏の風。

 それが稲を揺らし、波を作る。

 翡翠の色をした海。

「何も無いだけだよ」

 ここは、彼がそう言った場所だ。

 道は上り坂に変わる。張り出した樹々の作り出す木陰が心地よい。山へ、山へと配達バイクは登っていく。

 やがて、目的地に着いてバイクを止める。

 山間の集落だ。この辺りまで来ると、ちょっと地元とは言えない。実際、郵便局員になって、この集落に初めて来た。田舎だから人手が足らないので、随分と広い範囲を受け持っていた。

 俺は数軒の民家を回りながら、郵便受けに配達物を入れて行く。その時、俺を見かけたおじいちゃんが、冷たい麦茶を出してくれた。配達するうちに、いつの間にか知り合いになっていた。

「暑いなか、ご苦労様で」

「仕事ですから」

 おじいちゃんに手紙を渡す。その葉書を見て、顔がほころんだ。

「孫から」

 そう言って、葉書を俺の顔面にグイッと突き出す。

「夏休みは楽しかった。また遊びに行きたい」

 そんな旨の事が書かれていた。

 おじいちゃんは嬉しそうに笑っている。

 俺がこの仕事を好きな理由は、単にツーリング気分が味わえるから、というだけではない。誰かの大切な何かが詰まった「物」を、託して貰えることに、誇りを感じていたのかもしれない。

 だからこそ、腹が立つことだって有った。

「これは……」

 一軒の家の前で、思わず呟いた。

 白紙の葉書。

 本当は良くないのだが、ふとした表紙に、それが目に入ってしまった。

 宛名は書いてあるのだが、差出人は書いていない。

 気味が悪い、と思った。無言電話ならぬ、無言葉書だろうか。文字は一切かかれていないにも関わらず、わざわざ切手が貼られているのも不気味だ。この何者かは、何故、自分の住所を知っているのか。そんな不安を煽られる。

 たまに、こんな悪戯めいた郵便物も有る。

 大抵は、

「受け取り拒否」

 と言って、怒った受取人が郵便局に配達物を置いていく。例えば、脅迫文めいた不幸の手紙だとか。ただ、配達の途中に出くわしたのは、初めてだった。

 しかし、嫌がらせであっても、俺は届けなければならない。届ける、届けないを判断する権利は、俺には無い。それを決めることが出来るのは受取人だけだ。配達員は指定された場所に届けるだけ。

 やるせなくなる。

 悪意と分かっていながらも、届けなくてはいけないのか。

 そんな事を考えながら、結局、俺は郵便受けに葉書をねじ込むんだ。

「どうかしましたか?」

 声をかけられたのは、その時だった。玄関が開いて、中から人が出てきた。そういえば、この家の住人と会うのは、これが初めてだった。穏やかそうに笑うのは、初老の女性だった。

「あの、何かありました?」

「え?」

「随分と長いこと、そこに立っていたので」

「あ、いや……」

 少し迷ってから、俺は正直に告げた。

「どうも、悪戯葉書みたいで。……あ、すみません。郵便受けに入れる時に、偶々、目に入って」

「その葉書、見せてくれます?」

「……あの、受け取り拒否ということもできますが?」

「大丈夫」

 言い切られて、俺はおずおずと真っ白な葉書を差し出す。それを見て、初老の女性は目を丸くした。それから、微笑んだ。

「え?」

 予想外の反応に驚く俺を尻目に、彼女は葉書を口元に寄せた。

 まるで口づけのように。

 そして、目を閉じる。

 何かを思い出しているようだった。

 その数秒が、妙に長かった。

 再び目を開けた彼女は、満足げな表情を浮かべていた。

 俺が事態を呑み込めないで居ると、

「あなたもどうぞ」

 と、不意に女性が言った。

そして、鼻先に葉書を突き付けられる。

 瞬間、レモンの香り。

「ああ……」

 声が漏れた。それは、真っ白な葉書に染み付いた香りだった。恐らく、差出人の仕業だろう。香水か何かを葉書に吹き付けたのだ。

「ふふ」

 初老の女性は悪戯っぽく笑う。

「こんな手紙を出すのは自分しか居ないと思ったんでしょうね。だから、わざわざ差出人の名前を書かなかったんだと思います」

「あ、あの」

「せめて、名前ぐらいは書くように言っておきますね」

「いえ。その、すみません。本当に」

 自分はその手紙を、悪戯だと決めてかかっていた。

「悪いのは、こんな変な手紙を出す方ですから。すみませんね。うちの息子が」

「息子さん?」

「この前、電話で言ってたんです。物忘れって、最初に匂いから忘れる場合が多いんですって。匂いを嗅いでも、それが何の匂いか思い出せないんだとか。……失礼しちゃう。まだまだ、ボケてなんてないのに」

 それから彼女は、確かめるように、もう一度、葉書の匂いを嗅いだ。

「この匂い、レモンですよね?」

「レモンです」

「やっぱり。まだボケてなんてない」

 そうか。

 こんな伝え方も有るのか。

「粋、ですね」

 粋なんて褒め言葉、初めて使ったけれど。

 女性が、はにかむ。

「暑いですね。お茶でもいかがですか?」

「ありがとうございます。でも、配達中ですので」

 一礼。

 くるりと背を向けると、足早にその場を後にした。

 俺は、その白い葉書を見て、何も無いと思った。

 それどころか、真っ先に、誰かの悪意を連想してしまった。

 もしも、そんな決めつけをしなければ、俺はレモンの香りに気づけたのだろうか。



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「   」 夕野草路 @you_know_souzi

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