15.見えているもの


 長澤さんは、昔からクラスの人気者だ。

 高校にあがって、同級生の顔ぶれが大きく変わっても、それは変わらなかった。



 だれに対しても優しく、まっすぐに接する彼女だから、嫌いな人はいないのかも知れない。



 ぼく見たいに影のうすい、まるで幽霊みたいな存在でも、長澤さんだけは気付いている。

 そんな長澤さんには、ストーカーがいた。



 多分、ぼくだけが知っている。

 その人は、うちの学校の制服を着てはいるけど、名前は分からない。



 その人は、毎日のように、長澤さんに付きまとっている。



 通学する時、彼女のうしろには大体その姿があった。友達と歩いていても、そうでなくても、彼はいた。



 図書館で見かけた時にも、彼はいた。授業中も、教室の片隅に立っていて、長澤さんを見ている。



 気付いていないのか、無視しているのか、長澤さんは彼に対してなにも言わない。



「見えてますよ」



 とつい声をかけてしまったのは、今朝のホームルームが始まる前だった。

「え?」という表情で驚く長澤さんと、その後ろで動揺を隠せない彼。



 授業の間ずっと、彼の視線で側頭部のあたりがむず痒かった。

 学校が終わって、すぐに教室を出たのに、彼の視線をまだ感じた。



 誰もいないところで、ぼくは呼び止められた。



「俺のこと、見えてるんだよな?」



 切迫した言い方だった。夕日がオレンジ色に彼を染めている。

 ぼくと真逆の、サッカー部にいそうな溌剌とした見た目だ。髪型や、制服の着こなしから、それが感じ取れる。



 それでも、どこかぼくと似ている気がした。

 人の海の中で、独り舟をこいでいる様な、静けさがあるのだ。



「ずっと、見えていたよ。君は一体なにをしているの?」



 少しだけ、彼は沈黙した。



「どうしても妹に謝りたいんだ」


 驚いて、すぐには返す言葉が見つからなかった。


「あいつはああいう風にふるまってるけど、陰でずいぶん苦しんだんだ」


「兄がいたなんて知らなかったよ」


「親が離婚してから、別々に暮らしていたからな」


「だけど、君はなんで死んでしまったの?」



 言ってから、少し気まずい事を聞いたな、と思った。



「事故で、階段から落ちた。よりによって、あいつがこの高校に入学する直前に」


 少し俯いてから、彼は言葉をついだ。


「手伝ってくれないか?あいつが抱え込んでる物を、取り除いてやりたいんだ」



 そうやってぼくと幽霊の一大プロジェクトが始まった。

 夏休みまでの解決を彼は掲げていたけど、ぼくには無謀に思えた。



 まず彼は、自分の事を直接的に言及するのを嫌がった。彼女が気付くように、誘導してくれと言うのだ。



 むやみに話を蒸し返して、肝心の姿が見えなかったら可哀想だ。との事だけど、ほとんど無謀な話だ。



 実際に「あっ!」と長澤さんの後ろを指差したり、誰にも見えてない幽霊を凝視し続けて見たけど、まわりから痛い視線をもらうばかりだった。



 次に、彼のことをサポートする能力が、ぼくには全く無い。

 人とコミュニケーションを取るのが苦手で、いつも幽霊みたいにそこに居るだけなのだ。



 長澤さんに話しかけるのも、ぼくには高いハードルだ。もっとも、その点を彼は気にしていない。



 彼の企みは、うすうすと感じ取ることが出来た。

 彼はよく、放課後にぼくを呼び出しては、繁華街に連れて行った。



 家で本を読んでばかりのぼくには、彼の教えてくれる遊び方は新鮮で、悪くなかった。



 そうしていると、街で何人かのクラスメイトと会った。自然に彼らと遊ぶようになった。

 長澤さんの兄は、彼らと話しているぼくを見て、満足げに笑った。



 彼らと付き合い始めて気付いた事は、長澤さんの兄の死は、ある程度知られていた。

 ぼくが、その輪にいなかっただけの事だ。



 学校でもすこしずつ話す事が増えていって、高校に入学する前には考えられなかった充実感をおぼえた。



 長澤さんとは、いつの間にか話せるようになった。

 兄の事を気付かせようとして、彼女に付きまとっていたからだろうか。

 ぼく等の距離は、明らかに縮まっていた。



 お兄さんは、反対にほとんど話さなくなった。


「特に言うことが無くなってきたよ」

 と彼は笑った。


 どうも存在感がうすくなったと思ったら、彼は本当にうすく、透明になって来ていた。



「ああ、成仏しそう」とあっけらかんとしているが、ぼくは少し寂しかった。この学校で、初めて出来た友達だ。



 その日の放課後、ぼくは長澤さんに残ってもらった。

 話す時が来たのではないか、と思ったのだ。



 夕焼けが、教室の半分を照らす。その赤さとは対照的に、影はとても暗かった。



 寂れた教室で、長澤さんと向き合う。

 長澤さんはとても悲しそうにしていた。今までクラスでは見せてこなかった表情だ。



 その視線の先にお兄さんがいたので、ぼくは少し面食らった。

 お兄さんの体は、どんどん透明になって来ていた。



「見えないフリをしていたのか?」お兄さんが言った。


「成仏しない様に、無視してたの」


 彼女は静かに言った。目から、涙がこぼれている。


「だけど最近のお兄ちゃんを見ていたら、また居なくなるんだって」


「俺が居なくても、大丈夫だと安心したかっただけなんだ。お前らの事を見ていたら、それが分かったよ」


「死んだのを認めたくなかっただけなの」


「分かってるよ」


 彼は静かに、彼女を抱擁した。


「妹のこと、頼むな」


 ぼくは何も言わずにただ頷いた。


 彼はゆっくりと、空気中に溶けて消えた。

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