3.クビカリタケ

「クビカリタケ……?」

「さよう。これが、クビカリタケじゃ」


 爺ちゃんが、低くしわがれた声で言った。

 しわしわの瞼の奥で、僕を真っ直ぐに見ている。



 爺ちゃんの小さな手のひらに、親指程のきのこが一本乗っている。ただのきのこでは無い。

 人間の生首の形をしているのだ。



 女のキノコだった。

 怯えた目で何かを訴える様に、見つめてくる。

 僕は、震える手を背中に回した。

 人間には分からない言葉を、消え入る様な金切り声で喋っている。



「どうするの?」答えは分かっている。


「お前は今年で十二歳になる。現実と向き合わなければならん」



 目から流れているのが涙なのか、冷や汗なのか分からなかった。

 爺ちゃんはクビカリタケを、両手で素早く捻った。

 パキッ、と音が鳴って、キノコは死んだ。



 しばらく何も言うことが出来なかった。

 震えが止まらない。爺ちゃんはキノコをカゴに入れると、背中を軽く叩いてきた。



「ここでは、肉はめったに手に入らん。毒の無い植物も限られておる。これが現実なのだ」



 そう言うと、爺ちゃんは小さな背中を向けて、ゆっくりと歩き出した。

「帰るとしよう。ゆっくりでいいから、はぐれないように歩きなさい」



 そっと手のひらを覗き込む。

 若い女の子。死んだ様に眠っている。

 爺ちゃんに見つかる前に、とっさに引き抜いてしまった。



 節くれだった木を選んで、登った。山の民は、木登りが上手い。


「これからも人間は、君たちを食べると思う。だけど、今日は君を助ける。ここで静かに暮らすんだよ」


 小さな声で呟きながら、分厚い苔に埋める。

 女の子は、相変わらず眠っていたが、爺ちゃんとはぐれる前に降りなければならない。



 次の日、女の子の事がどうしても気になって、見に行く事にした。陽が昇り始めたばかりで、家族はまだ眠っている。



 山の中腹にある屋敷から、一時間ほど歩かなければいけなかった。屋敷の近くに植えたら、すぐに狩られてしまうだろう。



 節くれだった木を、慎重に登っていく。念を入れて、高いところに植えたので、骨がおれる。



 キノコは無くなっていた。

 鳥に食べられてしまったんだろうか?

 胸が締め付けられる思いで考えていると、



『ここにいるよ』



 耳からではなく、頭の中で直接聞こえてきた。



『ここだよ』

 また聞こえた。女の人の声だ。

『上』

 ふと上を見上げると、女の人が木の幹に座っている。

 驚いて、足を滑らせた。

『死んでしまうよ。手を離さないで』落ち着いた声だ。しかし女の人は、唇を動かしていない。やはり、頭の中で聞こえているのだ。


 僕と同じぐらいの身長で、白い手を伸ばして、僕の腕を掴んでくれている。



『怖がらなくていい。君を驚かせるつもりはない』

 真っ直ぐ、僕の目を見ている。透明な中に、どこまでも深い青をたたえた瞳だ。

 吸い込まれてしまうんじゃないか、そういう瞳だった。



 肌は透き通るように白く、その整った顔立ちは、昨日のあのキノコだと分かる。

 ただし彼女は大人びた顔つきで、僕と同じ背丈で、普通の人みたいに手足がある。



『私たちは一日で成長するんだ』



 何を考えているのか分かるらしく、彼女は僕の疑問に答えた。

 僕は改めて彼女に謝ろうと思ったが、彼女は首を振った。悲しげな目をしている。



『沢山の胞子から、私達は生まれる。多くの子供は、動物の餌となる。動物は死んだら土に還る。植物の、私達の栄養となる。森の循環なんだ』



 彼女の目を見ていると、その心が伝染してきそうだ。



「君は、まるで僕のお爺ちゃんみたいに、物事を知っているんだね」

『私たちの記憶は、この森と同じぐらい古いんだ』

「だから君の瞳は、そんなに深い色をしているんだね。色々なものを見てきたんだ」



 彼女は何故か寂しそうだ。



「いいかい?今日はもう戻らなければいけないけど、僕はまた明日ここに来る。川の民に嫁いだ姉の服を、持ってくるよ」



 今の格好では、まずい気がした。

 彼女は承諾して、僕がゆっくりと木から降りるのを見守ってくれた。



 僕は節くれだった木に、また登った。

 姉の子供時代の着物は、彼女にぴったりだった。

 よく似合っていると思った。

 彼女は僕を見つめたままだ。心を見透かされている事を思い出して、少し恥ずかしくなってくる。



 僕はそれから毎日、彼女に会いに行った。

 彼女はすぐに大きくなって、母子みたいに身長差が付いてしまった。

 それでも彼女は、以前と同じ態度で接してくれた。



 彼女をどう思っているか悟られない様に、必死で隠しては見るけど、彼女は多分知っているんだろうな。




 三年が経って、ようやく背が追いつくと、初めて僕たちは口付けを交わした。

 キスする前は笑っていたのに、唇を離すと、彼女の青い瞳からは、大粒の涙が溢れていた。

 理由を聞いても、彼女は答えてくれなかった。

 彼女の事をしばらく抱きしめた。彼女の身体は少しだけ冷たかった。離れるのが怖かった。



 その日を境に、僕たちは少しだけ変わった。


 あまり、やたらに言葉を交わさなくなった。その代わりに、常に心で繋がっている気がした。

 いつか、彼女の痛みが少しでも晴れればいいと思った。



 出来る事なら、彼女の背負っている数千年もの記憶を、取り除いてやりたい。あるいは、分かち合いたい。



 彼女は、少しずつ小さくなっている気がした。月日を重ねていくにつれて、それは確信に変わった。

 僕がどんどん大きくなるのとは対照的に、彼女は小さくなっていった。



 大人と子供のあいだの、ある夏のよるに僕たちは交わった。

 僕の恐怖が分かるからなのか、彼女は一晩中、僕の頭を抱きしめたくれた。

 最初で最後の夜だった。



 彼女はどんどん小さくなっていった。十七を迎える頃には、姉の服を初めて着た日よりも、小さくなっていた。

 その日の夕方、僕は彼女と見つめ合った。



 彼女は寂しそうに、頷いた。

 僕の胸騒ぎが的中してしまったのだ。

 なんとなく、僕は一年前からそれを知っていた気がした。



 それでも、僕は取り乱していた。

 彼女は小さな身体で背伸びして、僕の涙を拭った。

 ごめん。彼女困ったように、作り笑いをして謝ったが、僕は首を振った。

 彼女の手を握ると、その感触はだんだん無くなっていった。



 彼女の手が、細かい粒子状に分解されていく。日の光を反射して、ちらちらと光った。

 それはさざ波を打つように、手から身体へ広がった。



 彼女は僕の頬に、軽く口付けをした。感触はなく、少し温かい吐息を感じただけだった。



 一陣の風が吹いて、彼女は砕け散った。

 無数の白い胞子が風に運ばれて、渦を巻いて、木々の梢の上を踊りながら、森に散っていった。

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