4.女性的なひずみ


 時どき死について考える。散らかった部屋で冷めた弁当を食べたり、電車に揺られている時に。

 職場とアパートの往復が人生だった。ハムスターみたいに、ただ滑車を回している。死ねば、滑車は止まる。



 布団に入った。悪寒が走った。すぐに起き上がる。心臓がうるさい。

布団のそばで、空間がひずんでいた。

 向こうがわの壁の汚れか? 違う。鉛筆で書いたように、はっきりと空間が歪んでいる。

 さらに奇妙な事に、そのひずみは女性的だった。

 胸の形をしているのだ。大きなふたつの丸みが、宙に浮いている。



 職場から戻るたび、ひずみは大きくなった。

 日増しに輪郭が濃くなっている。肩と首が浮かび上がった。

 不思議と恐怖心は無くなっていた。むしろ興味深かった。女性が何もないところから生まれるのだ。


 顔が出来た。黒いロングヘア。冷たいけど、整った顔だ。

 瞳を見ていると吸い込まれかねなかった。


 数週間かけて、お腹と足が生えた。

 自然と、彼女のいる部屋を片付けるようになった。部屋に溜まっていた洗濯物も洗った。

 彼女を眺めていると、死や滑車は遠ざかった。職場との往復のむなしさも和らいだ。


 ただし、別の側面もある。

 このまま彼女が成熟しきったら? この間

彼女の手を触った。たしかに彼女は実体をもち始めている。

 本物の感触だ。


 このまま成長して目を覚ます事があったら、彼女はどうするだろうか。

 親から巣立つように、僕のもとから離れるかも知れない。そして日常に戻る。僕にはありそうな事だ。


 その思いとは裏はらに、彼女はひごとに成長した。肌に血が通っていく気がした。

 見方によっては泣き出しそうな表情だ。僕を映しているかの様に。先のことを思うと、胸につっかえる物がある。


 ある朝、彼女は完成した。

 目が合った。

 人形のような顔に、命が宿った。泣き崩れて、妻はとつぜん抱きついてきた。


「もう、自殺なんてしないで。一緒にやり直そう?」


 見覚えのない、白い部屋。

 窓辺には、色鮮やかな花束が添えられている。

 僕はベッドに横たわっていた。

 白衣姿の中年男性が、彼女の後ろから言った。


「ここは病院です。あなたは二か月前にビルから飛び降りて、昏睡状態にありました。何か覚えている事はありますか?自分の名前を言ってみて下さい。手や足を動かせますか?」






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