12.自由自在な昔話
『自由自在な昔話』
筆で、そう書いてあった。
装飾は一切ない。ただ、表紙がなめし革で出来ていて、少しいびつだ。本自体に趣きがあると僕は思った。
「いくらですか?」
中年の男は黙っている。もつれた髪に逆向きのキャップを被り、継ぎ接ぎの入ったマントのような物を羽織っている。サングラスをしているので、その表情は分からない。
年に数回、球場でバザーが開かれる。そこで本を物色するのが、昔から趣味に合っていた。高校に上がって、一回目のバザーだった。
「予算は?」
あまりにも黙っていたので、今度は僕がとっさに返事出来なかった。
「五千円です」
「五千円でいいよ」
そう言って、ビニール袋を勝手に広げ出した。
今正にぼったくろうとする男を眺めながら、敢えて買ってみようかと思う自分がいる。
「読み方は分かるのか?」
「はい?」
「まぁ表紙に書いてある通りだよ」
「中身を確認してもいいですか?」
「自分の部屋でやりな」
いつの間にか本は袋に入っていた。男は煤けた手のひらを差し出して、代金をまっている。
まぁいいか、と僕は五千円札を渡した。
家に帰ると、幼い弟がいるだけだった。母は夕飯の買い物、父は夜遅くまで仕事の筈だ。
ベッドに寝転がり、買った本を手に取る。
さっきは気付かなかったが、ページには薄い羊皮紙が使われている。分厚つさの割に、それほどページ数はない。せいぜい三十項と言ったところだ。
三十は少なすぎる。ただ少なくとも外装はかなり気に入った。
ページを一枚、めくる。小さな黒い物体が飛び出してきた。「うわっ」と咄嗟に顔を隠したが、もう何処かに逃げていた。
五千円払ってゴキブリに襲われたのが、少し悲しかった。
第一ページ目は、『作者』と上の方に書かれていた。それ以外は、空白だ。辛うじてインクの跡があったので、よっぽど古い文献だという事が察せる。
ページをめくった。
右のページには『赤いめ牛』とあり、左には『トリレヴィップ』と書いてあった。どちらもデンマークの昔話で、昔、北欧民話の本で読んだ事がある。
どちらも、タイトルの下にそれぞれの挿絵が描かれている。
次のページは、『ヘンゼルとグレーテル』に、『雪の女王』だった。グリム童話にアンデルセン。どちらも馴染みの昔話で、挿絵もイメージ通りのものだった。
次のページも『セロ弾きのゴーシュ』『おやゆび姫』の挿絵だった。
嫌な予感がして、一通りめくって行くと、全てタイトルに挿絵がしてあるだけだ。
それも、昔話は十六話までしか無く、残りのページは白紙だ。
「中身を確認してもいいですか?」
「自分の部屋でやりな」
昼間のやり取りを思い出す。自業自得だが、やはり腹は立つ。本は悪くないが、軽くベッドの上に放り投げる。
すると、また黒い物体が飛び出した。
「うわっ」
ゴキブリではない。
よく見ると、色も少し茶色っぽい赤で、たぶん赤銅色だ。
指でつつくと、それはピクリと動いて、首をもたげた。
ミニチュアの牛だ。
驚きで心臓が脈打っているのが聞こえてきた。昼間の会話が頭をよぎる。
「読み方は分かるのか?」
「はい?」
「まぁ表紙に書いてある通りだよ」
本の題名は『自由自在な昔話』だ。赤い牛と本を交互に見比べながら、必死に目の前で起こっている事を理解しようとした。
しかしどんどん、冷や汗が出てくるだけだ。
もう一度本を開くと、二ページ目の『赤いめ牛』の挿絵から、牛が消えている。
「モォー」
ミニチュアの牛が鳴いた。少し落ち着いたのか、なんだかその鳴き声が間抜けに聞こえた。
『赤いめ牛』の挿絵には、王さまと王女、異国の王子がいた。一人一人、ゆっくりと指で撫でる。
すると、親指サイズの王さまが丸いお腹を抱えて、本から転がり落ちてきた。王女と王子がそれに続く。
絵の中の役者が揃うと、彼らは何やらお芝居ごとを始めた。
「いけませんわ、王さま。あなたは私の父親です。実の父と結婚など」
そう言って、王女さまが赤い牛に乗って逃げ出した。三つの森を越えて、異国の王子さまと出会うのだ。
『赤いめ牛』の後半は北欧版のシンデレラの様な話だった。これは面白いと思った。
五千円という値段は、むしろとんでも無く安い買い物に思えてくる。
次の話に行く前に、一人一人捕まえて、『赤いめ牛』のページにしまった。失くしたりしたら、せっかくのお話が台無しだ。ページの上に落とすと、彼らは絵になった。
「ん?」
ちょっと待てよ。そう思った。本の一ページ目に戻った。
『作者』と書いてある。その下には、インクの跡が煤のようにこびり付いている。
この『作者』にも、絵が付いていたのだろうか?
だとしたら、最初にこの本から飛び出した物体、あれはゴキブリだったのだろうか?
心臓がまた太鼓を打ち出した。
もう一度ページをめくっていると、さっきは白紙だった十八ページ目に、『頭のわるい、哀れなわかもの』と書いてある。
目の端で、黒い影がちらついていたが、僕はどうしても本から目が離せなかった。
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