6.スーツケースの中


 

 集中しなさいと叱られた。君がその原因を作っているんだよ、とたまには言い返す。

 そういう時に、急に顔を背けるのが見たくて、勉強を続けている所がある。


「宿題やっておきなさいよ。単位落としても知らないからね」

「分かってるって。それより明日バックれないでよ」

「いけたらいく」


 いたずらっぽく笑うと、頬に口づけしてきた。僕は離れようとする彼女を捕まえて、やり返した。彼女はくすぐったそうに笑って、抱擁を振りほどく。


 彼女の背中を見送りながら、ゆっくりとスーツケースを閉じた。


 いつからだろう?

 エナメル質の黒いスーツケースを眺めながら、ふと疑問に思った。いつから、僕たちの住む世界が別々になってしまったのだろう。

 なぜか、その部分の記憶が抜け落ちている。これも、そこに至った経緯と関係あるのかも知れない。


 彼女は、いつもスーツケースの中からやってきて、必ずスーツケースの中へ帰っていく。以前は彼女もこちらの世界の住人だった。


 何度となく、彼女に事情を聞いてみた事があったけど、未だに教えて貰えない。今僕にできるのは、スーツケースを大切に保管して、彼女から話してくれるのを待つ事だけだ。


 それに、僕にも秘密はあった。こんな事になってしまってから、ずっと高校には行っていない。もともと彼女がいたから通っていただけだ。

 僕たちの立場は、本来は逆になるべきだった。彼女は僕よりもこの世界で上手くやれるのに。それなのに彼女はスーツケースで、僕はここにいる。


 

 玄関のチャイムが鳴った。

 スーツケースを、そっとベッドから降ろした。

引きずる。ローラーが床を転がる重たい音。玄関の前に、慎重に寝かせた。こうすると、独りの感覚がやわらぐのだ。


 玄関を開けると、スーツの男が二人いて、ずかずかと僕を押しのけて玄関にあがってきた。


「谷崎つかささん殺害容疑で逮捕する」



 少し何を言っているのか分からなかった。


「そのスーツケースには、何が入っているのかね?」


 白髪混じりの男が、鼻を塞ぎながら言った。気分でも悪いのか、一人は吐き気を催したように口をふさいでいる。

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