桜の枯れ葉が風にのる

山田沙夜

桜の枯れ葉が風にのる

秋が終わっていく。

落葉樹の葉っぱは風がなくてもはらりと落ちる。やさしい風が吹けばはらはら散る。遠慮のない風なら、さあ果てるぞとばかりに葉っぱは遠慮なく風にのる。

 畳一畳ほどのベランダは落ち葉が重なりあって、二〇リットルの燃えるゴミ用ゴミ袋はたちまちいっぱいになった。

小寒い昼さがり、半袖のTシャツで汗をかきながら、六つ目のゴミ袋の口を縛った。毎年秋に一度、ベランダの落ち葉掃除は暗黙の約束。

「お世話をかけて申しわけありません」

 きくえさんはベッドに腰かけたまま、他人行儀に頭を下げる。


 しぃちゃん、よくきてくれたねぇ、ありがと。こんどは四月においでん。桜が満開のときにおいでんね。



 きくえさんの在所は豊田の挙母あたり。

 いつものこの台詞を、ここ二年ほど聞けなくなっていた。わたしの名前もわからなくなっていた。

 だけどきくえさんは、話のつじつまをなんとか合わせながら、会話を成りたたせている。全霊でおしゃべりをする。だんだん疲れて、ちぐはぐになっていく。

 今年のわたしは、きくえさんにとって完璧なまでに見知らぬ人になっていた。

 きくえさんは他人行儀に挨拶をして、これでもかと頭をさげる。



 年に一度しか面会に来ない隣の娘など、まっ先に忘れてとうぜんなの。おまけに隣の娘はもうおばあちゃんなのだから、わからなくてもいいんだよ。

 そんなに頑張らないで。そんなに気を遣わないで。

 はあー。わたしのため息は自分のなかに「寂しい」を呼びこんだ。



 市営の養護老人ホームで暮らすきくえさんの部屋は三階で、ソメイヨシノの老木が枝を伸ばしている。花のころなら言葉を失うほどきれいだろう。

「うん、来年は桜を観にくるね」

 とは言うものの、桜のころは年度末だし年度始めだし、花見のお誘いもあって来られない。お隣のおばさんの、春の面会をわたしはずっと後回しにしてきたのだ。

 六つのゴミ袋をコンテナまで運んで、わたしはきくえさんにお暇をした。

「おばさん、来年は桜を観にくるね」

 聞こえているのか、聞こえていても上の空なのか、きくえさんはぼんやりと半分ほど葉っぱを落とした桜を見ていた。きくえさんの今に、わたしはどこにもいない。

 きくえさんの認知症は確実に進んでいる。年齢的なものなのか、アルツハイマー型なのか、あるいはほかの病名がつくのか。

 もっと認知症が進んでもこのホームにいられるのだろうか。

 親族ではないわたしはその先へ踏み込むことはなかった。


「悪性です」

 乳腺外科の担当医はクールに言った。

 担当医のクールは、わたしに「冷静」というプロテクターを装着させた。にせものの冷静でしかないのに。

 検査結果を待つ二週間の、持てあますしかなかった不安。結果を聞くことは覚悟の要求。覚悟など強くなったり弱くなったり、揺らぎまくって逃げ道を探してしまう。

 それを見越したのかのように家族は言う。

「エビデンスのある治療をしていかなきゃだめだよ」

 そして「患者さんのための乳がん診療ガイドライン」という厚い雑誌のような本を買ってくれた。

 おみくじを引く気になれない正月だった。

 大学病院アプローチの満開の桜を観ながら入院して、散りはじめの桜の下を歩いて退院した。

 歳をとると身体がいうことをきかない。

 よく聞くそのフレーズそのものの一年だった。心と身体がちぐはぐな一年だった。さあ、やるぞと思っても身体がついていかない。身体は軽いのに動く気になれない。薬の副作用なのか、年齢なりの倦怠なのか、心身の体力が枯渇してしまったような気分だった。回復という言葉に逃げられてしまったようだった。


 通院一年と半年。すっかり歩き慣れた病院のアプローチを、紅葉した桜やヒトツバタゴ、欅、ヤマボウシなどの葉っぱが覆っている。病院スタッフが枯葉を掃除しているのを見て、きくえさんを思いだした。

 やっと思いだした。


「きくえさんはここにはいらっしゃいません。そうですねえ……去年の名簿には載ってらっしゃいませんよ。職員も転勤しておりますし、一昨年の名簿は保管場所が別になっていますのでねぇ。

 それに、ご家族でなければお調べできませんし、お教えできません」

 家族ならきくえさんがどうしているのか、わかっているはず。もしかしたらきくえさんはもう逝ってしまったのかもしれない。

 受付で対応してくれた職員にとって、正体不明なのはわたしのほうだ。運転免許証で身元を確認できても、きくえさんとは赤の他人という証明にしかならない。

 きくえさんの今がわからない、というのはかなり悔しい。

 探偵を雇う? まさかそこまでは。でもたとえ門前払いでも、区役所に聞いてみるぐらいはしてみよう。

 そしてわたしは門前払いされた。


 実家もきくえさんの家もコインパーキングになっている。ご近所も様変わりをしているし、小学校は立派に新築されていて、昔々の面影はない。

 まったくわたしはなにを期待して生まれて育ったこの町へ来たのだろうか。近すぎる実家付近には懐かしさもない。ノスタルジーのかけらもない。きくえさんがいるはずもない。



 名前を呼ばれた。

 名乗られて、やっと同級生を思いだした。

「しぃちゃん、ひさしぶりねえ。中学卒業以来? しぃちゃん、同窓会を毎回パスしちゃうからなぁ。元気? わたしも元気! 

 ……ここんちの、きくえさん? うん、知ってる。

 うちの母と同じ老健にいるよ。

 息子さんが長く暮らしたところへ戻りたいだろうから、とか言ってね、ほらそこの老健に入所したんだよ」

 きくえさんに息子さんがいた。隣同士なのに、一度も会ったことがない。

「若いころにいろいろあったみたいだね、きくえさん。母が元気なころ、問わず語りで聞いたことがある。嫁姑なんて、姑ひとり勝ちの時代だったんだもん。息子を取られて追い出されてなんて、ひどい話だよ。

 一昨年の年末だったかな、髄膜に菌がはいったとかで高熱が続いたんだって。熱が下がって退院したら、要介護五になっていたそうだよ。寝たきりだね。

 昔住んでたあたりに戻ったこれたといっても、きくえさんにはわかんないよね。

 でもどうなんだろう。どこかではわかってて、ほっとしたりしてんだろうか。そうだといいけど。

 これから面会に行こうよ。わたしも母の顔を見にきたとこなんだ。いっしょに行こ」


 きくえさんは眠っている。今は点滴だけで、食べたり飲んだりもしていない。目をこらさないとわからないぐらいの小ささで、掛け布団が上下している。

 きくえさんはただただ眠っていた。


「コーヒー、飲んでかない? そこの珈琲屋さんのフレンチトースト、美味しいんだから」

 もちろん。わたしは誘いにのった。


 noteより転載(2018/9/24)

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