芸術の秋

紫 李鳥

芸術の秋

 


 秋色に染まった紅葉のように、あなた色に染まった私は、……もう、元の色には戻れない。



 私は気付いていた。あなたに女の影を……。


 だって、抱き方が変わったもの。


 それに、接吻くちづけもしてくれなくなった。


 分かるわよ、そのぐらい。


 私より若い女? ……多分、そうでしょうね。




「ね、別れてあげるわ」


「えっ?」


 驚いたように目線を上げた史朗の目が、一瞬、笑ったように見えた。


「その代わり、最後の旅に付き合って」


「…………」


 目を伏せた史朗の表情は、いかにも迷惑そうだった。


「旅費は私のおごりよ」


 その言葉で、また史朗の目が笑ったように見えた。




 “妻”と書かれた宿帳に目線を落としながら、口許を緩めた。


 仲居に案内された離れ家の庭に立つかえでが朱く染まり、一片の葉を落としていた。


 ひのきの風呂に浸かりながら、庭を眺める。


 久し振りに一緒に入浴しながら、三十を目前にした同い年の史朗の肉体に若さを感じるのは、恋をうしなった女のジェラシーだろうか……?


 さて、最後の宴は石灯籠いしどうろうの明かりに浮かぶ紅葉を愛でながら、酒池肉林しゅちにくりんの豪華版と参りましょうか。




「ね、どんな女なの? 新しい彼女」


「…………」


「別れるんだから、いいじゃない、教えてくれたって」


「……ニ十三歳のOL」


「どこで知り合ったの?」


「友達の妹だよ」


「結婚したいの?」


「……ああ、ま」


「私達、恋人というより友達感覚だったよね。……新鮮味がなかったかもね」


「……友達だったら続いてたかもな」


「あなたにとって私は、女じゃなかったんだ?」


「……そうじゃないけど」


 ……でもね、私にはあなたがすべてだった。


 口にしなかったその言葉を呑み込むと、涙が溢れた。


 そしてその涙を零さないように瞬き一つせず、史朗をにらみ付けた。


 史朗は言葉を返すこともせず、視線を反らした。


 それが、史朗の返事なのだろう……。




 あなたが好きだと言ってくれた黒髪も、愛してくれた乳房も、何もかも染まりゆく。


 白いシーツのカンバスに描かれる私の裸体は、淡く、艶やかに……。


 やがて、焔のように、丹く、赭く、赫く、……染まりゆく。


 あなた色に染められた私の体は、もう、どんな色にも染まれない。


 どんなにホワイトを混ぜても……もう、他の色には変われない。


 今度はあなたが染まる番よ。


 紅葉より美しいスカーレットレッドに染めてあげる。


 白いシーツに、広がる赤い絵具。


 紅く、朱く、緋く……。


 私色の絵具に塗り替えたあなたの裸体。




 秋色に染まった紅葉のように、あなた色に染まった私は、……もう、元の色には戻れない。


 だから今度は、あなたを塗り替えてあげたの。






 私色の絵具をたっぷり付けたペンチングナイフで……。




     完

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芸術の秋 紫 李鳥 @shiritori

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