どこでもない国

下村アンダーソン

どこでもない国

「ネヴァーランド」という名の国について話したい。「どこでもない国」というような意味ではあるが実在している。以下の記述がその証として機能すれば幸いである。

 初めに申し上げておかねばならないが、この文章は本来の意味での私の創作物ではない。私が収集、閲覧したテクストを独自に編集し、書き改めたものとするのが適当である。原本の本来の意味を損なわぬよう注意したつもりだが、誤りがあった場合すべての責任は私にある。

 長すぎた休暇を利用して、私がネヴァーランド国立図書館で紐解いた資料なしには本稿は成立しえないのは確かだ。しかし、とある事情によってその名称を掲載することはかなわない。どうかご了承いただきたい。


 ネヴァーランド神話より


 まず言葉ありき。

 訪れるのは三艘の舟である、とのお言葉があった。誰が言い出したのかはもはや知れぬが、その国では永らく受け継がれてきた言葉であった。

 あるとき、「夢」という名の少年が眠っている間に幻を見た。大河の上流から舟が下ってくるということだった。「夢」はたいそう正直者であったから、人々は彼の言うことを信じることにした。それから十三日経った日の夜、「夢」の告げたとおりに何かが河の向こうから流れてきた。それははたして一艘の舟であった。

 舟には篝火が灯してあり、煌々とした明かりを放っている。ところが人々は誰もが恐れおののいて近づこうとしなかった。

「あれはいったいなんなのだ」と、皆が口々に「夢」に問うたが、「夢」もわからないと答えた。人々は火を知らなかったのである。

 そこで、人々の中でもっとも勇敢だった男が、ゆっくりと舟に乗り移って、ゆらゆらと揺れている赤い炎に手をかざしてみた。

「これは神からの賜りものだ、われわれに光をもたらすものだ、大事にせねばならぬ」と男はいった。男は篝火を慎重に舟から降ろした。それから男は「火」と名乗った。

 

 しばらくして、「夢」はまた同じような幻を見た。人々が待ち構えていると、さらに十三日が経ってから言葉どおりに舟が流れてきた。

 二艘目の舟には山のように何かが積まれており、今にも沈みそうな様子だった。人々はやはり恐れおののいて、誰も近づこうとしない。「夢」もその正体を知らないと言うばかりだった。

 そこで今度は人々の中でもっとも勇敢だった女が手を伸ばして、次々と積荷を下ろした。

「これは神からの賜りものだ、われわれに豊穣をもたらすものだ、大事にせねばならぬ」と女はいった。それは植物の種であった。それから女は「土」と名乗った。


 賜り物のおかげで人々の暮らしはたいそう豊かになり、誰もが浮かれ騒いで十三の夜を過ごした。そして十三日目の夜が明けたとき、「夢」はまた幻を見たと人々に告げた。

「十三日すると三艘目の舟がやってくるが、それにはよくないものが乗っている、けっして手を出してはいけない」

 

 十三日経って、言葉どおりに舟が流れてきた。しかし人々は「夢」のお告げにしたがって黙って見逃そうとした。ところが「火」と「土」は、どうしても舟に乗っているものが欲しくなった。そこでいった。

「神よりの賜り物でわれわれは幸福になったのだ、どうしてその賜り物を粗末にできようか、おまえたちは賜り物を恐れたが、どうだ、ふたつともわれわれを幸福にもたらしたではないか、それを忘れたのか」

 人々はその言葉にうなずいた。そして「火」と「土」は「夢」を一艘目の舟に乗せて、河に流してしまった。それから三艘目の舟に近づいた。舟に乗っていたのは人だった。「火」と「土」と人々はその客を丁重に迎え入れた。

 

 みなが来客を祝う祭りを催すなか、たったひとり「夢」を哀れんだ少女がいた。名を「水」といった。「水」は「火」や「土」や人々を残して、二艘目の舟に乗って、河を下っていった。

 

 一艘目の舟とともに流された「夢」は、おそろしい幻を見た。水の中に沈んでしまう幻だった。「おお、わたしの運命ももはやこれまでか」暗い舟底で「夢」はひたすらに祈った。しかし一向に舟は沈まず、やがて河から海に流れ出た。

「夢」は小さな島にたどり着いた。島にはたいへん醜い猿たちが住んでいた。猿たちは「夢」を取り囲んで、じろじろと眺めた。

「おまえはここになにをしに来たのだ、ここは人の来るところではないぞ、答えねばおまえを食ってしまうぞ」

 猿たちはそう言って「夢」に詰め寄った。困りはてた「夢」は、ふと舟の中で見た幻を思い出した。

「この島は間もなく沈んでしまうのだ、わたしはそれを知らせに来た、早く高い木に登れ」

 猿たちはひとまずいわれたとおり、「夢」をかついで木に登った。するとはたして大きな波が押し寄せて、陸地は沈んでしまった。

 猿たちは驚き、「夢」に感謝した。そして次々に手を繋いで橋を渡すと、「夢」を連れて隣の島へと移った。そして「どうか自分たちの王になってほしい」と頼んだ。

「夢」は「わたしはふるさとに帰らねばならぬ、しかし舟が沈んでしまったのではそうもいかぬ、どうしたらよいものか」と答えた。すると猿たちは「ならばわれわれが橋を渡しましょう、しかしまだ数が足りない、しばし時間をくだされば子と孫が生まれましょう、それまではどうか王でいてくだされ」といった。「夢」はそれを受け入れた。


「夢」を追いかけてきた「水」もまた海に出た。「水」が目にしたのは沈んだ島であった。「ああ、なんということなの」と「水」が嘆き悲しむと、二艘目の舟は音を立てて壊れ、「水」は海の底へと吸い寄せられるように沈んでいった。

「水」がはらはらと涙を流しながら沈んでゆくと、その涙に引き寄せられて魚たちが集まってきた。魚たちが「水」の涙に触れると、その鱗は虹色に輝き、ひれはすっと伸びて、なんともみごとな様子で泳げるようになった。魚たちは「水」に感謝し、「どうかわたしたちの王になってほしい」と頼んだ。「水」は「わたしは『夢』を探しにゆかねばならぬ、しかし舟が沈んでしまったのではそうもいかぬ、どうしたらよいものか」と答えた。すると魚たちは「ならばわれわれがお連れしましょう、しかしまだ数が足りない、しばし時間をくだされば子と孫が生まれましょう、それまではどうか王でいてくだされ」といった。「水」はそれを受け入れた。

 

 いっぽう三艘目の舟に乗っていた客を迎えた「火」と「土」は、十三日におよぶ祭りを終えた。客は篝火にあたって植物を食み、満足げな様子で「ここはとてもよいところだからいつまでもいたいものだ」といった。「火」と「土」は「それはけっこうでございます、そしてあなたさまはわれわれになにを与えてくださるのですか」と問うた。客は「おまえたちの決して知らなかったことを教えよう」と答えた。「それはどのようなことですか」と「火」と「土」がたずねると、客は「じきにわかる」といった。「火」と「土」は喜んで客を留め置いた。

 

 時が過ぎた。島は猿たちの子と孫とでいっぱいになった。そのあいだに「夢」は見た幻を正直に猿たちに告げ、猿たちはそれにしたがった。「夢」の言葉どおりに猿たちは木の実を食うようになった。木の実はたいそう甘く、猿たちはますます強くたくましくなった。

 そして猿たちは約束どおり手を繋いで橋を渡した。「夢」はその橋を渡り、猿たちに別れを告げた。猿たちはそれを惜しんだが、別れ際に「夢」が「ここにもうじき人がやってくるから、その人をわたしと思うように、その人の助けとなるように」といいおいた。

 

 また海も魚たちの子と孫でいっぱいになり、魚たちは約束どおり「水」を連れて一番近い陸地へと届けた。そこは猿たちの島だった。猿たちは大喜びして「水」を迎え入れたが、「水」は帰らねばならぬといった。それでも猿たちは「あなたには王でいてもらわねばならない」といって「水」を引きとめた。「水」が悲しんで涙を流すと、猿たちが食ったはずの木の実がふたたび実るようになった。猿たちは驚き、また「夢」の「その人の助けとなるように」との言葉を思い出し、橋を渡して「水」を帰してやった。猿たちは別れ際に「あなたと同じく不思議なお人が、われわれをお救いくださった」と「水」に教えた。「水」はそれこそ「夢」のことだと思い、喜び勇んで旅立っていった。

 それからというもの猿たちの島には毎年木の実がなり、猿たちはそれを食っていつまでも楽しく暮らした。


 さて「夢」は大河の東側の道をふるさとに向けて歩いた。舟で下ってきたところを歩いて上るのだから骨が折れる。それでもたいへんな時間をかけて歩いてゆくと、羊の群れに出くわした。羊たちは「おまえはどこへゆくのか」ときいた。「夢」がふるさとに戻るところだと答えると、羊たちは口々に「あそこではおそろしいことが起きているから行ってはいけない」と騒ぎながら通せんぼをした。「夢」がどれほど頼んでも通してくれないので、しかたなく「夢」はもと来た道を戻っていった。


「水」は大河の西側をふるさとに向けて歩いた。歩きつかれてふと大河の向こう側に目をやると、たくさんの羊たちがずらりと壁のようにならんでいるので、不思議に思った。どうしても見すごせなくなった「水」は、魚たちに連れられたときのことを思い出しながら大河に飛び込んだ。「水」は流れに押し流されながらも、どうにか東側の岸にたどり着いた。しかしだいぶ羊たちの群れから離れてしまったので、どうしたものかと思いあぐねていると、上流のほうから大河に沿って歩いてくる人影がある。それは「夢」であった。

 ふたりは再会を喜び、抱き合って涙を流した。「水」が流した涙が地面に落ちると、そこには美しい花が咲いた。


「火」と「土」はめおとになったが、国ではよくないことが続いた。「夢」がいなくなったために人々はなにを信じて動けばよいのかわからず、「水」がいなくなったために種をまいても植物は枯れた。人々は客人が不幸を呼び寄せたのではないかとうわさしたが、「火」と「土」はそういう人々をとがめた。「火」と「土」が客人に「いつになったら贈り物をさずけてくれるのか」といくら問うても、客人は「じきにわかる」というばかりだった。

 

 羊たちから聞いた話を「夢」が「水」に語ると、「水」はふたりでどこか遠くに逃げましょうと提案した。しかし「夢」はそれを受け入れず、「あと十三年したらよくないものが国からいなくなるから、それまではふたりで隠れていよう、そして十三年経ったらもういちどふるさとに帰ろう」といった。「水」は了解した。

 

 十三年が過ぎた。「夢」と「水」の夫婦は、つれそってふるさとに帰った。ところが、ふるさとには「火」も「土」もそのほかの人々も、だれもいない。ただ荒れ果てた地が広がっているばかりだった。ふたりでさんざん探し回って、ようやくひとりの小さな赤ん坊を見つけた。十三年のあいだに子宝に恵まれなかった「夢」と「水」は、「この子をわれわれの子として育てよう」と話し合った。子は「夜」と名づけられた。

「夢」と「水」は、「夜」をつれて三艘目の舟に乗り込み、大河をさかのぼった。そして、まだ荒れはてていない土地を見つけ、三人でそこに住み着いた。

 

 それから長い長いときが過ぎた。しかし「夢」も「水」も歳をとらず、「夜」だけが老いてやがて寝たきりになった。「夢」と「水」はひどく嘆いたがどうにもならない。「夜」は「その理由を知るものがひとりだけいます」と言い残して、永い眠りに付いた。

「夢」と「水」は理由を知るという人を探し回ったが、どうにも見つからない。また長い長いときが過ぎて、ふたりは気がつくとまたふるさとに戻ってきていた。するとだれもいなくなったと思われたその地に、ひとつの人影を見とめた。

「夢」と「水」が話しかけると、その人は「おまえたちの決して知らなかったことを教えよう」といった。ふたりは喜んでその人の言葉に耳を傾けた。その人はいった。

「わたしの名は、死である」

 ふたりはこうして、ふるさとの人々や「火」や「土」やそのふたりの子であった「夜」と同じように「死」を知った。

「死」を知ったふたりは三艘目の舟に乗って、海へと漕ぎ出した。だれもしらない彼方までたどり着いたふたりは、泡になって沈んだ。


 これはネヴァーランドはじまりの神話であると思われた。ところが奇妙なのは、アダムとイヴとなるはずの「夢」も「水」も消えてしまい、最後には誰一人として残らなかった、と結ばれていることである。

 それならば、この神話を書き残したのは誰だったのか、と問いたくなる。物語に登場する動物たち、猿や魚や羊であろうか? なるほど彼らは最後まで生き延びているようだし、人の言葉を解することもできる。しかし、この物語が真に強調しているものは何かと考えると、よりふさわしい答えが出せるのではないだろうか。

 それはすなわち、三艘目の舟の主、「死」である。

 作中において「夢」の言葉を退けて「死」を迎え入れた「火」や「土」ばかりでなく、他の人々もみな姿を消し、そして「夢」も「水」も「泡になって沈んだ」とされる。これは、「死」を「知った」ためである、とはっきり述べられている。逆に言えば、「死」を知りえなかったすべての生き物は不死なのだともとれる。それを「いつまでも楽しく暮らした」猿たちが暗示しているとも考えられるだろう。

 人は必ず死ぬ。それは定めである。(「死」は初めから人の形をしていたことに留意しなければならない)。そして私は今、ひとつの結論に達しようとしている。

 すなわち、「死」によって支配された「どこでもない国」とはつまり「死者の国」のことではないか、と。

 そう考えると、「死者の国」となるべく定められた国に伝わった「永らく受け継がれてきた言葉」、三艘の舟の到来を告げた言葉ですら、あらかじめ「死」が言い置いたものであったかもしれないと思えてくる。何しろ「死」は人間に「決して知らなかったことを教え」る存在なのだから。

 最後に私のことを少しだけ話そう。

 私は休暇を利用した旅行に出かける途中に、交通事故に遭遇した。そして十三日間の死線をさまよった、とのちに聞かされた。私はその十三日のあいだにこの「どこでもない国」を散策したのだ。「どこでもない国」はたいそう不思議なところで、その全景はまったくといってよいほどにわからず(おそらく誰も知らないのだろう、たとえ国民であっても)、国の外部を見ることもできず、そもそもそこが国であるかもわからなかったくらいだ。

 迷い歩くうちに「誰も立ち入ってはならない」とされている(誰が定めたのかはわからないが、とにかくそういうことになっていた)場所に私はいた。そこは「国立図書館」であり、私はそこでこの物語を目にした。そしてこうして、病院の真っ白いベッドの上でキーボードを叩いている。

 死は誰にも経験することができない、すなわち「死者の国」の建国神話(つまり「死」そのもの)は決して知られることがないという意味で、図書館は「立ち入り禁止」とされていたのではないかと今になって思う。

 この物語を信じてもらえるとは思っていない。しかし「どこでもない国」は確かに存在するし、すべての人がその国の民であり、私もまたそこを再び訪れることになる、ということだけは、信じていただけるのではないか。

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