異世界スクールゾーン3
照彦は墓場というインパクトに、わずかに逡巡したが、すぐに身体は動いてしまっていた。
走り出した目的のものはすでに目の前にあった何百メートルか量るのも馬鹿馬鹿しい巨木の根元、名称のわからない様々な草木が絨毯のように生える地面に質素な墓がある。
なにをこうも動揺しているのか。
わけのわからない焦燥感だけが身体をむしばむ。
いくつもの巨木が落とす影に隠れながら突き刺さるそれは、そこら辺で拾ってきたかのような木をふたつ重ねて縛っただけの、とってつけたかのような十字架。その脇には乱雑に放置された見覚えのある鎧。いや、照彦の過去の記憶ではなくて先ほど柊が見せてきた、あの古めかしい兜と似通ったデザインだ。地面にはくぼんだ所があり、柊が取り除いた後にできた跡なのだろうと、手元に持ったままであった兜をそこに嵌め込んだ。
見事一致した出来をしばし眺めていると、後ろから柊が話しかけてきた。
「なにか見覚えが?」
「……どうして、そう思う」
「貴方が焦っていたから」
焦っていた。
あらためて自分の状況を説明されると、照彦はなぜここに走り寄ったのかわからなくなってしまった。
自分はこんな場所は初めてで、鎧だって墓場だって見覚えなどまったく無い。そもそもスクールゾーンが再度、このような場所に塗り替えられてしまったことすら皆目検討付かない。二度目、そう二度目だ。照彦は初めて二度目の深緑の地へと迷い込んでしまっただけ。鎧、墓場、常識を越える巨木の森―――そして謎の巨大な巣。
二度目のイセカイに、照彦の頭は誤って冷静に現状を捉えてしまった。
しまったと、事実を嘘で隠蔽する事も出来ず、後悔しても時既に遅い。
死が満ち満ちる血の乾いた嗅ぎ慣れない、生が終わることが常識的な環境。匂いに反応した鼻孔が身体をブルブルと震わせると、思い出したくもない記憶が脳内を駆け回る。浅羽照彦が入院していた都内の総合病院は日々、人の死が隣り合わせな環境だった。それだけ照彦のビョーキは重いもの。大部屋で一緒になった若い、若すぎる患者とは年場の離れてもない照彦とはすぐ仲良くなる。静謐で人の気配が少ない病棟は幼い子供達にとって刺激少ない環境だ。だから人に飢えていた、会話を欲し、数日に一度だけ来る親に愛を渇望していた。照彦は見た目は十代だが精神年齢はそうではない。とりとめのない幼い会話も、泣きじゃくる支離滅裂な叫びも、せまりくる死の終わりに絶望する無言も、弱い身体よりもさきにココロが壊れてしまった人への相づちも、なんでも出来た。できて、しまっていた。
けれど人の死は絶対に見慣れなかった。
聞き慣れない、嗅ぎ慣れない、信じたくない。
昨日は楽しく会話していた子供がいたベッドが、朝には真っ白なシーツに変わっている状況に叫び声を上げたかった。夜中に血反吐を吐いて暴れ回る少女を傍目に、ナースコールをカチカチと連打する音を消し去りたかった。一週間ぶりに親と会えると喜んでいた子供が、その日を焼却場で迎えた事実を殴り壊したかった。
こんな日々を繰り返し繰り返し、ずっと続けてきた照彦ははたして正常なのか。
「破壊者様?」
―――大きく、息を吸う。そして、吐いた。
違うだろうと、墓場から視線を外して後ろに立つ柊まひろに視線を寄せる。
「俺のじゃない」
「え?」
「これは俺の鎧でもなければ、墓場でもない。ひとつたりとも見覚えもなければ、君が言うはかいしゃさまという存在でもないことは……絶対に言えると思う」
おかしいのはこの状況だ。渋い顔をする柊はしょさいなさげに瞳を迷わせている、そんな彼女こそおかしいのだ。照彦は、正常だ。この場所、この環境、このスクールゾーンが一旦全体おかしいのだ。
この状況になれてしまっては駄目だ。
カチリと、いままで一番に照彦の心が切り替わった。
「けれど、貴方はどこか焦っていた。見覚えがあるのでしょう? だから、その墓場に走り寄ったはずです。知っているから、焦ったはずです」
「君はここに何度、訪れてるんだ」
「……四回ですけど」
照彦は質問には答えず、質問で返した。会話越しに伝わる不満げな態度はこの際、無視する。また意味も分からず走り逃げてしまっても、それでいいと思った。ここは早めに切り上げた方が最善の行動だと決めきって、照彦は立ち尽くす柊に歩み寄る。
「もうここに来ては駄目だ。知っているんだろう、あの巣には……」
「巣?」
「巣だ。その崖から下を覗いてみろ……良いか? 覗くだけだ、どんなものが見えても声を上げるんじゃないぞ」
戸惑う柊を押して崖際に連れて行く。どこか焦燥感を見せる彼女を傍目に、照彦は進行を緩める。崖下から吹き上がる死臭に表情を歪めそうになるが、後ろ目に柊が見ていることに気づいてたので無表情を貫く。
「ほら、見てみろ」
立ち止まって静止したままの柊を放置して、さきに照彦が覗き込んだ。
「この崖下、どうみても巣だ。乾いた巨木の枝に見慣れない金属片と、……なんだアレは? わからないけれど、なにかかがここで棲む可能性が目に見えて見える」
「………」
「いいか? この状況がいかに危険か、自分の目で確かめるんだ」
押し黙る彼女に若干のいらつきを憶える照彦は大きく、息を吸う。焦っている、そうだ確かに自分は焦っていた。いつ、何時、あの巨大な生物が舞い戻ってくるかわかったもんじゃない。ただの野生動物なら走って逃げて見せよう。しかしこの空間は照彦が知るスクールゾーンではない。威圧感たっぷりの巨木の森に、片方は死に満ちた巨大な巣だ。唯一類似点を探せば同じような形状の傾斜の鋭い坂道、それだけだ。
「はやく見てみろ」
「……っ」
終始、無言のままであった柊まひろはせっつかれるように突き立てられた照彦の視線に、ごくりと生唾を飲み込んで、崖際へとゆっくり近づく。しばし覗き込んで、やがて、小さく息を震わせながら吐息を吐いて、こちらへと振り向いた。顔には大量の脂汗をどっとかいているのが見え、やっと自分が置かれている状況を知ったのか。
照彦が苦笑に鼻を鳴らそうとして、
「ごめん、なさい。私には、わかりません」
「……なにを言っている?」
心底、申し訳なさそうな柊まひろの謝罪に照彦は無意識に声が尖り始める。まるで期待に応えられなかったことを残念そうに俯く柊に「だから」と続けようとし、照彦は彼女の顔を見た。
―――笑っていた。満面な笑みで、ねばっこい汗を顔面中に垂れ流しながら、それ以上にドロドロと涎を半月のように歪めた口元から垂れ流して。
「貴方は見えているんですね、この先に漂う『霧』の向こうが」
霧? そんなものは見えないと虚を突かれた表情を盗み見られ、彼女は爆発する。
「―――やはり! やはりやはりやはり、貴方は!! このイセカイを見渡せる眼を持っていることの証明になる!! そして、それは、貴方がこのイセカイにとって適応し、感応し、実力を秘めていた身体が否応にも反応している証拠になっている!!」
それは感情の暴力だった。
照彦は逃げようにも、柊は逃げ道へ先回りする。以前に電車内で出会った際、照彦はおかしな少女だと勝手に決めつけていた。どこか見覚えのある、夢と記憶に合致する『確執する存在』ではないかと思いもした。それを納得の上で、自分は今日は話しかけた。しかし、これはなんだ。目の前にいるヒイラギマヒロとは何者だ。
「言葉を」
「なに、を」
興奮極まる彼女は唾を飛ばして追い詰めた照彦に求める。
「『ディライト』と」
「意味が、わからない! ……おい! やめろ!」
押し倒された。がつんと後頭部に走る衝撃を感じつつ、けれど柊をうまく抱えられたことに照彦は何故か安堵を覚えた。そんな照彦を知ってか知らずか、昨晩は手を握っただけで走り逃げた柊は、抱かれた照彦の腕の中で、目も当てられないほど顔を向上させて金切り声を上げる。
「唱えて!! はやく!!」
二人は、見知らぬ危険な場所で口上を交わす。マッチ一本もない距離で唾を飛ばして叫び散らす彼女に恐れて、照彦は口を開いた。
「ディ、ディライト」
「……、違う!! もっと心を込めて!!」
なんだ心って!
返答に窮する照彦だったが、彼女に乱暴に胸元掴まれ何度も何度も上下に揺らされ、なぜか羞恥心に染まる心情を堪えて、息を大きく吸った。
口を大きく開いて、照彦は天を突かんばかりに大声を張り上げた。
「――《ディライト》」
その『呪文』は、照彦が溜め込んだ息よりは小声となって、静謐たる人気の無い森へとゆっくり響き渡った。何も語らない並び立つ巨木達は暴れ回る二人を見下ろすだけ、だった。しかし、状況は一変する。
森は囁いた。まるで急激に雑踏の中に放り出されたかのような、音の暴力。暴れ叫ぶ柊まひろの言葉を十分に遮ることが可能な大音量の囁きは、その一個単位の音量はさほどではない、けれど視界に収まる限りで生え渡る巨木は、視界外に渡って照彦の鼓膜を破壊せんばかりに声を張り上げる。
それはざっと数千に及ぶ声の大合唱。
呪いのような言葉が照彦を責め立てる。
『なつかしい』『いつか見たぞ』『我が友よ』
鼓膜から、形容しがたい謎のエネルギーが照彦の身体を急激に汚染していく。襟元を彼女に引き寄せられたまま、接触寸前の状態のまま囁く。
「聞こえますか?」
返答はできない。周囲に響き渡る謎の声が耳に届くたびに、大量の照彦のナニかが消耗していく。それが返事を返す力を奪っていく。
「聞こえますか、貴方を称える声が」
吐き気がする。
暗くなる視界に危機感を憶えながら、照彦は今日の出来事を思い出す。力なく閉じられようとしている瞼の先に、気の触れた笑顔はなく、心から安堵した柊まひろの泣き顔が、そこにはあった。
どうか俺を帰らせてくれ、異世界スクールゾーン(仮) @irohaEN
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