異世界スクールゾーン2
登校初日は、ものの数時間で終了した。
いち早く誰もいない校舎を潜り、職員室に向かった照彦は担任との初対面を済ませ、いざ魔の教室へと行かんと覚悟を決めた照彦を、粛然たる顔で呼び止めた一人の教師。
「今日は出なくていいよ、授業」
「え?」
思わぬ言葉に歩みを止めて、何ゆえかと真意を問うが、
「だって君の担当教師がまだ、来てないし」
「来てない、とは?」
「風邪で休み」
まさかの展開。今の今まで話を勧めていた相手がそも担当ではなかった衝撃の事実。というか、それ以前に、そんなアホな理由で授業参加が頓挫させられる理解がし難いのだが。
まあ、結局、照彦も言われたとおり大人しく変える羽目となった。
理由は幾つかある。食い下がっても担任じゃない相手に無駄だということ、もうひとつが明らかに照彦という生徒に対し、目に見えて疎んだ気配を感じ取ったこと。拒絶の意思が瞳に宿っていた。……わからないでもないが、幾らなんでも露骨すぎるだろと、心中で笑う。
我が身のお荷物ぶりを面と向かって感じ取った照彦は緩やかに職員室から去った。
昇降口で革靴へと履き替えて、いまだ日の傾いたままの日中へとあるきだす。腕時計を確認。そしてケータイで再度、時間を確認。当たり前な時間経過を見て嘆息し、ポケットに携帯をねじ込で、5月の微妙な冷たさの風を全身にしばらく浴びて校門を横断する。
その先からは水田地帯。もとい、スクールゾーンだ。
小さな山頂に建てられた辺鄙な中野高校は約二十年前に建設された新築ほやほやの国立校。校舎全体は真新しく、教室に置かれた椅子や机だってみな新品同様に光り輝いてさえみえる。「総合教科」を推す中野高校は、その校舎を囲うように占められた水田、または森林地帯と自然と密着している為に、生徒たちはのびのびと勉学に育むことが可能だ。
まあ、そんなことは嘘なのだと思う。
のびのびと勉学なんて嘯いているが───十六年前の照彦なら信じていた───そもそも総合教科の授業項目に『農業』が実施されていない時点で信憑性もだいぶ低い。
過去数十年という年季の入った土地柄に、ど真ん中に降って湧いた校舎はまるでたちの悪い幻影のようだ。
一度、立ちそびえる校舎を眺めてから、照彦は周囲のありえない田舎ぶりから浮く異物に苦笑をこぼして回れ右。
「美景さんに電話入れとくか」
今日はパートが休みだと、今朝方に言っていたのを思い出す。突然、照彦が帰宅すれば驚かせてしまうかもしれない。予め入れておいた電話帳から浅場家の家電へと繋いた。
そういえばここだと電波が届くのかと、嫌な確認も取りつつ、数回のコールのもと電話がつながった。
『もしもし、浅場ですが』
「美景さん? 俺です、照彦です」
『あらあら、どうしたの? 授業は? サボっちゃったのかしら?』
違います違います、と慌てて否定する。
しかしことの詳細は省いて伝えた。語っても無駄に心配事を増やさせるだけだ。とにかく早めに切り上げられそうなので、帰宅して構わないかとの旨を告げると、
『それじゃあ後回しにしてた、ご近所挨拶に行きましょうか?』
「………そう、ですね」
これもまた思ってもない展開だった。まずい、まったく行きたくない。出来るなら今後一生でも放っておきたい案件だ。
しかし、責任者であり現保護者である美景の提案を無碍にできるはずもなく、
「じゃあ、なるべく早く帰りますんで」
『車で迎えに行きますよ?』
「とんでもない。歩いて帰りますから、待ってて下さい」
『遠慮しなくてもいいのに……わかりました、でも』
『今日は突然いなくなったりしないでくださいね?』
残念そうな気配を電話越しに感じて言葉が詰まる。けれどすぐさま、すみません、では、また。と電源ボタンを押す。尻ポケットにケータイをねじ込み、思わず唸って額を覆った。
厄介なことになった、と真っ青な空を仰ぎ見る。今からでも逃げおおせられないか、と一瞬情けない感情が過ぎて、ため息混じりで苦笑する。
情けない。とうの昔に覚悟を決めたと嘯いたのは、一体何処のどいつだった?
校門を出て十分ほど過ぎたあたりで二路に突き当たった。
右ルートが浅場家まで遠回りのスクールゾーン。
左ルートが浅場家まで近道のスクールゾーン。
「ん~~~………ん、うん!」
言わずもがな登校する際は右ルートを使用した。当たり前だ、昨日今日にあの坂道、もとい危険極まりないスクールゾーンを使うアホなど居ない。居るはずもない、と思う。
しかし、と。尻ポケットに入れたケータイを制服越しに触れて、遅れてはまずいよな、と未練を断ち切り左へと歩を進める照彦。
結局、昨日の夜は走って逃げた。
その場に置き去り無様に走り去ったのだ。
夜更けに女子高生を独りきりにしたなんて、なんて思われるかもしれないが、置いていったのは照彦じゃない。走って逃げたのもの照彦じゃなくあちらの方、柊まひろのほう。あの夜、倒れていた照彦をドヤ顔で手を伸ばしてきた彼女は、互いに手を取り合った瞬間、急速に顔を真っ赤に染めて走り去ったのだ。
おいっ、と呼び止めようともしたが柊まひろは目をみはる速度で一目散と闇夜に消えていった。なんだったんだ一体、思わぬ能力に声もなく立ち尽くした照彦は独り、寂しく不気味な坂道を降っていったのだ。
住宅街とは到底呼べない、ぽつぽつと住居が立ち並ぶ歩道を超えて、遠く彼方まで田園畑が広がる小道へと入る。ゴツゴツとまばらな道路の舗装は、きっと地域住民の手作りだろう。砂利とまじり乾いた土がお団子のようにそこらじゅうに転がっていた。
何気なく照彦は一個拾って、近くの民家の塀へと放り投げる。
ぼすんと軽い音を立て砕け散った土団子。よし、と意味もなくガッツポーズ。人気が皆無な場所で調子が乗ってきた照彦は、もう一球と拾おうとして、
「…あっ…」
「………………」
田園で農作業をするお爺さん達(四人!)の冷たい目と、目があった。ピッチングフォームに固まっていた照彦は、静かに上げていた足を下ろす。は、ははっ、と乾いた笑いを意味もなく零し、手に持った土団子を地面に放り投げて、ぱっぱっと制服でせわしなく両手を払う。いやぁ~今日は球が伸びるなぁ~、オマケに致命傷な言い訳を呟きながら、そそくさとその場を後にする。
今日は逃げてばっかりだな、と照彦は涙目に去ろうとして、視界の先に小さな売店があることに気づく。
農作物資が店頭に乱雑に並ぶ店構えを見るに、ここら一帯の供給源を補う店なのだろう。
よくよく見れば薄いガラスが張られた引き戸の奥には缶ジュースや、菓子パンやらスナック等も売られているを見て照彦は、這々の体を誤魔化すように引き戸に手をかけ店内へ足を踏み入れた。
「あんれが『カミカクシのコ』か」
「ちんげね。ちかよらんほうがよか」
「ほうけのろわれっちゃ敵わんけんな」
去りゆく照彦を遠巻きに睨み、囁き、恐れる彼らの悪意なき悪意を、振り返ること無く受け止めた背中が疼く。
歩みが一瞬止まりそうになって、辛うじて断ち切って前行。そして目的もなく缶ジュースとスナック菓子を手に取り店内を断行すれば、腰が恐ろしく曲がった老女と出会う。照彦が焦って学生カバンから財布を取り出そうとすれば
「代はいらんけん、もうこんでくれんか」
と目の位置がわからないしわくちゃだらけの顔から厳しく言い渡された。
───ああ、彼らは全く悪くない。
そう、思うことも、教師が思うことも間違ってはない。実際の話。あのおじちゃん達の方言がキツすぎてまるで理解出来なかったのだが。
まあ、自分を恐れているぐらいは伝わった。
※※
ボリボリと記憶とは違わないスティック菓子を頬張りながら歩いていると、見慣れたくはない帰り道に、やっぱり柊木まひろが転がっていた。
ちょうど勾配が傾きかける地面に、彼女は横たわっていた。
風化が続くコンクリートに乾いた泥がこびり着いた地面に。ここは確かに交通量の少ない道路ではあるのだが、照彦はその意味不明な光景に無言で絶句する。
「はぁ」
かろうじて口からため息がこぼれ、照彦はあの日のように側まで歩み寄り
「どうしてここに居るんだ?」
「? あ、破壊者様」
「───取り敢えず、その呼び名だけは、今回限りまでにして欲しいな」
昨日の去り際とは打って変わっての態度。ため息をこらえ苦渋な表情で提案する照彦に、まひろは「はい?」と眉をひそめ嫌そうにぐーと鼻を鳴らした。寝道路に転がりながら。照彦は腹を見せて寝転がる彼女を「犬かよ」と呟いて彼女へと近づいていく。
これ以上話を混乱させられてたまるかと話を切り替えようとして、
「昨日の夜の、アレ、一体なんだったんだ」
また逃げ出されては困ると、気を使いながら思ったことを口にする。これだけは、必要最低限聴いておきたい照彦だった。
「イセカイです。この世ではない何処か。私達が常識と捉えた範疇がまかり通らわないイセカイなんです」
あいも変わらず無愛想な表情でわけのわからないことを言う彼女を眺めつつ、照彦は寝転ぶ彼女の横の地面へと腰を下ろす。
「にわかに信じられない」
言葉にされても信じられるものじゃない。信じきれるものじゃない、ただ実際に照彦が見たことは事実。横顔に感じる視線も、無視して立ち去りたい思考が戻れと苛む感情に負けそうになっていることも事実。
ぐあーっ! と、どこかでまた野鳥が鳴いている。いちいち思考を揺るがす悪い鳥だ。
「時期に戻ります。きっと元に戻させてみせます」
「待ってくれ、柊さん。俺は信じられないと言ったんだ、わからないじゃない。……俺は今の今まで病院のベッドにいたんだ。君が言う……破壊者も意味が分からないよ」
「まひろでいいですよ?」
「まずは俺の話を聞いてくれ……」
ペースを掴ませない、まひろの物言いに勘弁してくれと照彦は両手を上げる。まったく普段どおりに過ごしたいというのに相手がその気じゃないと話も進まない。
「聴いています。貴女の言葉は誰の言葉よりも、私には届いている。貴方はまだ、混乱しているのでしょう?」
「していない。そう君が思うなら証拠を言ってみてくれ」
「今の今までベッドに居たわけじゃない。起きたのは二年前のはず」
言うじゃないか。照彦はもろくそな正論にぐうの音も出ないで照彦が押し黙っていると、
「もっと分かりやすく言いましょう。私が今の貴方にどれだけ感謝の言葉や、活動支援、または応援を行いたくても無駄なのかも知れない」
意味深な呟きにちろりと照彦の目線が移ろい、合わさる。かちあった視線のまま、柊まひろは死体のごとき地面に伸びていた身体を生命を冒涜するかのような動きで起き上がった。
なぜそうも謎の動きをしたがるんだ。照彦が健全たる女子高生がやることじゃないと一言いってやろうと口を開きかけるが、突如、柊がビュンっと片腕を振って頭上高々に伸ばしたのに驚き、閉口する。
「───もうすぐですよ、イセカイにつながります」
「は?」
照彦は、渋い顔で聞き返す。
「めずらしい。やはり貴方は、持っている」
「なにを言っているんだ?」
「こんな頻度でこの場所がイセカイに繋がるなんて、普通はありえない」
照彦は嘆息。もういい、もう、いい。ご機嫌伺いはここでもうお終いだ。心の縁に辛うじて留めていた失望感を一気に手放した。
「……これ以上、話を続けても無駄なようだな。君自身が事実を、……本当のことを話してくれる気じゃないことは十分に分かった」
照彦は断言したが、柊の瞳は伸ばされた指先の先へと向けられ、以前とこちらを見ていなかった。どうしてそうも柊まひろはこうなのか、出会って一日、単純計算で二時間もない。けれど照彦自身が感じる体感時間は、まるで数年以上。今このときだってもういいなんて口にしているが、身体は一向にこの場から離れようとはしていない。心もまた離れようとしていない。
イセカイ。
柊まひろとの唯一の繋がりはこれだけ、だが、照彦自身に答えなどない。
彼女は照彦をナントカカントカと呼んだりするけれど、コイツにはそんな価値などありはしない。ただ記憶がないと嘯き、未練タラタラに十六年前の思い出を保管しに墓場から這い出た死者でしかない。
浅場照彦には願いがある。
それに繋がりが見える人物を放っておくなどできない。
だから浅場照彦は信じている、信じてしまったと言ったほうが正しいか。
事実を隠蔽する嘘を発動する。
本当でなくていい、嘘でもいい。
浅場照彦は見たいのだ。ここまで嘘をついてまで故郷にやってきた彼女の残滓を掘り起こしたいのだ。照彦はその光を彼女から感じとってしまっていた。
思い出は蘇る。照彦が十六年もの間寝たきりであったとき、永遠と見続けていた夢は夕闇を控えたスクールゾーンそのもの。
照彦の長い眠りはすべてそれだけで埋まってしまっているのだ。
執着しなくて、なんになる。
「なあ。これだけは素直に教えてくれ、言いにくかったらそれでもいい。だけど今だけは俺の話を素直に聞いてくれ。もしかすると君の親族は……」
照彦は覚悟を決めて口を開き、横を見る。
「母親の旧名は───………」
『こひゅー…こひゅー…』
「……」
『コヒュー…破壊者様? 聞こえてますか、破壊者様……?』
照彦が決意が揺らぐ。
真横には角の生えた鎧武者が居た。照彦は唖然として開いた口をぱくぱくとさせて震える指先を、コヒュコヒュ唸る鎧武者に突き刺してしまう。間違いなく、本物だ。
「それは、なんだ?」
詳しいことを求めずに、こちらから質問を投げかける。
『これ? もちろん、貴方の鎧ですよ?』
よくよく見ればその鎧武者は頭だけが囲われており、その首から下は今日は見られなかった中野高校の女子制服で間違いない。
真新しい制服の上に一見使い重厚に使い古されたと感じる圧倒的存在感を放つ兜は、細い細い柊まひろの両腕でプルプルと辛うじて支えられていた。
絶句する照彦は、それでも震える手を兜へと伸ばし、ゆっくりと引き抜く。
「……どこから盗んできた?」
「盗んでなどいません! これはもともと貴方のものなのですから!」
彼女の悲鳴などなんのその、受け取った兜をまじまじと観察する。立派な作りだ、簡素な装飾もなんのその、実用重視に繊細に織り込た鉄板は効率性をぎりぎり削ぐこともなく防御率も両立させているのだろう。
「もう一度聞く。これを、どこで?」
「もちろん、そこからです」
心外だと言わんばかりに柊が、照彦の後方へと指をさす。振り向いた先、スールゾーンである危険極まりない坂道とは───かけ離れた深淵の緑地。てっぺんど見えない巨木がみっちりと視界にいっぱいに立ち並んだ景色の中で───見つける、その彼女が指差したものを。
「これが、俺のもの?」
「ええ。それ以外、ありえません」
湿気の匂いに満ちた地面に突き立てたられた簡素な十字架。
どうみてもそれは墓場で間違いなかった。
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