彼女は言葉を濁した

ネコ エレクトゥス

第1話

 台風情報を知りたくてテレビをつけた。そしたら女子高生のダンス選手権のドキュメントをやっていた。普段僕には全く縁のない世界なのでちょっと見ていた。なるほど最近の女子高生のダンスとはこんな感じになってるのか。だがしばらく見ていても全く感動しなかった。

 なぜ感動しないのかはすぐわかった。彼女たちがひたすら動きすぎているからだ。余韻を引き延ばすということを知らない。彼女たちがあんなにひたむきに頑張っているんだからつまらないことを言うな、と言われれば確かにそうなのだが。

加えて言うならば、彼女たちの選んだ音楽自体がひたすら動くことを強制している。踊っているというよりも踊らされてる。

 今の世界全体が何となく踊らされてる感じだ。子供をいい学校に行かせるために毎日塾に行かせなければならない。よきロールモデルであるために積極的に社会参加しなければならない。送られてくるメールにすぐ返事をしなければならない。他人の視線を気にして常に身だしなみを整えておかなければならない。自己のキャリアをステップアップするために学ばなければならない。神経症一歩手前。

 だからすべてが悪いと言いたい訳ではない。みんな頑張ってる。確かに頑張ってる。頑張っていないと落ちていくんじゃないか。みんな不安なのだ。僕らはそんな時代に生きている。そんな時代の象徴があの女子高生たちのダンスなのかもしれない。

 

 別の時だが、仕事で休憩中についてたテレビで例の韓国の問題をやっていた。その中である女性コメンテーターが言葉を濁した。放送局の方針上言わないほうがいい部類の発言だったのだろう。それを言わなかったことで彼女の真意が伝わってきた。もし言ってしまっていたら陳腐な発言になっていたかもしれない。少なくとも忘れてしまっていただろう。それをちゃんと覚えている。

 ここ何か月か『表現の不自由展』なるものをめぐって賛成反対意見が飛び交ったが、反対派の了見の狭さは別としても、あの展示物たちはなぜあんなに感動を誘わないのだろうか。あまりに押しつけがましいから。戦時中の問題に政治の世界がとってきた対応に否定的な人の中にもうんざりさせられた人はいるのではないか。『表現の不自由展』なるものは核兵器に対し核兵器で武装しているだけ。僕にはあの女性コメンテーターの言葉の澱みのほうが感じるところがあった。

 朝顔に釣瓶取られてもらい水


 余白の文化の豊かさというものについてもう少し考えてもらってもいいのではないか。そして余白の文化なるものは皆さんたち文学について考える人たちから生まれるものだ。

 

   

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彼女は言葉を濁した ネコ エレクトゥス @katsumikun

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