冬(5)
冬(5)
※
溢れる感情のままに抱き合う二人を残して、慎也は廊下に出た。演劇部部室の扉を背にして、静かに暗い廊下の反対側を見つめる。
「…………」
演劇部のみんなに嘘をついていたことがある。クリスマス会の主役を顧問の井河里美に頼んだことについて。あれは、あくまで稽古の代理で、本番は雪絵に頼んでいたのだ。稽古風景を撮影して渡し、自宅でも舞台の流れが分かるようにした。
現状として、すべてがうまくいった形だが……単純に賭けだった、クリスマス会開催は。すべてを正しい道に導くために。
雪絵には事件のすべてを話し、大罪を犯した圭一郎のため、さらには亡くなった麻美のために舞台に立つことを懇願した。何度も何度も雪絵の部屋の前まで通って。それこそが、雪絵が学校に戻れる唯一の道だと考えたから。もちろん簡単にはいかないが、毎日通うことで、閉ざされた扉を開けることができたのである。
そして、雪絵が学校に戻ってくることで、今度は圭一郎を救いたかった。雪絵の復学、それこそが、圭一郎の望みだと確信したから。
「…………」
今、慎也の胸には大きな達成感がある。まだ演劇の舞台は幕を上げてもいないというのに。
「…………」
廊下はとても静かだった。こんな静まり返った場所を、雪絵はこの部室目指して懸命に歩いてきたことになる。主人公の純白なドレスを着て。昨日までは家から一歩たりとも出られなかった弱き少女が、希望を見失いかけた一人の少年のために勇気を振り絞って。
「…………」
静寂に、微かな泣き声が響いてきた。それは背にしている部室の方から。
「……これが正解だったのかな」
部室に残してきた二人のこれからについて思いに馳せながら、視線を窓の外に向ける。
遠くの方に見える体育館はカーテンが閉められていた。今頃は有志のバンドが演奏をしている頃だろう。それが終わると、いよいよ舞台の幕が上がる。部室にいる二人が揃う、最高の舞台。
「……うーん、他にも方法はあったのかもしれないけど」
圭一郎も雪絵も、これからが大変である。今まではただ止まった時間に身を委ねていればよかった。そうしていれば、少なくともそれ以上大変な思いはしなくて済んだから。
しかし、二人の止まっていた時間を慎也が動かした。こうして動かした以上、このまま止まってはいられない。
前に進まなければならない。
「俺にできることは、全力で二人の生徒をサポートすることだからな」
小さく拳を握る。廊下のひんやりとした空気が、とても冷たくて厳しいものに感じられた。
「……麻美」
亡くなった妹の名前を口にする。もう部室にも体育館にも、この学校のどこにもいない。それが悔しくて仕方なかった。
「……さあ」
勢いよく振り返る。幕の上がる時間は迫っていた。
「二人とも、出番だぞ。いつまでもめそめそしてないで、しっかりやってこい!」
生徒二人に発破をかける。今年の文化祭のために麻美が考えた舞台、慎也はとても楽しみにしていたから。
※
十二月二十一日、火曜日。
城我浦高等学校の敷地内にある旧校舎三階の演劇部部室、黒板近くにある本立てに、今は亡き演劇部の元部長、桑原麻美が演劇部のために日々溜め込んでいたネタ帳が、六冊揃って置かれていた。
そこからまた、新たな物語が生まれるように。
少女たちが、眩いばかりのスポットライトを浴びる日を願って。
演劇ノイズ @miumiumiumiu
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