冬(4)
冬(4)
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本日十二月二十日、城我浦高校では、クリスマス会が開催されていた。体育館で文科系の部活動や個人有志の発表が行われているのである。
しかし、このクリスマス会は本年度には予定されておらず、開催は慎也が奮闘した成果であった。
慎也は秋に中止になった文化祭を復活させるために、特に文化祭で発表するはずだった人間を中心に協力を求めていったのである。そこにはきっと、やる瀬ない青春の忘れ物があると信じて。結果、半数以上の協力を得ることができた。である以上、絶対に成功させなければならなかったのである。
そんな動きに対して、教員側は後ろ向きだった。三年生は年明けには受験が待っているし、死者が出たとして今年の文化祭にはいいイメージがない。教育委員会や保護者を意識した後ろ向きな発言がほとんどだった。この件を押しつづければ、慎也は職員としての立場が危うくなりそうな雰囲気だったのだ。
『年末は慌ただしいし、開催にはリスクが大きい』
『前例のないことだ、必要はない』
『あの事件後にそんな行事をすれば、学校のイメージが悪くなる』
『そもそも、お前の妹のせいで文化祭が中止になったんだろ』
『不要なことはするな!』
教頭を中心に、職員会議で多くの辛辣な意見をぶつけられた。妹の話を持ち出した誹謗中傷もあったが、それでも慎也は開催する意思を貫いた。
すべては生徒のため。
妹のためにも。
舞台で演じられなかった演者のためにも。
数々の反対意見や圧力があったものの、生徒会の協力と一部の教員も賛同も得て、クリスマス会は開催する運びとなっていた。
そんなクリスマス会、当然演劇部も登場する。受験に備えて三年生が不参加となる部活もあったが、演劇部は全員が参加を表明した。そこには慎也の熱意もあったのだろうが、やはり当人たちには燻っていた思いがあったのだろう。だとすれば、慎也が無理を通した甲斐があったというものである。
ただし、秋で演じる予定だった劇で、今は欠けたメンバーがいた。部長であり主人公の姫役、麻美である。部員に余裕はなく、素人に代役は難しい。しかし、慎也には妙案があった。代わりを顧問の井河里美に頼んだのである。本人も演劇部に所属していた経験があったおかげで、稽古する期間は短かったが、通し稽古は問題なく行うことができていた。感謝してもしれない気持ちである。
そして、そんな稽古風景を記録として撮影する慎也は、望むべき未来がこの先に待っていることを心から願っていた。特に、そこに映る男子生徒と、そこに映らない女子生徒のために。
※
体育館で行われているクリスマス会、演劇部の出番は午後三時から。すでに二十分を切っている。
そんな出番を待つ時間帯、旧校舎三階の演劇部部室には二人の人間がいた。数分前とは違い、すっかり会話が途切れている。
「…………」
普段の呼吸よりも少しだけ大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した圭一郎は、ずっと窓に向けていた視線を動かし、顔だけでなく全身を部室の中央部にいる慎也の方に向け、そちらをしっかりと意識する。
その目は、さきほどまでの睨みつけるような力はなく、表情はどこか憑き物が落ちたような晴れやかなものになっていた。
「……本当のこと言うと、いやな予感はしてたんですよね、先生にこの部室に呼ばれたときから。『ああ、やっぱりこうなったか』って感じです。理由はよく分からないですけ」
「…………」
「まったくさ……」
圭一郎は一呼吸分だけ目を閉じてから、静かに瞼を開いていった。
「ノートは持ち帰りましたね。だって、あの内容はノートの途中にあったから、遺書書いた後にも四、五ページのネタがあったら変じゃないですか。内容が遺書でないことがばれちゃいます」
「そうか……」
「夜の校舎というのか、一階も施錠されてましたが、近くの窓を開けて外に出ましたね。翌朝にちゃんと施錠すること、忘れないようにして。さすがに見回りの人も、そんな細かなチェックはしなかったみたいで助かりました」
視線を上げて、何もない空間を見つめる。過去の一ページを見つめるように。
「えーと、あの日はですね、練習が終わってから、部長さんに部室に残るように命じられました。理由はだいたい察しはついてましたけどね。部長さん、施錠した部室に鞄を置いてきたぐらいですから、帰る気がないっていうか……まあ、相手の思惑はともかく、おれにはチャンスだと思いましたね」
圭一郎の視線が、見つめている慎也のさらに向こう側を見ているように遠くなる。
「鍵を職員室に返すことで、自分たちはもう学校にいない人間となります。であれば、当然大きな声は出せません。それはつまり、どんなことがあろうとも、そう簡単には助けを呼べないってことです。ねっ、絶好のチャンスでしょ? あれを逃す手はありませんでした。最初はこの部室で会う予定でしたが、それをおれが、上に変えてもらったんです」
三階の演劇部部室ではなく四階の音楽準備室に。そうして圭一郎は部室の窓を開け、遺書を残すという細工をしたのである。
「あの日、雪絵について部長さんに問い詰めました。ああ、別に最初から殺すつもりなんてありませんでしたよ。確かにこの部室から飛び下りたようにする準備はしましたけど、窓を閉め忘れるぐらい日常的にあることだと思うし、紙が机に置いてあることぐらい大したことじゃないでしょ? あれは本当に最終手段のつもりでしたから」
死体が見つかったからこそ、部室にあった紙が遺書として扱われただけで、事件が起きなければ日常の風景に過ぎない。
「ああ、ネタ帳は部室に置いてあった鞄から取り出しました。さっき言った理由で持ち帰って。で、二人きりになって、音楽室で問い詰めた結果、ようやくはっきりしました。雪絵を自殺にまで追い込んだのが、部長さんの仕業だということが。だから」
殺した。
「部長さんね、入院して不在だった間に、どうも雪絵に自分の座を奪われたって思ったみたいです。嫉妬ですね。それはあの偽物の遺書通りなんですが」
四月の新入生歓迎会の舞台から、麻美は自分の居場所を雪絵に取られた。だからそこ報復として、いじめを繰り返すようになったのである。
「最初は無視をするとか、冷たく接するとか、その程度だったらしいです。しかもそれは、以前の仲がよかった人間同士だからこそ分かる程度のものでした」
以前の二人を知らない圭一郎には、察することができなかった。
「けどね、部長さんにどれだけひどいことをされても、雪絵が全然めげないもんですから、部長さんも段々向きになって、いやがらせをエスカレートさせていったそうです。部長さんも部長さんで意地になったんでしょうね」
そして七月三十日を迎えることとなる。雪絵が旧校舎の階段から転倒した日。その日を境に、雪絵は家に閉じ籠もる生活がはじまった。
「あれはやはり部長さんの仕業でした。本人はただちょっと押しただけで、雪絵が勝手に落ちていっただけと言っていましたが、そんなはずありません。悪意がないなら、雪絵をそのままにして帰るわけないですからね」
階段から転倒して倒れている雪絵を発見したのは、たまたま旧校舎を見回っていた用務員だった。
「尊敬していた部長さんにひどい仕打ちをされ、そのショックで雪絵は深く落ち込みました。自宅の部屋からもろくに出ることができなくなり、自殺すら考えるほどに。けど、そんな状況をどうにかしようと、雪絵は部長さんに電話したそうです」
電話で、もう一度以前のような仲に戻してほしいと伝えた。自分を階段から突き落とした相手だから、怖かったからもしれない。それでも恐怖に打ち勝って電話をした。自分の思いを伝えたのである。
けれど、その思いは成就されなかった。
「部長さんは雪絵の最後の頼みを拒みました。自分が雪絵に大怪我をさせておきながら、そんなことまるでなかったかのように、いえ、それ以上に雪絵を絶望の闇に陥れたわけですよ。雪絵は部長さんのことを庇って、名前すら出さなかったっていうのに……」
そうして雪絵は生きることに絶望し、死ぬために風呂場で手首を切る。家族の発見が早く、なんとか一命は取り留めたものの、ショックは大きく、ずっと部屋に引き籠る日々。
「実はね、あの部長さん、雪絵が学校に来なくなってから、急におれに言い寄ってくるようになったんです。なんでだと思います?」
その関係をさらに深めようと、麻美は十月八日の練習後に音楽準備室で圭一郎と二人きりになろうとしたが……それが麻美の命を奪うこととなる。
「おれは雪絵のことが好きなんです。雪絵もおれのことを好いてくれたんです。それが、部長さんには気に食わなかったみたいで。どうにかして雪絵からおれを奪おうと、それだけのために言い寄ってきたんです。ただそれだけのために」
圭一郎は目の端に涙を溜めていた。今は唇を強く噛みしめ、両の方を力いっぱい握りしめる。
※
壁にかけられた時計は午後二時五十分。演劇部の舞台まであと十分。
「なあ、丘ノ崎、今回のことは、とても辛いことだったと思う」
「…………」
圭一郎に言葉はない。ただ拳を握りしめ、全身を小刻みに震わせている。
「…………」
「でもさ、お前はその辛いなかで、希望を持ったんだろ? こうしたいって思った願いがあったんだろ?」
今はとても残念な世界になったけれど、それを願う通りに変えていこうと、そのために動いていたんだろう?
「言ってみろよ、お前の願い」
「……別に、そんなの……」
「ないって言うんだったら、俺が勝手に決めるからな」
天井を仰ぎながら、とても重いものを絞り出すように息を吐き出す。
「丘ノ崎圭一郎。お前の願いは、永井雪絵の幸せだ」
自殺未遂をして、今は家に閉じ籠もっている永井雪絵のことを今も思っている。だからこそ、心配で今も家に通っているのだ。
「俺は永井を前のように学校に通わせる。必ず通わせてみせる。それは永井のためにも、お前のためにも。なんたって、俺は教師だからな。それぐらいのこと、やってみせるさ」
耳を澄ますと、深く重たく静まり返った旧校舎に、小さな靴音が響いてきた。
慎也はもう一度時計を確認してから、圭一郎に視線を向ける。真剣に、強い熱を持って。
「永井のことは、俺に任してくれ。絶対だ。永井のことは絶対俺がなんとかしてみせるから」
「……そんなの、信用なんてできるはずないでしょ!?」
ぎらつく双眸。今までは力なくうなだれていた圭一郎だったが、座っていた椅子を倒して勢いよく立ち上がる。
「いい加減なこと言ってんじゃねーよ! あんたがしっかりしてたら、雪絵はあんなことにはならなかったんだ! あんたがもっとしっかりしてくれてればな!」
廊下からの靴音が少しずつ大きくなる。
「あんたがしっかりしていないから、雪絵はあんな辛い目に……」
どんどんどんどん大きくなっていって、靴音が演劇部部室の前に止まった。
「どれだけ雪絵は辛かったか……」
廊下から扉がゆっくりと開かれていく。
「雪絵は……」
扉は開かれた。
「…………」
「……圭くん……」
扉を開けた人物は、真っ白なドレスを着た少女。胸元にある花柄の装飾は大きく、ウエストから広がるスカートはとても優雅なもの。その姿、まるで演じられる舞台から飛び出してきたみたいに。
「……ごめんなさいです、圭くん……」
「雪、絵……!?」
「ごめんなさいです」
袖のないドレスから見える腕や顔は病弱なまでに青白く、見る者には着ているドレスも含めて寂しい印象を与えるだろう。髪は肩よりも長く、特徴的なほど大きかった瞳は覇気がなくなったように小さい……しかし、それは紛れもなく永井雪絵。今、演劇部部室に立っていた。
こうして学校に姿を現すのは、夏休み以来のこと。
「わたしのせいです……わたしのせいで、圭くんには辛い思いをさせてしまったです。ごめんなさいです。こんなの、謝っても許されることではないです。それでも、ごめんなさいです」
「お、お前!? どうしてここに!?」
「全部聞いたです……桑原先生に全部聞いたです。さみ先輩のことも、圭くんのこともです」
ずっと家に籠もっていたせいか、危なっかしい足取りながらも、ゆっくりと窓側の圭一郎の元へと近づいていく。
「こんなわたしのために、桑原先生は毎日会いにきてくれたです。わたしはずっと部屋にいるだけで、会うこともなかったです。でも、それでも先生は毎日来てくれたんです。ずっとです」
「えっ!? あ、いや、でも……」
圭一郎だってよく顔を見に雪絵の家を訪れているが、これまで一度しか慎也に出くわしたことがなかった。だから、そんなに頻繁に訪れているのなら、圭一郎にだって分かるはずなのに。
けれど、圭一郎はその事実を知らなかった。
「どうして!?」
「先生はわたしを学校に登校させようと、毎朝迎えにきてくれたんです。いつもいつも。わたしは部屋から出るどころか、扉越しにかけてきてくれる声に一言すら返事をすることもなかったのに、それでも先生、毎朝きてくれたんです」
慎也は毎朝雪絵のことを迎えにいった。教師として、担任として、今は不登校となっている一人の生徒を学校に戻すために。
路頭に迷う生徒を救うべく。
「ごめんなさいです。ごめんなさいです。わたしのせいです。わたしのせいで圭くんにとても辛い思いをさせてしまったです。ごめんなさいです」
少しずつ声が上擦ってくる。その瞳から大粒の涙が。
雪絵は圭一郎に飛びつくようにして抱きついた。
「ごめんなさいです。ごめんなさいです。わたしのために、ごめんなさいです」
「…………」
最初は呆気に取られているだけだった。しかし、こうして自分を包んでくれる温もりに、そしてそのとても大事な存在に、圭一郎の内側からは湧き水のように次々と湧き上がってくる激情がある。
溢れてきたその感情に、圭一郎は一切抗うことができない。
「……雪絵えええぇ!」
声が裏返ろうがなんだろうが関係ない。圭一郎は大声を出し、大声で泣いた。雪絵のことを力いっぱい抱きしめて、声の限り泣きじゃくっていく。
「お前じゃない! お前が悪いんじゃない! おれだ、全部おれが悪いんだ! おれがちゃんと気づいてやれてれば! おれさえちゃんとしてれば!」
「ごめんなさいです。圭くん、ごめんなさいです」
「おれが! おれが! おれがちゃんとできてれば!」
「ごめんなさいです……ごめんなさいです」
「雪絵えぇ!」
今はもう、時も場所も、この世のすべてが関係ない。ただ二人は互いを必要とし、二人は感情に従って、ただただ力いっぱい抱き合っていた。
声を出して、涙を流して。
互いを必要として。
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