『白い森~白虎と雪豹のもふもふ大陸の旅~』スペシャルショートストーリー
市川慈雨/角川ルビー文庫
報告書について
その紙切れに気がついたのは偶然だった。
ダイニングテーブルの上に無造作に置かれていた本の下敷きになっており、普段なら目にも止まらなかったはずだからだ。
ある日、生まれてから少し大きくなり始めたホワイトタイガーのちびトラが、抱いていた俺の腕の中からテーブルに飛び降り、卓上にあった細々した物を蹴落とした。
「あー、ちびトラ。やったなー、もう」
俺は誰に言うでもなく呟きながら、床に落ちた筆記具や何やらを卓上に戻した。その時初めて、本の下敷きになっているよれた紙切れに気がついた。上にあるのは薬草の本だから、俺の書いた何かだろうか。
「なんだっけ、これ。こんなん置いたかな」
ちびトラを抱き上げながら、本の下から紙を抜き出す。紙には几帳面な文字で何やら細かく書かれており、何かの絵も詳しく図解されている。
これは俺の字じゃないな……。こちらの世界の文字はだいぶ読めるようにはなったのだが、実はまだ書く方は習いが追いついていないのだ。要は、俺の字はこんなに綺麗ではない。
誰の書類なのだろうか。今このシュレイクスの家には、タイラーにスターク、そしてネイサンも住んでいるのだ。
勝手に見るのは悪いかな、と思いつつも卓上に置いてある位だから、スタークの隊の機密書類とかではないはずだ。興味もあったので、中身を確かめる為に目を通してみた。
「なになに、えーっと……、『高密度の毛質を再現するには、同じ面積内で虎族用の5倍以上の毛量を必要とする。白い毛並みは、純白、薄墨色、灰色までに、6段階に染色を施し、背中の斑点は3色を使い、腹側と背側にかけての淡い色の強弱にも気をつける』なんだこれ?」
箇条書きに10以上の項目があり、執拗な程に細かく指示が書いてある。下の方にある絵は、よく見ると何かの動物の様だが……トカゲを縦に半分にした様な何かに、半分にした切り口辺りから全体に斑点が細かく描き込まれている様だ。
「むむ……何か動物の生態についてかな? 『爪色は白だが、爪まわりの毛は縦に指の股に沿って黒くする。肉球は桃色に、足裏の毛は濃い灰色を使うこと』。んん? なんだか、随分と毛が特徴的な生き物なんだな……。『腹毛と尻尾の下側が白に近い色合いで、斑点も無い。正面から見た胸辺りにも斑点は無いので注意する』。ふむふむ。『耳は外側を縁取る様に黒く、虎族用と同じ様に』。もしかしてこれ……」
書いてある内容通りに、頭の中に描いた動物……俺はこの紙切れ、いやもう書類というか報告書に近い何かに対して、思いついてしまった可能性に半眼した。
これはユキヒョウについての詳細なレポートである、という事に。
なんだこれ? 誰がどこに出すんだこんな物。俺は少し憤りながら、読み進めた。
『目の色は、中心は黒、外輪は薄い黄色から外側に向けて白になる様に』。珍しい色合いだが、なんだか見覚えがある様なと言うか、……。これは多分俺の獣身の目だ。こんなレポートを勝手に提出されては、俺としても気分が良くない。
今は、タイラーとネイサンは買い物に、スタークは隊の用事で出掛けている。3人が帰ってきたら、誰にどうやって問いただすべきか……、俺が考えていると、玄関の扉を開ける音がした。
「帰ったぞー、チトセ。チビ達はどうしてる? 寝てるのか?」
スタークの呑気な声が聞こえてきた。俺が黙ったままちびトラを抱いているのを見ると、スタークはクッションの中に埋もれる様に眠っているチビちゃんを優しく抱き上げ、身体をゆっくりと揺らしだした。
「どうしたんだ? ちびトラは起きている様だが……、何かあったのか?」
こちらに振り向きながら訝しげに聞いてくる。
「……これ、何? スターク知ってる?」
無表情に俺が紙切れを突き出すと、彼は受け取って内容を確認しだした。
「ああん? 毛量……毛色……斑点……なんだこりゃ、チトセか? あ、いや」
真剣な表情で読んでいたスタークだが、急に言葉を止め、口元を歪め小刻みに身体を震わせ始めた。
ぎこちない動きでチビちゃんを再びクッションの上に寝かせると、こちらを向き、震えながら片手で額を覆う。
「クックック……、ウワハハハ!」
俯きながら小さく震えていたのが、突然、爆発的に笑い出した。
「タ、タ、タイラー、あいつ……! マジか!」
何故か大爆笑を始めたスタークは、膝を叩きながらテーブルに置いた紙切れをタップした。
「チ、チトセこれ……これ、なんだかわかったか?」
わからないから聞いたのだが。俺が無表情のまま睥睨していると、笑い過ぎて涙を滲ませながらこちらを見ていたスタークの笑いが徐々におさまってきた。暫く見詰め合っていたが、無言の俺に漸く気がついた彼が恐る恐るといった様子で口を開いた。
「もしかして、わからなかったのか? てか、何だと思ったんだ?」
「それがわからないから聞いたんだけど」
俺の冷たい返答に、驚いた表情に変わったスタークが眉間を揉みだした。
「あー、これな。あれだわ、タイラーが書いたんだよ」
そういえば、俺はタイラーの書いた字を見た事が無かったかもしれない。テーブルの上にあった紙切れを手に取り、几帳面そうな、それでいて綺麗に揃った文字に目を落とした。
「タイラーが……、そっか。で、どこに出すかわかる?」
「え? ああ、これはメモだな。多分下書きだろうな」
「ふうん。で、清書どこに出すんだよ?」
俺がつっけんどんな言い草をしたにもかかわらず、スタークは表情に笑いを深く滲ませた。
「考えてみろよ、チトセ。タイラーが、ユキヒョウの毛並みの詳細を、誰かに伝える必要性。最近、必要になっただろ? 覚えはないか?」
俺は紙切を持ったまま、最近の出来事について思考した。
チビ達が生まれてからは、俺は殆ど家から出ていない。タイラーは隊の仕事から抜け、何くれとチビ達の面倒を見てくれている。出掛けるのは、買い物位だろうか。
そんなタイラーが何処にコレを?
最近の買い物は、食材にオムツの布に……、たしかヌイグルミの発注にも行っていたはずだ。チビちゃんにはユキヒョウを、と思ったらオーダーメイドになるから時間が掛かりそうだと言っていた……ユキヒョウのヌイグルミ。
まさか。
俺は再び紙切れを視線を落とす。
『タタ、タイラー! あいつ、マジか!』
先程のスタークの声が、俺の頭の中を木霊した。
ヌイグルミのオーダーシートとして考えながらメモを読んでみる。
毛量、毛色、斑点……細かい、細かすぎる。毛並みについての指示が詳細過ぎて、神経質な学者のメモの様だ。ヌイグルミのオーダーにこの要求は、どう考えてもやり過ぎだ。
タイラー、こんな字で、こんな風に書くんだな……几帳面、というか完璧主義だろうか。たしか獣人というのはもっと大らかな生き物だった気がするのだが。
スタークの方をチラッと見ると、両手を腰に当て首を横に振っている。吹き出しを付けるなら『奴は特別だ』だろうか、そんな表情だ。
「さっき言ったけどな、多分これは下書きだ」
彼の呟きの様な声に、俺は唸った。
「奴は隊の報告書もいつも神経質……いや、行き届いたのを提出していて有名なんだよ。しかしな、まさか、ヌイグルミの発注にまで……」
そこまで言うと、思い出した様にまた肩を小刻みに震わせた。
「これが、ヌイグルミの発注に……」
繰り返しながら、震えを深くしていく。
そんなスタークを見ていた俺もまた、腹の底から笑いが込み上げてきた。
その時、今まで大人しくしていたちびトラが腕の中で身動ぎ、『ブミュー』と渋い声で一声鳴いた。 ちびトラもタイラーの発注には思う所があるのだろうか。
それを聞いた俺達もう我慢出来なくなり、弾ける様に笑い出す。
「アハハハ! タ、タイラーやり過ぎ!」
「ブハハハハハ! ヒーッ! ダメだもう、これを書いてる奴の真剣な顔想像してみろよ、チトセ! これヌイグルミ完成までどんだけかかるんだよ、ありえねえぞ!」
俺は笑い過ぎて痛む腹を抱えながらしゃがみこんだ。同じく中腰の姿勢のスタークに引き寄せられクッションのある絨毯に転がると、思う存分に笑い転げた。ちびトラごと、スタークの彼の腕の中でも涙が出てる程に笑った。
「たっだいまー! たくさん買ってきたよー、今日はビフカツが食べたいなーって、……どうしたのさ、2人とも。なんか面白い事でもあったのか?」
ネイサンがテーブルに大きな籠を置きながら、未だに笑いが止まらない俺達を珍しい物を見る様な目で見た。涙で滲む目でスタークを見ると、彼は人差し指を唇に当ててウインクを送ってくる。これは、秘密の合図だ。
「いや、ちょっとタイラーの話をしてたんだよ」
先に立ち直ったスタークが、ちびトラをクッションに放ち、俺を抱きしめながら言う。
「そっか、いいなー楽しそうで。俺も仲間に入れてー!」
飛び込んできたネイサンを受け止めたスタークだが、2人に挟まれた俺からは『グェッ』と変な音が漏れた。遅れて家に入って来たタイラーに助け出された俺は、手の中にあった紙切れを、卓上にある薬草の本の間に挟んだ。
「おかえり、2人とも。夕飯はビフカツだって?」
俺の声に嬉しそうに頷くタイラーの背後から、ネイサンの『イェーイ! 楽しみー!』という声が聞こえて来る。
夕飯の準備でガル牛の肉を叩きながら、さっきの紙切れの事を考える。なんだか、タイラーの隠された一面、というか性格の一端を垣間見た気がする。確かに意外ではあったが、彼らしいと言えば彼らしいのだろうか。
一つ言えることがあるとすれば……、チビ達の名前が決まるのは、もう少し先になりそうだ。
いいじゃないか、時間がかかっても。今のこの時をゆっくりと楽しもう。時間はたくさんあるのだから。
おわり
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