世界の夜――女=<大他者の>享楽に至る者
ヘーゲルは『イェーナ実存哲学』に収録されている論文の中で、『抽象的否定性』たる純粋な<自身>のこうした経験、「(制定された)現実の蝕」、主体がこうして自身へ収縮することを、「世界の夜」と描写している。
人間はすべてをその単純な形で含むこうした夜、こうした空っぽの無であり、様々な表象やイメージといった果てしなく豊かなものは、何ひとつ人間の中にはない。もしくは表れていない。この夜、人間性の内面、純粋な自身として幻想的な表象の中に存在するものは、あたり一面の闇であり、あるところに血まみれの顔がさっと現れたりするかと思えば、また突然その前に蒼白な顔をした恐ろしい幽霊が現れて消えて行く。人間の目を覗き込めば、この夜を見ることができる。恐ろしいこの夜を。
――Donald Philip Verence『Heagel's Recollection,Albany,』P7-8
象徴的秩序、<ことば>、ロゴスの世界は、この深遠を経験してはじめて生まれる。ヘーゲルの言うように、純粋な自身の本性は「存在し、対象となり、それ自身を内面と対決させて外的なものになり、存在へと回帰しなければならない。名を与える力をもつ言語がこれを行う。[……]名前をもつことにより、一つの存在としての対象が『わたし』の中から生まれ出る」。
ここで見落としてならないことは、ヘーゲルが啓蒙主義の伝統から離れていっていることが、まさに主体に対する比喩を逆転している点に認められることである。主体はもはや、不透明で貫くことのできない<もの>(<本性><伝統>等)と対立する<理性の光>ではない。まさに主体の核、ロゴスという<光>のための空間を開く身振りは、「世界の夜」たる絶対的な否定性なのである。
『精神現象学』の中に、間違いなくヴァイニンガー風の色合いが感じられる部分において、ヘーゲルは<普遍>と<特殊>の間の否定的な関係を、まさしく倫理的共同体の「内なる敵」である女を通して式に表している。
共同体は、家族の幸福を妨げ、自意識を解体させ普遍へと高めることによってしか自らの存在を得られないため、共同体は自らが抑圧するものの上に成り立つと同時に自らにとって本質的なものの上に成り立っている。それは概して女というもの、共同体の内なる敵である。共同体の永遠の皮肉である女は、政府の普遍的な目的を、陰謀によって個人的な目的へと変えてしまう。
ここで引用した一説でさらに印象深いところは、批評家らがヘーゲルの致命的な欠点だとして力を入れて批判している点こそを、ヘーゲル自身は弁証法的展開に不可欠な部分だとして提示していることである。その点とは、アウフヘーベンの後にはあるものが残ってしまうことである。止揚された後、家族と普遍的な共同体の間にある否定的な関係は、さらに家族そのものにも反映される。
それは、普遍的な共同体に対して「永遠の皮肉」をもって否定的な反応を示す女という形をとって現れる。女は皮肉な味方によって、社会の幸福に関する尊大な発言の中に、それを主張する人間の個人的な動機を見抜く力を持っている。
ヘーゲルは、女は個人的な狭い視野しかもたないと断定しているように思われる。女は社会生活の普遍的な目的の真の重みを理解できず、そうした目的もすべて個人的な目的を実現するための手段にすぎないと捉えるというような、共同体の「内なる敵」であるというわけだ。しかし、これは片手落ちな見方に過ぎない。まさにこの社会の「内なる敵」の立場にあるものが、社会の全体性そのものの見地に内在する限界を暴露する、崇高で倫理的な行為を行いうるのだ(アンティゴネーがその例である)
長くなった、そろそろ本章を終わらせよう。
象徴的な仮面の奥にある、「永遠に女性的なもの(ゲーテ)」――は「男根ロゴス中心主義」の支配から逃れる女性の実態からなるということだと思われる。その裏返しの結論として、もしも仮面の奥に何も見つからないのなら、女は完全にファルスに従属していることになる。ラカンは、真実はこの逆であると述べている。象徴以前の「永遠に女性的なもの」とは、いわば父権制が過去にさかのぼって抱いた幻想であると言うのだ。つまり、<ファルス>の支配の地盤は<例外>だということだ(元来は母権制の<楽園>があったという人類学の観念のようだ。)<ファルス>に対する例外が欠如しているからこそ、女のリビドー経済は筋が通らず、ヒステリカルなものになり、かえって<ファルス>の支配が危うくなる。したがって、ヴァイニンガーの言葉を借りれば、女が「すべての対象から犯される」とき、ファルスがこうして際限なく拡大されることこそが、<普遍>の原理としての<ファルス>を、そしてファルス自身の根拠となっている<例外>を危うくする。
さて、お待ちかねの結論の部分である。このようにヴァイニンガーを揶揄していった結果、彼が信奉する反フェミニスト的なイデオロギーの機構――女はファルスの享楽に完全に服従しており、男は<ファルス>を越えて脱性化された倫理的な目的の領域に至ることができる――が覆されてしまうという逆説的な、しかし必然的な結果に行き着いた。つまり<ファルス>に完全に服従しているのは男であり、女は、筋の通らない欲望によって、「<ファルス>を越えた」領域に到達する。女だけが、<大他者の>享楽に至ることが出来るのだ。
ヴァイニンガーはこれを認める代わりに自殺を選んだ。自殺は、抑圧されたものが復活しえない、唯一成功を収められる抑圧の形である。彼は自分の奥底ではどこか、無意識のうちに、それに気付いてしまっていたのだ。かわいそうなオットー・ヴァイニンガーよ、来世は美少女に生まれてこい!
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