少女性<瞬間なる永遠>

 タカハシマコの作品に共通する点として、毒がある。精神をじわりじわりと蝕んでいくような毒が。百合姫コミックスから出ている短編集『スズラン手帖』、鈴蘭に嘔吐や頭痛等々を引き起こす毒があるのは周知のことだが、それをタイトルに持ってくるくらい重要な要素というわけなのだ。そしてもう一つ百合においての重要なモチーフもよく描いている、それは少女性である。それはあのかわいそうなキルケゴールがよく知っていたことであり、憂鬱の青年は永遠の恋人レギーネだけではなく、少女一般に憧憬を抱いていた。大人の女性に観られる冷却した表情とは異なり、少女に透明な反射作用と、ある種の冒しがたい気品、高過ぎる値札の付いた商品を前にして思わず後退してしまうときの畏怖にも近いものを認めていた。少女の秘密性――「世界の外交上のあらゆる秘密など、ひとりのうら若い娘の秘密に比べたら、いったい何であろう。秘密ほど、多くの誘惑と多くの呪いにつつまれたものはない」反ヘーゲリアンである彼。神の前に罪あるものとして、単独者と立つ精神は、ちょっとキモいくらいに少女性を評価していた。


 水の泡に誕生したばかりの14歳の少女レギーネ「彼女は美しさの絶多様にあった、若い少女の発育は少年のそれとは意味が違う。少女は生長するのではない、少女は誕生するのである。少女は長いあいだかかって誕生し、生長して誕生するのだ。この点に少女の無限の豊かさがある」。キルケゴールの手紙を読み進めて私は、ボーヴォワールの「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」のパラフレーズとして「女は少女から生まれるのではない、終わるのだ」、そう頭に思い浮かんだ。


 鈴蘭の如き美しい少女性と、少女の秘密の如き忌まわしき毒がタカハシマコの作品には流れている。百合姫コミックスの短編集『乙女ケーキ』から、『タイガーリリー』を紹介しよう。

 二人の老婆の物語だ。老婆は結婚し、子をもうけている。にも関わらず、少女の姿で描かれている。これは老婆が年を取っても老化しないということを表現しているのかというと、そうではない。幻想的な少女性への要請に基づく姿が現象しているのだ。そして老婆たちは近頃昔の夢ばかり見る、幸せだったころ――演劇に励んだ青春のころを。トラはゆりに学生時代、最後の演劇の大会の主役であるヒロイン役を、後輩であるゆりに取られてしまう。ゆりの素晴らしい演技に見惚れ、悔しさに毒づくトラに、ゆりはトラがタイガーリリー役をずっと練習していたのを知っていると返す。トラのことを素敵だと、ずっと見ていたと。そしてこれからも永遠にと言って目を閉じることを求める――そして娘の声がして、甘美な夢はそこで終わる。


 娘――はおばさんの姿をしており、おじいちゃん、すなわち老トラの夫の四十回忌にお寺に行くのよと言うが、トラはそんな昔の人のこともう覚えていないものと拒否する。そうすると、老ゆりがやってきて――私がやるからと申し出、娘は退散する。卵焼きは甘いのがいいのよねとトラに聞き、良く覚えているわねと言うゆり。トラの好きなことなら何でも覚えている、好きな花、好きな色、好きな歌。思い出話をしながら食事をする二人。「私永遠に忘れないわ あの日のタイガーリリーを」「タイガーリリーだなんて、私とトラさんの心が触れ合ったような名前なんですもの」それに「配役を決めた寺尾先生を恨んだわ ダジャレじゃない!」と呆れるトラ。「…ああ、ごめんなさい。――…寺尾ってどなたでしたっけ…?」「……なに…言ってるのよ…あなたの亡くなった旦那様じゃない」ゆりは自分の旦那のことを忘れていた、覚えているのは、トラのことだけ。私を好きだと言ったクセに、卒業してすぐ寺尾先生のところへお嫁入りしたじゃないと非難するトラ。トラのことなら何でも覚えていると――好きな人は、寺尾先生。ゆりは思い出す、寺尾先生に下級生に口吻をされたことを打ち明ける。トラは怒り、ゆりを追い出す――、そうして暫く経ち、あんな言葉真に受ける事ないじゃないと、娘に教えて貰った携帯電話でゆりに連絡をするが、ゆりはトラのことすら忘れてしまっていた。「あの…どなたでしたかしら……?」トラは自分がタイガーリリーであることを告げる。


 ゆりが亡くなり、トラは元気がなくなり物忘れも激しくなった。近頃昔の夢ばかり見る。あのときゆりがどんな風にトラに触れたのか、もう覚えてはいない。ゆりのことももうすぐ忘れてしまうだろう。しかしただ触れ合った事実は残る。それだけが永遠なのだろう。誰が忘れようとも、誰が覚えていようとも。そこで話は終わる。


 例え病床に伏していようと、ある人を思う瞬間は少女のままである。逆説的にも、彼女達は老婆になって記憶を失っていく中――真に輝かしかった瞬間がすべてになり、少女性を取り戻す。老婆という<症候>から吹き出すもの――二人の老婆が少女の姿で描かれるのはその幻想的な要請に基づいている。二人は男性と結婚している、にも関わらず、旦那のことを忘れてしまっている。そこにあるのは、稲妻が走ったように鮮烈なあの日のタイガーリリーへの憧憬。タカハシマコの凄いところは、老婆を描くことで、より純粋に少女性を表現している点だ。遊戯王GXのヘルカイザー亮のすばらしき名言「瞬間は永遠となるのだ」を地で行く作品である。

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