リベラル・症候・裏切りの罪

 コダマナオコは、百合姫の連載陣の中でもとりわけ<症候>モードのイデオロギーを貫いて描くまんが家である。ここでは彼女の2014年の作品『コキュートス』から<症候>について解説しよう。『コキュートス』は透明な嵐吹き荒ぶクラスの中で浮かないように、異端にならないように注意深くコミュニケーションを取る少女と、全く空気を読めない――読まずに孤立する少女との物語である。


 クラスではマニアックな芸能人やアニメ――他にも変とされるものを好きなのは忌避される。空気を読めない、冗談が通じないのも駄目とされ、LINEの返信が遅い、恋愛に興味がない――なおかつ、男に媚びすぎてもいけないという透明な不文律の「コード」に支配されている息苦しい空間だ。そんな中、主人公の椎名はやってられないと思いつつも、周りに合わせてその「コード」に従っている。そんな中、無愛想で空気を読まず透明な「コード」に従わないクロネコさんが転校してくる。「コード」に従わないクロネコさんは瞬時に異端と見分けられ、あらぬ噂を立てられ嫌がらせを受ける。主人公はそんなクロネコさんを馬鹿だと思いつつも、その真っ直ぐさに惹かれていく。不文律を再確認するような空虚な身振りではなく、不躾なほど真っ直ぐに自分を見つめてくるクロネコさんに動揺する椎名。それ以来、人の観ていないところでクロネコさんと話すようになる。社交辞令や些末な嘘さえも頑なに許さず、不器用で愚直なまでに純粋なクロネコさん。どうしてそんな彼女と、危険を(クラスから排除される)冒してまで一緒にいるのか自問自答する椎名。ある日雨宿りの為にクロネコさんの家に行き、そこで衝動的に椎名はキスをする。最後まで――セックスをしようとするが、生理だからとゆるやかに拒まれる。


 場面は変わり次の日の学校で、クラスの女子からクロネコさんと最近仲がいいことを糾弾される椎名、場を切り抜ける為に「別に仲良く…ない、し?」と口走るが、それをクロネコさんに聞かれてしまった。「仲良くないんだ。うちに来てキスまでしたのに?」と衆人環視の中、事実を告げるクロネコさんに勘弁してよと思う椎名。クラスの女子にからかわれ、文房具を投げつけて反撃をするクロネコさんについていけない、少しのごまかしもなしに生きていくなんて私には無理だと、距離を取る。クロネコさんに排除の手が回った事により自分がハブられずに済んだ事に安堵しながらも自己嫌悪に陥る。加速する嫌がらせを見過ごせずに、手を差し伸べる椎名。クラスで異端とされない為に嘘をついたり愛想笑いをして汚れていく自分達とは違い、傷つきながらも高潔に生きるクロネコさんに「生理じゃなかったらもっと先までしてたって言ってたじゃん 今日は?先までできるの?」と聞き、承諾される。やましくて主人公は、好きだから触れたいとは言えなかった。関わると不都合が生じるはずなのに、彼女を前にすると普通ではいられなくなるのは何故だと、触れながら自問自答する椎名。


 これでもかと<症候>モードで作用するイデオロギーが全体を貫いている。まず主人公の椎名は、不文律をバカバカしく思いつつも受け入れ服従している。この象徴的秩序=<大文字の他者>に対する椎名の態度は、政治的にはリベラルだ。リベラル-症候に陥っている。普遍的イデオロギーの主張を真剣に受け止めてしまう。それに対するクロネコさんは象徴的秩序への<外部>からの侵入者であり、秩序を撹乱する彼女に対して、クラスの女の子達はヒステリーを起こす……。が為に、透明な嵐となってクロネコさんを排除しようとする。誹りに対しての反撃、ロベスピエールの「神的暴力」のスローガン「正義はなされよ、よしや世界が滅ぶとも」の実行者であるクロネコさんは、抑圧された何かが吹き出す例外的な存在であり、理性の狡知の権化である。

 感動的なフィナーレへと進もう。行為が終わったあと――つまり、既に椎名が<象徴的秩序>の支配を脱したあと、クロネコさんが猫に餌をあげているのを目撃する。クロネコさんは猫を飼いたいなと思っていつも餌付けをしているが、全然なつかないと言い、実際そのとおり猫はすぐに去っていく。「ホントだ、気高いね。なんかクロネコさんみたい」とつぶやく椎名に――「私は…椎名さんを好きになったよ」と絶対に真実しか言わない彼女の言葉。その重みに泣きそうになる椎名の姿で幕を閉じる。


 タイトルのコキュートスとは、ダンテの『神曲』の地獄の九圏、嘆きの川コキュートスを指す。ここは裏切り者の地獄であり、最深部である第四地獄ジュデッカにはイスカリオテのユダが堕天使ルシファーに苦しめられている。では、椎名は何を裏切っているのだろうか?何に対しての裏切りなのだろうか?クラスの透明な象徴界に背くゆえに地獄へ行くのか?(クラスの異物であるクロネコさんに惹かれる事で、クラスから裁かれる)。答えは当然――否!それは、自分の欲望に対して譲歩することへの打算的な裏切りであるがゆえに、彼女は地獄で苦しむのである。


 もう一点、コダマナオコが偉い点として、捏造トラップ-NTR-という物議を醸しそうな――いや実際にそうなったのだが、誤解を招きかねない作品を臆せずに発表するその益荒男の如き精神にある。捏造トラップを森羅万象主義のパイセンであるユングが読んだなら、「男には解らない、男を除いた少女たちだけの体験領域を表している」と評したに違いない。


 デーメーテールとペルセポネーの神話からコダマナオコの慧眼を解説しよう。花を摘んでいたペルセポネーを冥界の王ハデスが融解し、無理やり妻にする。デーメーテールはペルセポネーの叫びを聞いて世界中を探し回り、そして、ハデスの誘拐のこと、しかも誘拐計画にゼウスが関与していることを知る。激怒したデーメーテールは天界を去り、この為に地上を飢饉が襲う。説得に当たったゼウスに、デーメーテールは娘が戻るまで大地に実りはないと宣言する。ゼウスはハデスにペルセポネーを返すよう命じるのだが、既に冥界の柘榴の実を食べてしまった彼女は、完全に母のもとには帰れない。結局ペルセポネーは一年の三分の二をデーメーテールと過ごし、残りの期間をハデスと過ごすようになった。こうしてペルセポネーが母のもとにいる間は大地が実りをもたらし、後の期間は枯れ果てるようになったのだ。


 この物語の一つの骨子は、デーメーテールとペルセポネーが、ゼウスやハデスといった男たちを仮想敵とみなしながら、母娘関係の結託を深めるという戦略をとることにある。ここでは母娘関係だが、これを由真と蛍の関係性に還元してみよう。味方を変えれば、仮想敵(藤原)の存在は、彼女達の関係をいっそう強化するように作用しているのではないか……?しかし、だからと言って、百合に混ざりたがる男は……ヴォルケイン、サンクションズチャージ……!(ここでヴォルケインが地下から出てくる)

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