歴史の終わり、ゆるゆり

 今現在の百合ブームの大きな立役者と言っても過言ではない作品、それがゆるゆりだ。アニメも3期まで制作され、OVAも作られている。<フェティッシュ>モードで機能するイデオロギーが流れる作品としては、最大の人気を博すものであることは間違いないだろう。私がわざわざ説明する必要もないほどに有名だろうが、この作品の世界観はこうである。フェティッシュ<原因=大義>が世界精神となって世界を啓蒙しきった後のユートピアだ。そこでは緩やかな美しい時間が流れる……。登場人物は皆美しい少女達で、個性豊かでありながら優しさに溢れている。レスボス島のサッポーはこのような世界を夢想していたのかも知れない。


 この作品を貫く崇高なるイデオロギーを作者のなもりはとことん意識している。なぜならば、ゆるゆりの世界は閉じられており、主人公であるあかりちゃんや、歳納京子をはじめとするごらく部のメンバー、この世界の人間は年を取らない……。同性愛であることにさして葛藤もせず、皆ゆりゆりしつづける。イデオロギー的大義のヘゲモニー支配が美しく夢想されている。理想そのものであるがゆえに、閉じられた世界として変化もせず、時間は循環し、幸福が持続する……。


 1990年代にフランシス・フクヤマが示したユートピアは二度死ななければならなかった。9・11によってリベラル民主主義の政治ユートピアは崩壊したが、グローバル市場資本主義の経済ユートピアは揺ぎはしなかった。2008年の金融大崩壊に歴史的な意味があるとすれば、それはフクヤマが夢見た経済ユートピアの終焉のしるしであるということだ。そうして死体を切り刻むように――2016年のアメリカ大統領選によってほんの僅かな望みすら経たれてしまった。歴史とは几帳面なもので、一つの形態を葬るにしても何度も段階を経るようになっている。アイスキュロスの悲劇『縛られたプロメテウス』のなかで深手を負って命を落とす悲劇に至ったギリシャの神々は、ルキアノスの『神々の対話』で、いま一度、この度は喜劇的な死に方をしなければならなかった。歴史はなぜこのような方向へ進むのか。それは人類が自らの過去と明るい気持ちで決別できるようにである。トランプ政権に対しても、このような明るい歴史の運命に従うよう、われわれは要求する。


 「変わらない毎日がまだまだ続くんだ」これこそフクヤマが撤回しなければならなかった虚構の歴史の終焉ではなく、崇高なるまことの歴史の終焉のスローガンではないだろうか。

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