序論 理念の持つ物質的な力

 革命とは、現状の秩序を打ち砕く崇高な<力>が発現する出来事である。革命と言えばおたくの皆様が真っ先に想起するものがあるだろう――「少女革命」


 そう、言わずと知れた幾原邦彦の代表作にして、百合アニメの金字塔とも言うべき野心作、「少女革命ウテナ」のことを我々は思い出さずにはいられない。幾原邦彦が、世界を革命する力を求めて少女が闘い、少女と愛し合うアニメを作る必要性があると感じそれに従いビーパパスを率いたこと。それは究極の政治革命を達成するために性的革命が必要だと説いていたサドには、すでに承知のことだった。


 ラカン理論の欲望の諸関係は、身体的部位に牽引される異性愛主義からは、原理的に解き放たれている。こうしてみるとこの公式は、普遍の挫折と不可能性(すなわち斜線を引かれた存在が抱える不連続)を看過することなく、人の心理を、そして人が構成する社会を説明しえた理論、まさにフェミニズムが待望していた公式と言えよう。

 言うまでもないが、レズビアン――百合に関しては、フェミニズムの影響が非常に大きいものだ。女性的な権利向上活動は、エンゲルスや毛沢東主義に見えるように、革命的なイデオロギーと結び付いてきた。そうすると逆説的に、百合に関しては革命的な属性を必然的に持つ……。本論全体の見取り図を簡単に示しておこう。まず、百合についてラカン理論で論じていく中、それらと親和性の高いフェミニズムを媒介に、労働者の権利解放と共にフェミニズムが展開されてきたことを考慮し、マルクス主義の観点も取り入れ、三つのパースペクティブを交差させる。そうして浮かび上がった百合という妖怪の輪郭を、社会学者アンソニー・ギデンズのセクシュアリティ論をベースに考察し、それがどうやって現実に働きかけ、その影響が再帰的に百合に還元され、ある種のエネルギーが生まれる様相を捉える。特にフロイトの思想と共通点の高いレーニンの力の哲学をモデルに、崇高なる理念が物質的な力を帯びていく様を弁証法的に纏め上げる。


 ラカンの晩年に出されたボロメオの結び目は、これ以上彼によって展開されることはなかった。思えば、言語に規定された存在である人間が、その過剰さを個々の心的作用の中で循環的に宥めうるというのは、あまりにも非現実的で楽観的な見取り図である。暴力とそのトラウマは、いまだに世界中で日々猛威を振るい、更なる破綻を引き起こしている。だからむしろ、四つの輪からなる非ボロメオ的結び目のほうを生かして、その第四の輪に<資本>を当てはめたらどうだろうか。事実、現在神が呼ばわれ、宗教が再燃する場面で真に問題になっているのは、性的差異ではなく、グローバル資本の跋扈とそれがもたらす経済格差が呼び起こしている未曾有の悲惨と緊張である。


 三つの輪のみからなるボロメオの結び目においては、想像界と象徴界、象徴界と現実界、想像界と現実界は、それぞれ前者から後者に投射される「制止」「症状」「不安」によって連結されており、この循環性からは、現存の象徴界のドラスティックな変容は望みえない。しかし、第四の輪を断ち切れば一体性が壊れる非ボロメオ的結び目のほうは、資本の歴史性を読み解き、その構造の暴力性を言挙げすることで、それに絡まっている象徴界・想像界・現実界の現在の愛用に対して、異議を申し立てることができる。


 弁証法的唯物論――マルクス主義のスローガンがあるとすれば「理念の持つ物質的な力」である。その意味で、過去の時代よりも更におびただしく資本が跋扈している今こそ、精神分析と資本主義、すなわちフロイトとマルクス、そしてラカンとレーニン――フェミニズム、それをラディカルに、楽しく実践する場としての百合が求められているのではないだろうか。


 私は百合を、虚構世界に終止符を打つ、原初たる絶対の強き力であると信じている。

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