崇高なる力の百合論 ラカン・レーニン・ヴァイニンガー
川崎めて仟(MIDレーナー・メイジ)
はじめに
いきなり広がる虚空。天頂。また夕方だ。夜でなければ夕方だろう。不死の日がまた死にかけている。一方には燠。一方には灰。勝っては負ける終わりのない勝負。誰も気付かない。――サミュエル・ベケット
一つの妖怪が日本に現れている、――百合という高潔な花の名をした妖怪が。
本稿『虚構世界に終止符を撃て!! -百合と革命- 崇高なる力の百合論β』は、今やおたく文化における一大ジャンルとしての地位を獲得した百合文化について論じた記事である。だが本論はβとあるように、綿密な検討に入る前の、十分に固められ体系的で整合的な理論として打ち出される前の思考のラフスケッチである事を最初にお伝えしておく。将来的な完成を目指す為の準備であり、ゆえに統計的な裏付けや引用元の明示が欠けており、注釈を都度挟まない事をお許し頂きたい。話半分程度に受け取って頂きたい。だが本論が百合好きの皆様にとって、更に楽しく萌えられるようなパースペクティブを提供出来たら幸いだ。
百合の歴史は決して浅くはないもので、一般的になったのは00年代前半『マリア様がみてる』のブームの辺りからだが、現在のおたく文化としての百合の発端は、少なくとも吉屋信子等の戦前の少女小説、女学校における生徒同士のエス的関係にまで遡れる。女性同士の愛の関係を「百合」と称することは、雑誌薔薇族に設けられた「百合族コーナー」という女性投稿欄に由来し、ゲイセクシャル「薔薇族」に対して「百合族」すなわち女を愛する女たちというカテゴリーを形作るに至ったというのが定説である。(ユリイカ特集*百合文化の現在 川崎賢子『半壊のシンボル』より)
それなりには歴史があるにも関わらず、百合というものは未だどこか掴みどころがない神出鬼没の妖怪のような存在である。例えば、一昔前のネット掲示板では、百合の定義についての論争がしょっちゅう行われていた。性的接触を行えば百合ではないのか?年齢は?思春期の一過性のもののみを指すべきか?プラトニックな感情でなければいけないのか?――今でこそそういった定義についての論争を見る事は減ったが、少なくとも百合の定義は?と問われて、歯切れよく答える事を躊躇する程度には難しい問題だろう。そもそもジャンル、文化、イデオロギー、それぞれで文脈もまるで異なる。近年ますます盛り上がりを見せる百合という徘徊者は、様々な楽しみ方のパースペクティブを提供し、その姿をうつろわざることなく変えていく。
この妖怪のありようを掴もうとして「エモ」「尊い」「巨大感情」等々、新しい言葉で属性を捉えようとする人ほど、本当の百合の魅力の輪郭を見逃してしまいがちなものだ。うつろう新しいものの真の新しさと魅力を捉える唯一の方法は、勇気をもって古きものの「永遠の」レンズを通して見ることだ。それはフロイトから始まる永遠たる精神分析のレンズによって行われる。例えば未だマルクス・ガブリエルよって読み返され息を吹き返すドイツ観念論は、それ自身ヘーゲル用語の<具体的普遍性>として機能する。どこにでも当てはまる抽象的で普遍的な特質というのではなく、新しい歴史状況がめぐりくるごとにモデルチェンジされるべきだという意味で、永遠なのである。
本論では、公平な判断や世間一般で捉えられているような百合に対する見方を退け、党派的な認識で百合を読ませて頂く!――それは何故か?すべての真理は部分的(=不公平)であるというのはラカン理論の一部である。そしてモデルにするのはウラジーミル・レーニンの力の哲学である。百合をヘーゲル哲学における共産主義の理念=世界精神として擁立する。それは「百合」を魂すらも偽る虚構世界に終止符を撃つ為の力として据える事を目的とする。ラカン理論を通して、ギデンズのセクシュアリティ論やポストフェミニズムを下敷きに百合を読む。本論は多くのラカニアン、とりわけスラヴォイ・ジジェクと斎藤環の著書からは殆ど剽窃と言ってもいい程の影響を受けている。とは言っても、出来るだけ密教的とも揶揄されるラカン特有のまどろっこしい表現は避け、普段アニメと漫画しか見ていないようなIQが5くらいのマガジン読者やネクラ族のビョーキのOTACKYでも百合の魅力が分かるように優しく解説させて貰った。
序章 理念の持つ物質的な力
1章 百合のイデオロギー
2章 同性愛者、その崇高性
3章 ジェンダー・セクシュアリティ・フェミニズム
補論1 女、存在しないもの
4章 ヴァイニンガーと闘争領域の拡大
補論2 恋愛――うんここそあげなきゃ
5章 我が道を照らす未来回路
フィナーレ 虚構世界における失くしたものは何ひとつないと願い続ける狂女の孤独
序論では、本論の理念について触れる。1章では、百合姫の百合まんが等を解説し、百合に流れるイデオロギーについて解説する。2章では、同性愛者とはそもそも何かということについて考えていく。3章では、実際の生きている女性やレズビアン達の活動から、百合がジェンダー・セクシュアリティ・フェミニズムに対してどう連動するか問立てる。4章では、逆に女性差別や女性蔑視の観点から百合を探っていく。補論では百合を担う女性とは何か、恋愛とは何かということを解説する。5章では今までの議論を纏めて、それがどう現実に働きかけていくのかの総括を行う。フィナーレは、蛇足かも知れない。だが虚構世界を生きるにあたって有益となると判断し付け加えた。
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