エピローグ 立つ鳥跡を濁さず


 ある私立大学の、研究室がまとめて入れられている建物、通称「ゼミ棟」がある。

 棟の最奥の部屋は、今は誰も使っていない研究室だ。

 室内は埃まみれで資料や段ボールが無造作に積み上げられ、まともな足の踏み場もない。

 その研究室の奥にはもう一つ部屋があり、流し台や冷蔵庫といった生活用品が備えられている。

 かつてこの研究室を使っていた教授が自分用にとこしらえたものばかりなのだが、実際よく使っていたのはこの部屋に寝泊まりしていた学生達だった。

 埃臭い空気を入れ替えようと、立て付けの悪い窓を開けるとキャンパス内を楽し気に歩く学生達の声が聞こえた。

 皆誰もかれもが楽しそうに生きている。


「あっれー先パイ! 珍しいですね、ぼくより先に来てるなんて」

「あー、まぁ……習慣化しちゃってるよなぁ」

「うん? 演技やめたんですか?」

「まあね。今日でここともおさらばだしさ」


 ドアを開けた那澤は文野、もといブライト博士へと声をかけた。


「え~じゃあもう大学来れなくなっちゃうんです? もっと学生生活を謳歌したかったなぁ~、普通の大学なんて滅多に来れないんだし」

「潜入捜査員にしては珍しい意見だなぁ……。普段はもっと色んなところを飛び回ってるんだろう? エージェント・なごむ」

「そりゃまぁ、それがぼくの仕事ですから。とはいえこんなに無責任に毎日を自由に過ごせるのは珍しいですからね。いやぁ~色んなとこの飲み会に行くのは楽しかったなぁ~」


 那澤はあれもこれも面白くて、とブライトに話そうとしたが、それを遮ったのは窓ガラスを叩く音だった。

 二人揃って顔を上げると、そこには一羽のカラスが留まっていた。


「あ、カーちゃん!」


 那澤がカラスに向かってそう呼びかけると、カラスは口を開き喋った。


「キサマアアアッ」

「え、そうなんすか? へー、じゃあカーちゃんももう復帰出来るってわけですね」

「キサマアアアッ」

「よかったじゃないっすか~」

「あの、どうやって会話が成立してるか、流石にオレでもわからないんだが……」


 キサマアアアッとだけしか鳴かないカラスと那澤は会話を成立させているように見えるが、傍から見れば何が何やら……。

 カラスが窓から飛び立つと、那澤がブライトに簡単に説明する。


「今のはK7-8116-2-267っていうウチの職員ですよ。ほら、今回監視対象だった例の女の子の監視をずっとしてたんです」

「……なるほど。本当に日本支部は人外の職員が多過ぎるな……」


 ブライトはううんと唸りながら腕を組んだが、この件については考えても始まらないことだった。

 自分もまた生物にならなんでも人格を移すことが出来る特性故、別段気になって仕方がないという話でもない。


「それにしても、まさかあのブライト博士が出張ついでにこんな潜入捜査に関わってくるとは思いませんでしたよ。気晴らしか何かですか?」

「まぁそれもあるが、別のオレがサイトで出張の仕事を片付けているだろうし。一人や二人がほっつき歩いてても問題ないんだよ」

「色々やらかしたくなりません?」

「そういう時の為の記憶処理だろう?」


 うん? と肩を竦めるブライトだったが、「わあ、職権乱用だー」と那澤はアハハと笑って流した。


「それで、さっきのK7-8116-2-267からの報告は?」

「あぁ、例の女の子……みよ子ちゃん。やっぱり回収されちゃったみたいです。その現場を目撃して、彼女も大人しくついていっちゃったって」

「そうか……流石に向こうの手中に入れられたら、こちらも安易に手は出せないしな」

「それと」



 は消滅したそうです。



 那澤の言葉を聞いて、ブライトは目を細めた。

 今回の潜入捜査はいつもの案件とはまた違う、少しばかりイレギュラーなものだった。


「結局、SCP-268-JPとの関連はわかりませんでしたね。多分あれの派生では……なんて言われてますけど」

「科学とは常にそういうものだろう。仮定と検証を繰り返す日々さ……。それが報われる日は明日かもしれないし、何十年も先かもしれない……」

「しっかし妙なことしないで欲しいもんですよ。よくわからない基準に該当した人間が現れた時のみにだけ出現する〝異常存在〟なんて。ここにエージェントを常駐させるわけにも、そんなに人手足りてるわけじゃないし……」

「だからオレ達は今回の件で一度帰って、また発見が報告されたら再び戻ってくるだけの話さ」

「……やっぱり長期戦は得意なんです?」

「皮肉なことだが、Yesと言っておこうか」


 ブライトはにやりと笑って見せると、鞄を手に研究室の出口へと歩き出す。

 那澤も彼の後を追って部屋をあとにした。

 窓が開け放たれた研究室のカーテンが、風に揺られてはためく。

 その部屋は今までと同じように、人が使ったような、誰かが踏み入ったような痕跡すらもなかった。

 長年誰にも使われていない、寂びれた研究室。

 机の上には一冊の本が置いてあったが、重い表紙は風にめくられることなく微動だにしていない。

 黒革の表紙には、何の題名も刻まれていなかった。




-CREDIT-

K7-8116-2-267の観察ファイル

http://ja.scp-wiki.net/author:7happy7


SCP財団 http://ja.scp-wiki.net/

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

怪異忌譚 是人 @core221

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ