八、カラスが鳴いたら人が死ぬ

カラスが鳴いたら人が死ぬ


 いやあ突然のことで驚いたよね、俺もびっくりしちゃったよ。

 みよ子ちゃんが行っちゃったなーって思いながら、実は君の後こっそりつけようと思っててさ、それで行ってみたら突然爆発が起きるなんて。

 しかも美術館内で、だよ? 不思議なこともあるもんだねぇ。

 そういえば「芸術は爆発だ」なんて言葉があるんだっけ?

 いやでもそれを実行することはないよねぇ、言葉の綾じゃないんだから。

 大丈夫? 俺の声ちゃんと聞こえてる? ならいいや。

 それでさー……。


「……」


 嵯峨の声をぼんやりと聞きながら、みよ子は手を引かれるがままに歩いていた。

 頭はボーっとしたままで、今自分がどこを歩いているのかもわからない。

 嵯峨のお喋りの内容も、実は全く理解出来ていなかった。

 今の彼女には、頭の整理をする為の時間が必要であり、自分が一体何と遭遇してしまったかをしかと受け止めなければならない。


(確か……あの女性が突然現れて、あの女性が絵に触れようとしたのが見えて……あたしは……)


 あっ、と大きな声を上げれば女性もビックリして絵画に触るのをやめるかもしれない。その為になら少しくらいあたしが注目を浴びてもいいや。

 そんなのんきなことを思っていた……ような気がする。

 しかし実際は、みよ子の声は間に合わなかった。

 原理は不明だが、女性が絵画に触れるとその絵画を中心に爆発が起こり、周囲にいた人間や作品、建物が被害を受けていた。


(……そういえば、あの人は)


 しかし、その張本人である女性はというと。

 無傷でその場に立ち尽くしていたような気がする。

 その後彼女がその場を立ち去ったのか、残っていたのかまでは確認出来なかった。

 本当はこの目で見ていたかもしれないが、脳はそれを覚えていない。


「……あの、先輩」

「お、やっと喋った。何だい?」

「……ここ、どこですか?」


 爆発現場への脳内処理が終わったところで、ようやくみよ子は冷静になった。

 自分の手を引いて楽しそうに歩き続ける嵯峨の手を引っ張り、彼の足を止めさせる。


「どこって、そうだねぇ……適当に歩いてきたから正確な場所はわからないけど……。美術館近くの公園、じゃないかな?」


 辺りを見回すと、木々に囲まれた広場にいることがわかった。

 広場中央には噴水が設けられていて、いくつかのベンチには誰も座っていない。

 きっと、先程の爆発音を聞いてここにいた人達は美術館を見に行ったか、場所を移動したのだろう。

 噴水のすぐ脇では鳩が地面をつついていた。


「なんでここにいるんですか? あたし達。っていうか、出てきちゃったんですね」

「そりゃあだって、あのままあそこにいたら警察に事情聴取とかされちゃうじゃん。みよ子ちゃんも面倒なことには巻き込まれたくないでしょ?」


 確かに警察と関わると厄介なことになる。

 身分証明や過去の事件の記録と関連つけられて、あれこれ不必要な憶測を組み立てられるのは経験上知っていた。

 だが、それとこれとは話が別だ。


「人が、何人も死んだんですよ? 目の前で。なのに、あたし達だけが知らん振りしていいんですか?」

「いいんじゃない?」

「どうして!?」


 未だに自分の手を握る嵯峨の手を、みよ子は強く振り払った。

 それを受けても、嵯峨はけろりとして首を傾げている。


「よくないですよ! 人が死んでるのを、見てしまったのに……どうしてそんなこと言えるんですか!?」

「またもう、みよ子ちゃんはホント真面目だねぇ。人なんていつか死ぬんだし、死んだ人達とみよ子ちゃんが友達だったってわけじゃないんでしょう? なら別に」

「他人だから何だって言うんですか!? 人は人でしょ!!」


 喉がビリビリと痛む程の声をあげても、みよ子の声は虚しく消えるだけだった。

 人が死んだ事実と、嵯峨に連れられてきたとはいえ薄情にも逃げてきてしまった自分への怒りで涙がにじむ。

 だが彼女の声や感情をぶつけられた嵯峨は、何も響いていないような態度だった。

 彼の笑顔がそれを証明している。


「う~ん、熱くなってるとこ悪いんだけど、俺にはやっぱりわかんないんだよねぇ。だってさみよ子ちゃん、きみは今回人が死ぬ瞬間を目の当たりにしたから、根拠もない責任みたいなものを感じてるのかもしれないけど、それってどうなの?」

「……どういう意味ですか」

「うん、だからね。俺は色んな話を君に聞いてきてもらったと思うけど、言ったでしょ?」



 ――どんなに奇妙で荒唐無稽な実話を話しても、当事者以外には信じてもらえない。

 ――だからきみに聞いて欲しい。



 嵯峨の淡々とした声が、みよ子の喉や胸を突き刺すようだった。


「俺は今まで、作り話をきみに語ったことはないよ。今まで聞いてもらった怪談は全て実話で、つまりそのお話の中では少なくとも一人の人間が死んでるんだ。……だったら」


 今までその話を平気な顔して聞いてたきみは、いいの?

 嵯峨の細い目がわずかに開き、その目はしかとこちらを捉えていた。

 今になって責任を感じて、正義なんかを振りかざして、そんなの都合が良すぎない?

 嵯峨はそう言っているのだ。


「……あ、あたしは」

「あぁ大丈夫大丈夫、今日は別にきみを追い詰める為にこんな話してるんじゃないんだよ。気にしないで、たかが誰かの戯言だよ。みよ子ちゃんが気にすることじゃあない、きみはそんなこと気にしてる場合じゃないだろう?」


 嵯峨のわざとらしいフォローが体中に突き刺さる。

 そうだ、どんなに正しくあろうと、真面目に、真摯であろうとしても。

 普段の行いがそれらは全て偽善だと突きつけてくる。

 そうだ、最初から自分はそうだった。

 あの時、もう一人のあたしが目の前で殺されるところだって、あたしは何もしなかった。何も出来ず、見ていることしか出来なかった。

 いつまでも彼女の為にも生きなければと、表の世界で人らしく生きようとしていたのも。


「結局、全部あたしの……言い訳」


 今まで平気を取り繕っていた仮面が剥がれて行くように、視界が歪んで暗くなっていく。

 元気で明るい女の子であろうと努めてきたが、それも所詮は仮面だったということだ。

 自分はどこまでも薄情で、自分本位で、人間とも言えない醜い何かでしかない。


「あーほらほら、沈み過ぎだよみよ子ちゃん、だからきみは真面目なんだってば」


 がくんと膝から崩れかけたみよ子の腕を嵯峨は掴み、世話が焼けるなぁと近くのベンチに座らせる。


「だから言ったよね、きみはそんなこと気にしてる場合じゃないって。きみは何しに学校に来てるんだっけ? 何でこっちの、表の世界で必死に生きようとしてるんだっけ?」

「……それ、は」


 自分を見つける為。

 行方知らずになったままの、どこかにいる自分を見つけて、手に入れる為。

 そう弱く口にすると、嵯峨は両手を広げて笑った。


「そうそう、そうだよ! 赤の他人の死に引っ張られてる場合じゃないだろう? 人は自分のために生きないと。まぁもちろん誰かの為に生きることは素晴らしいと評価されることだろうけど、俺はそういう話は頂けないからなぁ……。そういえばあの人も」

「?」

「ほら、みよ子ちゃんを庇ってた人」


 爆風の盾になってくれた、あのおっとりした男性のことだ。


「咄嗟のこととはいえすごいよねぇ、ああいうのすぐ体が動いちゃうって奴なのかな? いやぁ実に美しい! まさに『無辜の少女を救った、忠勇なる男の英雄譚』……はオリジナルの話だった、間違えた」


 そこまで仰々しい話じゃなかったね、と嵯峨は苦笑する。

 一体何の話だ? とみよ子は訝しんだが、嵯峨は何もなかったかのように続けた。


「俺はちゃんと人間が自分の為に生きているのを見るのが好きだよ。そして死んでいくところも好きさ。人一人の人間の命の重さなんて量れるものではないけど、その尊さもよくはわからないけど、儚さだけはわかってる。だから俺は人が頑張ってるところも見たいし、儚く散ってしまうところも余さず見たくなるね」


 だから今日は、あの爆破事故で儚く散った人々をみよ子ちゃんが糧に出来るところが見られてよかった。

 勝手に話を進めて、自分の好きなことを語った嵯峨は、満足そうに笑う。


「どうして、あたしが糧にするだなんて」

「だって、人が目の前で死んだらみよ子ちゃんは頑張れる子なんでしょ? だから過去の悲惨な誘拐事件のあとも、死を選ばずにここにこうしているわけなんだから」


 勝手な決めつけを作り上げて、それを間違いではないだろう?

 と嵯峨は押しつけてくる。

 それはいつものことであり、悲しいことにみよ子にとってそれは普通のこととなっていた。

 だからといって、それを鵜呑みにするようなことはない。


「……好き勝手言ってくれますけど、あたしは違いますからね」

「お?」

「人が死ぬところを見たから頑張ってるんじゃありません。それに、人が死ぬところなんてもう見たくない……その瞬間を見続けるなんて、辛いじゃないですか」

「俺は辛くないよ」

「あなたの話なんてしてません」


 キッと睨みつけると、嵯峨はニヤニヤと口角を上げる。

 彼の口車に乗せられているのはわかっていたが、ここまできたらとことん付き合ってやろうとみよ子は拳を握った。


「あたしを怒らせたり、変に奮い立たせようとしてる意図は知りませんし、知りたくもないですけど。あたしとあなたは違います」

「ホントに?」

「は?」



 人間でもないきみが、俺とは違うって?



 目と鼻の先まで近付いて、嵯峨は声を潜めて嘲笑した。

 だが、今日は折れてやらない。


「あたしとあなたは違います。少なくとも、あたしは人の命を弄ぶような真似はしません」

「……別に弄んではいないさ、俺は俺なりに大事にしてるけど……。ま、いいかな」


 みよ子の答えにうんうんと頷くと、嵯峨はくるりと回って歩き始めた。

 どこかへ行くつもりなのか知らないが、みよ子は腰を上げるつもりはない。

 そんな彼女の様子に気付くと、彼はまたうんうんと頷いた。


「それじゃあ、さようなら。みよ子ちゃん」

「……」

「また会おうね」

「……いやです」


 みよ子にフラれた嵯峨は楽し気に笑い。

 目の前で霧のように消えてしまった。

 完全に嵯峨が消えるまでみよ子は目を逸らさなかったが、今更驚くことではなかった。

 彼が人であろうと、それ以外の何か、化物であろうと。

 驚くべきことではない。


「……よし」


 一度出てきてしまったとはいえ、美術館の様子が気になったみよ子は立ち上がり、とりあえず自分の目で見に行こうと歩き出した。


「貴女がみよ子さん?」


 一歩踏み出した時、突然女性の声に呼び止められた。

 聞き覚えのない声と、自分の名前に反応して、反射的にみよ子は振り返る。

 そこには黒いスーツを身にまとった、美しい女性が立ってた。


「……あ、あたしですか?」

「えぇ、そうですよ。ずっと探していたんです、貴女を」


 みよ子は女性に見とれてしまい、美術館のことを忘れかけていた。

 不思議な感覚だった、何かに魅了されるような……逃げられない魅力が、彼女にはある。

 そしてその美しい女性はみよ子の方へ歩み寄ると、手を差し出して微笑みかけた。


「わたくしはミヨコと申します。貴女を迎えに来ましたわ」




-CREDIT-

SCP-268-JP「終わらない英雄譚」

©home-watch

http://ja.scp-wiki.net/scp-268-jp


販売員ミヨコ

http://ja.scp-wiki.net/groups-of-interest-jp#toc7

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