第6話 インザワールド [終]
黒い空。流れない雲。轟音。立ち昇る煙。熱風と寒風が交互にぶつかる。
蜜蜂は学校の屋上にいた。そこから見える街の景色の崩壊は悲惨で、酸鼻を極めていた。街はもうぐちゃぐちゃである。街を毀して暴れ回っているのは、ゴジラであった。
まっ黒なごつごつした怪物は、空を見上げて雄たけびを上げる。それから家を引っこ抜いて、地面に叩きつける。
蜜蜂はとなりに立ちつくす石丸哲也を見た。
彼は右手にリモコンを持ったまま、気を呆けさせ、ただ眼前に現れるその光景を眺めていた。それから彼は、ほろりと涙をこぼして、蜜蜂のほうを向いた。
「あいつが言うことを聞かないんだ」
蜜蜂はもう一度ゴジラを見る。やはり暴れている。
「あいつが言うことを聞かないんだ。何もこんなに街を毀したいわけじゃない。でも僕にあいつを止めることはできない。そんな力はないし、勇気もないし。……扱い切れもしないのに使い始めたのが悪かったんだ。もう。僕はどうしたらいいかわからない。……君は」
「僕の名前は祭銀デルトロン」
「そうなんだ」
「ああ。まあ、別に悪くないと思うけどね、ゴジラが街を毀したって。ゴジラは街を毀すよ、そういう生物だもん」
「でも、」
「止めに行こう。何か方法はあるはずだから。街へ降りよう。こんな安全圏で眺めていたって、何にもなりやしないよ」
石丸は、分かった、と言い屋上をあとにしようとする。
そのとき。ふっとにわかに、空から光がもれた。黄色い光。それは雲に空いた穴からもう一度光って、それからどんどん大きくなって、その光から大きな天使が降りてきた。
ふたりは見つめるしかなかった。
天使はゴジラの前に降り立つ。
ゴジラが天使を見つける。するとゴジラは口から眩い光線をだして、天使に浴びせた。けれどそれはまったく効果がなかった。
ゴジラの破壊光線をふり払った天使は、空に手を伸ばすとそこから剣を引き抜いた。そしてその剣でゴジラを切りつける。みごと胸から腹にかけての切開が上手くいき、ゴジラの胸は割れる。それから天使はゴジラのもとへ歩み寄り、そしてその傷口に手をつっこんだ。
蜜蜂たちからは、ただその美しい腕をゴジラに突き刺しているようにしか見えないが、実は天使はその中でゴジラの心臓を両手で包んでいた。
けれどゴジラはそんな天使をはじき返した。そして胸から血が溢れる。が、ゴジラの勢いは衰えなかった。ゴジラはその小さな口をあけて、天使につっこむと、その喉元に齧りついた。
天使は呻く。
そしてそのとき、蜜蜂の視界はぼやけ始めた。目覚めが近いのである。体の感覚が、世界と隔たりを感じ始める。足もとがぼやぼやして、立っているのかもわからなかった。
そして蜜蜂は目を覚ました。
学校の理科室。彼はせい子に揺り起こされたのだった。
石丸はまだ眠りの中で、うんうんとうなされていた。そんな様子を見てせい子は心配そうにするのだった。
鶴子もまだ目を覚ましていなかった。
クラスメイト三人が理科室で倒れている光景はさぞ恐ろしかったことだろう。そう思った蜜蜂は、
「大丈夫だよ」
と取りあえず声をかけた。それでもせい子は少し安心したみたいだった。
石丸は起こそうとしても起きなかったので蜜蜂が背負い、鶴子は半分起きたので、その半睡半醒の状態なのをせい子が支えて、四人で保健室へ向かった。
それのせいで、次の日蜜蜂の足は筋肉痛に苦しんだ。
それから数週間後。
蜜蜂は学校の終わったあと、塀の前まで歩いた。そこでせい子と待ち合わせをしていたのだ。
せい子はとなりの中学校に転校した。今日はその二日目だった。蜜蜂の学校からは、せい子は転校したし、石丸はいなくなった。
塀にもたれる蜜蜂。鞄を下に置く。そのとき靴ひもが緩んでいるのを見つけたのでそれを結んだ。
結び終わったころにようやくせい子がきた。
「お待たせしました」
せい子は言う。
「今日塾だったっけ」
蜜蜂は鞄を持ち上げて、そう聞いた。
「うん」
「塾までついて行くよ」
「ありがとう」
ふたりは歩きはじめた。
「わたしね、蜜蜂くん、江戸時代に憧れるの」
「なんで」
「今より明るい世界なの。明るくて暖かくて、人と人が助け合ってて、人情味があって、やさしい世界じゃないかな。そうじゃないかなって思うんだ」
「僕は江戸時代を過ごしたことないからわからないけど、そうなのかな。そうじゃないかもしれないよ。かりにそうだったとしてさ、今は違うの?」
「うーん」
「僕は今だって人と人は助け合ってると思う。周りの人は優しい人だと、とても思う瞬間があるんだ。現代だって、僕はとても愛のある時代だと思うよ」
「そうかな」
「うん。今がたまたま寂しいだけさ」
「蜜蜂くんにもそういう時ってある? どうしたらいいの」
「さあ、具体的にはわからない、全然ね」
塾の前でせい子と別れたあと、蜜蜂は橋の下を訪れた。
雑草の生える橋の下。土を蹴って歩く。そして辿りついたところには、みず色の車だけがぽつんと置いてあった。
テントもなければ、その他あったもろもろの物も。まおも、いる気配はないどころか、本当に昨日までいたのか怪しくなるくらい、完全に姿を消していた。
もぬけの殻となった車の中にはいって、いろいろさぐってみても、落とし物一つ残していなかった。
家に帰ると、家の中は大騒ぎをしていた。
母が出迎えてて言うには、
「お父さんが焼村さんを縛っちゃった」
ということだった。
居間に入ってみると、縄で縛られた焼村がいた。
「俺は騙されたんだ!」
と彼は訴える。けれど父は、
「知るか馬鹿者。こそこそしやがって。警察につきだしてやるからな」
と息巻いていた。蜜蜂はそれに大した反応を見せず、自分の部屋に帰っていった。
部屋に帰った彼はパソコンをつけ、音楽を聴いた。タイラー・ザ・クリエイターの「ヨンカーズ」。
家のチャイムが鳴る。蜜蜂は下におりる。父も母も焼村関連で忙しそうだった。
扉をあける。
椅子に座った男が、手の平の上で虫を歩かせていた。彼は言う。
「倖せですか?」
「どうでしょう。倖せかもしれません」
蜜蜂は答えた。すると、倖せ探究会の男は驚いた風だった。
「どうやって倖せになったのですか!」
「どうもしてないけど、今は倖せに感じるだけです」
「どういうことですか」
「倖せって、何かをして、その代償にもらうようなものではないでしょう。感じるかどうかとか、それと本当に倖せと言うものが存在しているかも、あやしいですよね」
「それだと参考になりません。余の人々は倖せを求めているでしょう。だから、そのためにも」
「そうかな?」
「……と言いますと」
「倖せを求めているっていうけど、本当にみんながみんな倖せを求めているかも分からなくないですか。聞いてまわったわけでもないでしょう。倖せじゃないことがいい人もいるかもしれませんで。別に倖せなんて、絶対必要なものじゃあないんですから」
「そうでしょうか」
「わからない」
「では聞いてください。倖せが、人生にどのようなことをもたらしてくれるか」
男は手のひらの虫を口に放り込んで、それから話しはじめた。
インザチャイルド 戸 琴子 @kinoko4kirai
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