第5話 インザハート [3/3]



 空から落ちるような感覚がして、床に叩きつけられたように目が覚める。


「いてて」と痛くも無いのに言う蜜蜂。

 チャイムが鳴る。

 玄関へ行く。

 扉をあけると、そこにはまおが立っていた。


「持ち主わかったよ」

 と言って、蜜蜂の携帯電話を見せびらかした。


「正確に言うと持ち主じゃなくて、契約者だけど」

「ありがとう。もう一つ頼んでいい?」


 蜜蜂は無駄に笑顔をしてみせる。とってもいびつな汚い笑顔だ。

 まおはそれを見ておおげさなジェスチャーをするアメリカ人みたいに肩をすくめた。


「なによ。結婚なら断るけど。……だけど、ちょっとは、嬉しかったりする」

「結婚なんてしないよ。人を探してほしいんだ。彼が今どこにいるか」

「うーん。この人?」

「違うこの人。お小遣い全部あげるからさ」


 そう言うと蜜蜂は、まおの返事もきかず走って家をでていった。残されたまおは、

「金額の問題じゃないんだけどねえ、みっちゃん」

 とひとりごちた。


☆☆☆


 手塚せい子は目を覚ました。

 布団のなかで気持ちよく体を横たえていた。なつかしい匂いに周囲を見る。せい子は彼女の祖母の家で眠っていた。祖母は買い物に出ているのか見あたらない。


 彼女は起き上がる。

 せい子の実家にはない畳の床が、とても心を落ち着かせた。


 枕元に彼女の服がたたんで置いてある。せい子は今、普段祖母が着ているのであろうよれよれの桃色のパジャマを着ていた。それを脱いで、自分の服に着替える。デジタル時計に表示された日にちを見て驚いた。

 自分が家をでた夜から三日過ぎていた。


 台所に行く。冷蔵庫をあけてスポーツドリンクを飲むと、とても生き返ったような心地がした。淡いエネルギーの味が、口から喉に染み込んだ。


 回復しきったせい子は、祖母の家をでる。

 気づかない間に休み続けた学校に行くことにした。

 それと、何だかせい子は、今なら学校に行っても、今までとは何かが変わっているように気がした。漠然と、気がつく前と今が違うような気がした。


☆☆☆


 蜜蜂は道すがら石丸に電話をかけた。そして一言目に伝えたいことを伝えた。結論までの寄り道をしている暇はなかったのだ。


「テッチャン、君だね」

「……うん、そうだよ」


 即座に感づいた石丸は、蜜蜂の言葉を改めない。そしてつづけた。


「なんで分かったの」

「知り合いに調べてもらったんだ。僕にメールを送ってきたその主を、メールアドレスから探り出してもらった。おかげで、そのメールアドレスの携帯電話の契約者が分かったんだよ。石丸由喜夫、君のお父さんかな」

「うん。父だよ」

「今学校にいるだろ」

「それも調べてもらったのか」

「ああ、優秀な幼馴染ちゃんがいてね。君は……」

 蜜蜂は道を急ぎながら電話を続ける。

 彼と話しているあいだは、彼は他のことをしないだろうから。出来るだけ時間を稼ごうと考えていた。


 そのとき、石丸哲也は語りだした。蜜蜂が聞いてもいないことを滔々と。ヒロイック犯罪者あるある、ともいえよう。


「君を刺さなきゃいけなかったのは、君が鶴子と仲がよかったからだ。君がせい子へのいじめに加担しているかどうかは、正直よく分からなかったんだけど、君が屋上で鶴子と二人で会っていた、その瞬間を僕は見たんだ」


「そうなんだ」

「手塚さんは何も悪くない!」


 石丸は叫ぶ。蜜蜂は携帯電話をちょっと耳から離した。


「みんなは手塚さんがこの一連の事件の犯人じゃないかって疑ってるけど、それは全然違うんだ。なんでそんなことに気づかないんだよ! 犯人は僕さ。僕が手塚さんの代わりにやったんだ。僕が守らないと、誰も手塚さんを助けなかったじゃないか。鶴子の、勝手な嫉妬で、手塚さんはこんな苦しんだんだ」


 石丸はじゅるじゅると泣き出した。蜜蜂はそんな声の聞こえてくる携帯電話を、見つめることしかできなかった。

 それからもう一度耳に当てる。


「けれど、てっちゃん、」

「僕は今日鶴子に制裁をくわえて、すべてを解決する」

「そんなのは解決ってよばないよ」


 プツン、と通話が切れた。やれやれだぜ、と呟かずにいられない。

 蜜蜂はちょうど学校に到着していた。



 蜜蜂は教室に走った。いない。

 それから体育館に向かう。いない。

 次は音楽室へ行った。いない。そもそもなぜ音楽室にいると思ったのか。蜜蜂は時間を無駄にしたと後悔する。


 右往左往する蜜蜂は、立ち止まって、もう一度石丸に電話をかけた。

 すぐに石丸がでる。蜜蜂は叫んだ。


「どこにいる!」

「化学室だ」

 蜜蜂は化学室に走った。



 化学室の扉をあけると、そこに石丸はいた。大きなテーブルをジグザグに縫うように歩いて、彼に近づく。

 彼の正面に立ったとき、彼の足もとに鶴子が眠っているのが見えた。


 石丸は右手にナイフを握っている。

 蜜蜂は一歩一歩近寄る。

 石丸はぐっと強くナイフを握りしめた。


 蜜蜂はとうとう彼の前に到着し、そっとナイフの刃を握りしめる。指から滲み出た血が、ほとほとと床に落ちた。

 そして、


「おやすみ、てっちゃん」


 と言う。と、同時に化学室の強化窓をにぶい轟音とともに割って、ペンギンが飛びこんできた。空中を横ぎるように飛ぶペンギンは、そのままの勢いで蜜蜂と石丸を呑み込んだ。



 ベージュ色の世界。蜜蜂は気がつく。目の前には目を瞑って浮かんでいる石丸がいた。

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