第88話 生みの親より育ての親……6

 全身に殺意と敵意を漲らせ、怒りで総毛立ちながら、ノックスは黒を吐き出した。

「おい毛玉……誰の何に手を出したか、わかっているのか?」


 その迫力に、リーガルベアは一瞬、怯んだ。

 まるで、肉食獣の気配を感じ取った草食動物のように。


「……ノックス?」

「ちょっと失礼しますね」


 ルーナが、ウォークスの体に回復魔法をかける。

 傷口は時間を巻き戻すように塞がり、肺が楽になる。


「ウォークス師匠!」


 リーガルベアを睨みつけたまま、ノックスは肩越しに叫んだ。


「私は貴方を救うすべを知らない。私が何を言ったところで、貴方の過去は変わらない! だが、貴方は軍の命令だから仕方なかったと言い訳をしなかった! 自己満足でやったことにすら罪の意思を感じ、私に告白してくれた! そして今、他社の為に命を投げ打ち戦った! 貴方の言う通り、どれだけの善行を積んでも殺された村人は救われないのかもしれない。だが、それでも私は貴方に生きて欲しい! 貴方のことが好きだからだ!」


 ノックスは、両手に魔力を集めながら声を張り上げる。

「カテゴリーは剣、エレメントは炎、エフェクトは怪物殺し」


 ノックスの右手から迸る魔力が、一振りの剣を産み出す。

 炎のように揺らめく刀身を持つ剣、フランベルジュだ。


 真紅の刃に左手で触れると、衝撃波が放たれた。

 周辺の雪が吹き飛び、粉雪が舞う。

 周囲がしんと静まり返る。


 白く冷たい世界の中心で、ノックスは力強く、雄々しく告げた。

「ヴァーミリオンフランベルジュM式……お前には過ぎた剣だよ」


 言うや否や、ノックスは両手で構えたフランベルジュを、一息に振り下ろした。


 大気が爆発する。

 まばゆい光が山を照らす。

 轟音が大地を揺らす。

 数千度の灼熱と衝撃波が雪原を水蒸気爆発で満たし、焦土すら吹き飛ばしながら斜面を駆け上がった。


 赫熱の津波が過ぎ去った後には、何も残らない。


 航空写真に長距離の爆心地を描くように、雪山の雪原は焦げ付き、黒煙を上げる。


 土の焼ける匂いが鼻を突く中、ノックスは振り返った。

 胸には、昨夜、口にできなかった言葉が詰まっていた。


 何年か振りに浮かぶ涙を我慢もせずに、目から溢れさせながらソレを告白した。


「師匠……私に出会ってくれてありがとう」


 親への愛の量を示すように、目からはとめどなく温かい涙が流れ続けた。


「貴方に出会えたことは私の一生の幸運だ……貴方に鍛えられた日々は私の宝物だ……師匠は過去を後悔しているのかもしれない。師匠が殺めた人々が師匠を恨むなら、それを否定することはできない。それでも、私は師匠に感謝しかない。その権利が無くても、私が貴方を肯定する。私が貴方を許す。だから、どうか生きてほしい……」


 ウォークスの返事を聞かず、ノックスは彼の胸板に手を当てた。


 リーガルベアとの戦いで鎧が剥げて、むき出しになった胸板に物質操作魔法と回復魔法、それから強化魔法をかけると、ウォークスの肺病は完治した。


 それがわかったのか、ウォークスは目を丸くして言葉を失った。


「師匠と別れた後も色々覚えました。これも、そのひとつです……」

 それから、ウォークスの体を抱きしめて、耳元で声を大にした。

 言い足りない言葉を口にする。

「私は、貴方が死ぬと悲しい。お願いだから死なないでください。生きて生きて生き続けて下さい! お願いです!」


 懇願しながら、ノックスは力強いっぱいウォークスを抱きしめた。


 この世界で出会った最初の味方、最初の家族を失いたくなくて、深く、彼をこの世から離すまいとするように、抱きしめた。


 すると、ウォークスは静かに、神に祈るように天を見上げた。

「不思議だな……生きるのが辛くて、楽になりたくて死にたかったのに……今は生きたくて仕方ない……」


 ノックスの首筋に、ウォークスの涙が伝う。


「お前に礼が言いたい……」



「わしと出会ってくれて、ありがとう……」

 



   ◆



 再びウォークスの家に泊まった次の日。

 次の国を目指して街道を歩く途中、ノックスは昨夜、ウォークスに言われたことを思い出す。

 昨夜、ルーナが寝静まった後で、ウォークスは言った。



「ノックス。お前は彼女に、かつての自分の姿を重ねてはいないか? それではまるで……過去のわしではないか……」



 師匠の行いを否定するつもりはない。


 どんな理由があったにせよ、師匠に救われた自分は幸福だった。


 だが、いざ自分の身に置き換えてみると、ノックスの心には暗い影が落ちる。


 かつて、自分は親に捨てられたルーナを救ってあげたくて、彼女を育て、今もこうして共に旅をしている。


 そして旅の中で彼女に惹かれていった。

 彼女には幸せになって欲しい。


 もしも彼女が望むなら、もしかすると自分は彼女と……。


 なのに、それが自分が楽になるためだったとすれば、そんな自分にルーナと一緒にいる資格があるのか、彼女から愛される資格があるのか、自分は彼女を騙しているのではないか。


 そんな恐怖で、胸が苦しくなってくる。


 すると、雪道に滑ったルーナが、わざとらしく腕に絡みついてきた。

「きゃっ、滑っちゃった。ねぇ、危ないから腕つなご♪」


 優しく、温かみのある笑顔に、罪悪感を刺激されてしまう。

 自然と、彼女に抱き寄せられる腕がこわばってしまう。


 すると、ルーナの声がはずんだ。

「それにしても、この国に来て良かった。十年後が楽しみだなぁ♪」

「十年後? ……あ」


 ウォークスと酒を飲んでいる時、十年後にルーナが望んだら、結婚すると言ったことを思い出す。


「お前……起きていたのか?」

「ふふふ、秘密だよ♪」


 そう言って、彼女ははじけるような、明るい笑顔を見せてくれる。


「あたしを助けてくれた理由なんて関係ないよ。貴方はあたしをあの塔から連れ出してくれた。そして広い世界を見せてくれた。そんなこと、普通の人には絶対できない。だからあたしは、ノックスのことが大好きなの。今も、これからも、ずぅっとね♪」


 彼女の言葉で胸が楽になる。

 自分がそうであるように、彼女もまた、こちらの都合なんてお構いなしなのだ。

 数十年間。この酷烈な人生を歩んできた自分を笑顔にしてくれる。

 だからノックスも、彼女のことが……。


「て、なんで名前呼びなんだよ?」

「だって師匠がウォークスさんのこと師匠って呼ぶし、師匠が二人もいたらわかりにくいしぃ、それに十年後には結婚するしぃ、第一せっかくあたしが付けた名前なのにあたしが使えないなんてなんか不公平じゃない♪ だから、これからは師匠のこと、ノックスって呼ぶからね♪ えへへ、ノックスノックスノックスー♪」


 リズムを取りながら、ルーナはご機嫌に名前を呼んでくる。

 その度に、胸がくすぐったくてたまらない。


 今までは、十年経っても彼女が望んでいれば、なんて思っていたが、今は違う。

 十年経っても側にいてほしい。

 そう思って、彼女の手にそっと触れた。



「ルーナ……私に出会ってくれて、ありがとう」



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★闇営業とは呼ばせない 冒険者ギルドに厳しい双黒傭兵 鏡銀鉢 @kagamiginpachi

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