第87話 生みの親より育ての親……5

 いつからだろう……体の苦痛が、心の安楽になったのは。


 刃のような寒気が身を切り刻む雪山で、ウォークスはリーガルベアと対峙していた。


 体が大きすぎて冬眠する穴、洞窟が見つからないのが穴持たずだ。

 だから、穴持たずには突然変異個体である、変異種が多い。

 それでも、その個体は異常だった。


 体格は基本種の五割増しで、二本のツノが生えているはずの頭からは、ねじくれた四本のツノが禍々しく伸びている。

 長く鋭い牙は、唇に収まらず、常にこちらを威嚇する。


 基本種のリーガルベアが十頭がかりでも、この変異種には勝てないだろう。


 暴風のような轟音と共に、横薙ぎの前足が襲ってくる。


 ダガーのような爪より先に、烈風が顔に襲い掛かる。


 五枚の爪を愛剣で受け止めるも、殺しきれない程の圧倒的な質量と筋力で、衝撃が体を貫通して反対側へ通り抜けた。


 自ら真横に跳んで力を受け流すつもりが、それよりも早く跳ね飛ばされた。


 血を吐きながら、天地が裏返る視界が暗転した。


 肺が委縮して固まり、息ができない。


 ――あぁ、これはたまらないな……。


 雪に足を取られる雪原を踏みしめ、立ち上がる。


 それでも、リーガルベアは容赦なく襲い掛かってくる。


 鋭利な剛腕が、圧殺されそうな迫力を孕みながら振り下ろされる。


 当然だ、彼らモンスターに、手加減という概念はない。


 相手に気遣うことなく、常に殺す気でいる。


 ウォークスは呼吸が止まったまま、爆撃のような攻撃を剣で受け流し、隙を作っては斬り込んだ。


 肺が痛い。

 動けば動くほど、肺の中に針が生えていくようだった。

 やがて、ようやく委縮した肺が徐々に解けていくも、呼吸するごとに痛みは増していく。


 だが、息をしなければ、体は重く動かなくなる。

 ウォークスは痛みと引き換えに酸素を、スピードを得る。

 痛い。痛い。痛い。痛みしか感じない体でウォークスは戦い続けた。


 だが、その痛みが心の安楽につながった。


 あの村で、自分に殺された人は、もっと痛かったろう。もっと辛かったろう。

 剣で刺し殺され、斬り殺され、焼き殺されるのはどれほど怖かったろう。

 彼らの苦しみの一部でも味わえるのなら、それは苦痛ではなく祝福だ。

 これが自分に課せられた磔刑なのだ。


 罪悪感に押し潰されそうな心も、苦痛に満ちている時だけは解放され軽くなる。

誰かのために戦い、傷つくこと。その死神の慰撫だけが、ウォークスを楽にしてくれるのだ。


 血を吐いた。

 白い雪が、赤く染まった。

 その上に、雪が舞い落ちる。

 ウォークスに鞭を打つように、雪が降ってきた。


 ただでさえ凍えそうな寒気が、また一段と鋭くなったように感じられた。


 まるで、ウォークスを責め立てるように、追い打ちをかけるような雪を見上げて、ウォークスは満ち足りた笑みを浮かべる。


「死ぬにはいい日だ」


 最期にノックスに会えた。

 自分が育て救った少年。

 彼はいつか、チェンジリングの少女と結婚して幸せになってくれるかもしれない。


 一人でも多くの人が幸せになれればいい。

 一人でも多くの人が救われればいい。

 一人でも多くの人が、生まれてきてよかったと自身を肯定できればいい。


 次の一撃で自分は死ぬだろう。


 だけど、最後にこの剣をあの白い胸板に突き立て、心の臓を貫こう。それで、ふもとの村が襲われることはなくなる。



 涙で視界がかすむ。

 なんの涙か、自分でもわからない。

 死ぬのが怖いのか、苦しみが終わるのか嬉しいのか、自分でもわからない。


 あの日から、多くの人を助けた。

 自分は許されるのか、それとも、自分が楽になるための打算故に、やはり地獄行きか。


 どちらでもいい。

 とにかく……もう……生きているのが辛い。

 一日一日が、この一秒一秒が辛い。

 二度と消えない己の罪悪と、これ以上向き合うことができない。

 早く、早く楽にしてくれ。


 救いを求めるように、ウォークスはリーガルベアへと剣を構える。


 リーガルベアは、凶悪な爪を構え、牙を鳴らす。


 ……次の一撃は防がない。

 ……全身の全てを、あの白い胸板を貫くことに注ぐ。

 ……爪で裂かれてもいい。牙で貫かれてもいい。


 ただ、ここでアレを倒せれば、それでいい。


 不意に、雪の粒が目に飛び込んできて、反射的に目を閉じた。


 同時に、右腕に激痛が、全身に衝撃が走りどこかへ抜けていく。


 方向感覚を失ってから、何かに叩きつけられ落下した。


 目を開けると、鉛色の空が広がっていた。


 右半身の感覚がない。

 なのに、体温と一緒に、とめどなく何かが体外へ流れていくのがわかる。

 薄れゆく意識の中で、自分が最後の最後にしくじったことを悟った。


「■■■■■■■■■■■■■■■■」

 唸り声をあげなら迫るリーガルベアを、無感動に見上げながら呟いた。


「………………すまなかった」


 誰に向けたものかわからない謝罪の言葉を残して、ウォークスは微笑んだ。

 そして次の瞬間。

 漆黒の影が、純白の獣を殴り飛ばした。


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 昨日、 フォロワー数が300に達しました。

 同時に、ハートマークの応援数も600突破です。

 皆さん、心の底からありがとうございます。



 また、コメント返しというわけではないのですが


 ノックスの正体について語るのは野暮で蛇足で無粋とわかりつつ


 読み手の想像ではなく、作者からの公式解答が欲しい、というタイプの人も最近は増えてきているように思うので、そういう人用として、このページのかなり下のほうに公式解答を載せます。

 野暮で蛇足で無粋だと思う人は見ないでね。

































 ノックスの正体は異世界転生者で現代日本の男子高校生です。

 39話冒頭での独白は生前のノックスの記憶です。

 5話でノックスが自分のことを『出産ガチャのハズレ品』と言っていたのは、生前、親が欲しかったのとは違うものとして生まれてしまった己を自虐的に表した言葉です。

 日本人だった頃、家では虐待され、学校にも居場所はなく、ただ不幸な人生を過ごして17、18歳ぐらいで死亡。

 34~38話で会った順平とは違い、神様にも会わずチートも与えられず、気が付けば異世界に生まれ変わりました。

 そこでも冷遇された救いのない異世界ライフで己の存在を呪っていたときにウォークスに出会い、ウォークスに鍛えられて、強くなりました。


 余談ですが、本作をカクヨムのファンタジー系の大会に投稿しようかとも思ったのですが、『異世界転移禁止』の文言があり、『本作は異世界転移に入るのだろうか?』と悩みやめました。

 ノックスは異世界転生者ですが、ほとんど裏設定のレベルですし。


 ノックスが異世界転生者であるという前提で一話から読み直すと、違った面白さがあると思います。

 特にノックスの細かい言動の不自然さの意味も分かりますし。


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