第86話 生みの親より育ての親……4

 翌日、モンスターの討伐任務のあるウォークスと別れ、ノックスとルーナはあてどなく街をブラついた。


 依頼がないか、領主の許を訪ねるつもりだったが、そんな気分にもなれない。


 別れのとき、最後までウォークスの表情は暗く沈み、声には覇気が無かった。


 なにもしてやれないことが悔しくて、自然と体が重くなる。


 加えて、一晩経ったことで、歩道の雪は重く積み固まっていた。


 雪をこいで歩くのはなかなか骨が折れる。

 まるで、足首から下が砂浜に埋まっているようだった。


 それが、自分の無力を雪に責められているようで、ますます気分が落ち込んでしまう。

 そこへ、男の声がかかる。


「ノックスさん」

「あんたは、ベースだったか?」


 振り返り目に入った男には覚えがあった。

 たしか、この国の冒険者ギルドの職員だ。


「はい、覚えていましたか」

 頼りなくも真面目そうな顔で、ベースは姿勢を正した。


「まぁな、それでなんだ。闇営業はやめろって話か? 知っているとは思うが、もう辞表は出しているし冒険者証も返しているんだ。いい加減にしてくれ」

 ウォークスのこともあり、ノックスはややぶっきらぼうな口調で突き放した。


「いえ、確かにノックスさんを見かけたら闇営業をやめるよう説得しろとお達しが出ていますが、僕はそんなことしませんよ。この件に関しては、ノックスさんの言い分が全面的に正しいと思います」


 意外な答えに、ノックスは毒気を抜かれた。

「じゃあなんの用だ? 昨日、師匠と酒を飲んで二日酔いなんだ。仕事ならお断りだぜ」

 二日酔いは嘘だったが、仕事をする気分ではないのは確かだった。


「いえ、そうではなく、ウォークスさんの仕事を手伝いに来たのではないのですか?」

「師匠の? どうして?」

 話が見えなくて、ノックスは眉をひそめた。


「ではご存じないのですか? ウォークスさんは今日、リーガルベアを討伐に行く予定なんです」

「この時期にリーガルベアか? じゃあ穴持たずか?」

「師匠、穴持たずってなぁに?」


 普段、仕事の話には口を挟まないルーナだが、どうやら今回は仕事の話ではないので、質問をぶつけたのだろう。


 彼女の美しさと巨乳に、ベースが赤面している。童貞臭いことこの上ない。


「リーガルベアは動物の熊と同じで冬眠するんだが、稀に体が大きすぎて冬眠できる穴が見つからない個体がいる。そうした個体は山から下りて、人里を襲うんだ。でもどうして師匠が?」


 討伐依頼なら、冒険者ギルドに依頼するのが筋だろう。そして、ウォークスは国に仕える兵士であり冒険者ではない。


「ふもとの村に、冒険者ギルドへ依頼を出せるだけの予算がなかったんです。なので城に軍を派遣するよう申し立てがあったのですが、一度は断られたみたいです。しかし、それを聞いたウォークスさんが、自分が一人で行くからと願い出たと聞いています」

「あの人らしい……」


 残念な気持ちと、温かい気持ちがないまぜになる。

 ウォークスは、日々危険な任務に志願して、力ない人々を救い続けている。

 まさに理想の英雄であり、正義の体現者だ。

 何年経とうと、彼はノックスの憧れそのものだ。

 けれど、その行動原理は、罪の意識から逃れるためという、あまりにも悲しいものだ。


 国王からの命令で犯した殺人に罪の意識を感じる。

 なんて純粋で、そして繊細な心だろう。

 国王の命令だから師匠は悪くない。

 そんな言葉が届かない程、彼は悔恨の念に押しつぶされていた。


 彼は、死ぬまでそうしているのかと思うと、ノックスも辛くなってくる。


「……事情はわかった。でも、あの人に俺の助けなんて必要ないさ。確かにリーガルベアは、Aランク冒険者でもてこずる相手だ。でも、師匠なら拳の一発で終わりだろう」


 なにせ、世界最強の傭兵、双黒のノックスに戦いの手練手管を仕込んだ張本人だ。

 ウォークスが負ける姿なんて、想像できなかった。


 なのに、ベースは目を丸くして息を呑む。

「何を言っているんだ。ウォークスさんは肺を患っているんだぞ。戦うなんて無茶だ」

「それはどういうことだ!? 師匠が肺を患っている!?」


 言われてみれば、昨夜、ウォークスは何度も咳き込んでいた。本人は酒でむせたようなことを言っていたが、あれは肺を患っていたからだろう。


 ノックスは回復魔法の使い手だが、医者ではない。

 ただの咳と、危険な咳の区別なんてできはしない。

 ノックスに詰め寄られて、ベースは取り乱す。


「く、薬で症状は抑えているけど、医者の話ではもう末期みたいです。なのにリーガルベア討伐なんて無茶するなと思っていたけど、僕、ノックスさんの顔を見て、ノックスさんに手伝ってもらうのかとも思ったけれど、ならこの時間にまだ街にいるのはおかしいから、変だなって……」

「ッッ…………」


 昨夜、ウォークスが最後に漏らした言葉が脳裏に走った。

『……でも駄目なんだ。わしは、駄目なんだ、もう……』


 あれは、ただ俺の人生を悲観した言葉ではない。

 本当に、もう彼の命は終わろうとしていた。

 そして彼は、今回の戦いで死ぬつもりだ。

 人々を守るために死に、永久に楽になろうとしている。


 瞬時に察して、ノックスは焦燥感で神経が焼き切れそうだった。


「大変、急いで助けに行かなきゃ!」

 ルーナが悲鳴を上げる。


 ベースの肩をわしづかんで、ノックスは叫んだ。

「どこだ! 師匠はどこへ行った!?」


 気弱なベースは、まるでカツアゲに遭っているように怯えながら、山の名前と場所を告げた。


 ウォークスの居場所がわかると、ふたりは弾丸のように空へと飛んでいく。


 衝撃で足元の雪が吹き飛び、ベースは頭から被った。

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