第14話 「目を閉じて」

高校に入って初めての夏休み。


去年まで受験のことばかりで、こまにはまたすぐに受験だよって言われてるけど、今くらいは考えたくない。


それに、今年の夏は秀平がいる。
























今年は海にもプールにも行かない。そう言い切った手前、秀平を何処に誘ったらいいのかわからなくなってしまった。


いや、カラオケでも買い物でも映画でもいい。


でも、昼間はあたしが部活に行っているから、どうしても夕方から。一緒にいられる時間は短くなる。


それに、あたしが部活に専念している分、毎日とは言わなくても、遊んでばかりいるお金はない。バイトもしてないしできないと思う。


部の同級生に喫茶店でバイトしてる子がいるけど、その分、部活に出てこられない日がある。あたしはそれがいやだ。


「どうすればいいかな?」


そんなわけで、こまの家で宿題を片付けていたあたしはこまに相談してみることにした。


「お金をかけない遊び、レジャーって結構あると思うよ」


「例えば?」


あたしが訊き返すと、こまは少し悩んでから言った。


「山とか」


「この辺、自転車で行ける範囲に山は無いんだけど」


でも魅力的な話ではある。バスか電車で行ける範囲はどうだったかな。


「それ以前にね、愛」


山について真剣に考え始めたあたしにこまが語りかける。


「佐間君、絶対にその辺プラン持ってるから聞いてみたほうが早いと思うの」


「そうかな? うん、なら帰ってから電話してみる」


取り敢えず、遊びに行く先の話はお仕舞い。今はこの夏を遊び倒すためにも宿題を片付けないと。


でも、今年の春まではあたしがこんなことで悩むようになるなんて思いもしなかったな。別に、恋愛を否定してたわけじゃない。実際、こまがトシと付き合いだしたときは取られた、とは思ったけど悪いことだとは思わなかった。寧ろ、ちょっとだけ恋愛への憧れができた。


あたしの場合、家族の事情が事情だから男や恋愛、性的な話に否定的な自分ができるのも仕方が無いと思う。結局は男に対して否定的で、性的な話は自分の体に関することだけを意識して、人からどう見えるかを敢えて見ないようにしてた。


その辺のことは後々みんなにきっちり怒られたわけだけど。


そんなあたしの初めての彼氏と、その彼氏と過ごす初めての夏は、まさに始まったばかりだった。



























電話どころか、こまの家から帰るときに向こうから会えないかって連絡が来た。今日はお互いに宿題を片付ける話で会わないことになってたんだけど、それでも会えるのは嬉しい。


最初こそ二人で宿題をしようという話になっていたけど、こまやトシの激しい反対にあった。


二人が言うには、成績が揃って下から数えたほうが早い、どうせお互いを意識しすぎて宿題どころじゃなくなるってことだった。


言われてしまえば納得するしかないあたし達だった。


そんなわけであたしはこまと、秀平はトシと宿題をこなすことになった。因みに、あたしが部活をやってる分、宿題の進み具合は遅い。


というか、こまはいつのまにか終わってた。あとはどうしても時間のかかる課題を片付けるだけでいいんだとか。ちくしょう。


そろそろ宿題の話は終わりにしよう。


秀平が会おうって言ってくれた。あたしとしてはそれに喜んで飛びつくわけで。


「秀平っ」


夏で暑苦しかろうが、この嬉しさをあらわさんとばかりに抱きついた。これをしたときの秀平の赤くなった顔とか、慌ててる姿はちょっと可愛い。でも、後で怒られる。


胸、当たってるんだって。


いいじゃん。付き合ってるんだし。他の人には絶対にしないし。


「愛、いつも言ってるだろ、もうちょっと慎みを持てって」


ね、こんな感じ。


でも、本当に嫌なら秀平は何も言わずに引き剥がすし、そもそも抱きつかれたりもしない。そう思うとやっぱり嬉しくなる。


「いいでしょ。秀平にしかしないんだから」


それに、大好きだからするんだよ。そのへん、ちゃんとわかってる?


「俺以外にしてたら問題しかないだろ」


「だからしないんだって」


秀平はため息をついてから、笑った。あたしの好きな顔だ。


別に、秀平が世間的にイケメンだからとかじゃない。好きになった人が、あたしを好きでいてくれる人が笑ってくれてる。だから好きな顔なんだ。


「ねえ、秀平。お金使わずにデートするとしたらどこに行く? できれば長い時間一緒にいられるところで」


こまに言われたとおり、秀平に相談してみる。


そしたら、答えはすぐに返ってきた。


「夜遅くなっていいんなら、ちょっと川沿いに行けばまわりに建物なくなるから星とか綺麗に見えるんじゃないか? 昼間がいいんだったら、そこで簡単な水遊びみたいなのもいいんじゃないかな」


多分、秀平も同じこと考えてて、色々調べてくれたんだと思う。


「残念だけど、蛍にはちょっと遅いんだよな。来年、行きたいな」


そうだね。ばたばたしてて蛍の時期はいつの間にか過ぎてた。蛍のピークは付き合うか付き合わないか、付き合い始めた頃だったと思う。


気が早いけど、来年の話をしてくれるのは嬉しい。だって、来年もまだ一緒にいてもいい、一緒にいられるってことだから。


「来年、行こうよ」


だから気が早い約束だって取り付ける。破る気なんて無い。


「だな。でも、まずは来年よりも今の話だな」


「うん」


「夏休みだからいつでもいいけど、明後日とかどうだ? 愛に問題がなければおばさんに確認してみてくれよ」


「わかった。訊いてみるね」


デートの約束を取り付けた後は宿題や私の部活のこと、何てことない話をしながらお互い家路に着いた。勿論、あたしは秀平に送られた。いいのにって言っても聞いてはくれない。まぁ、そうなるよね。


一緒にいられるのも嬉しいから申し訳なさと嬉しさがない交ぜになってる感じ。



























「あんたたちなら間違いも起こらないでしょ」


母さんはあっさりと認めた。


いや、認めて欲しくなかったわけじゃないの。ただ、普通なら夜に高校生の男女で出かけるなんてすればそれはもう、雰囲気に飲まれるのは間違いない、と思うのが筋だ。


だからこそ、この信頼と信用が嬉しくもあり、不安にもなる。


あたしは裏切ったりしないだろうか、と。


「愛も母さんの子だから、血は争えないかもしれないけど、彼はあいつの子じゃないから、多分大丈夫」


母さんは続ける。


「万が一にも間違いを起こしたって、愛は当たり前のように家に帰ってきてくれればいいの。それで起きることは、母さんも頑張って支えてあげる」


秀平のことを知ってるから、いろいろ相談するけど、母さんは大体「自分は間違えたし、誰にも認めてもらえなかった。その分、自分が認めるし、いつだって待っててあげる」と言ってくれる。


「うん。間違いなんて起こさないし、何があってもちゃんと帰ってくる」


だからこそ、あたしは迷わずにこう答えられる。


必ずここで待っていてくれる人が、家族がいるから。


「じゃあ、明後日を迎える前に色々準備しなさい」


「準備?」


正直、身一つでいいと思うんだけど。


「河川敷でしょ。草とか色々あるから下はジーンズにスニーカー、虫除け対策、夜が涼しいとはいえ夏なのに代わりはないから熱中症対策の飲み物。必要になる物は結構あるわよ」


「そんなにいるの? でもジーンズは暑いよ。スニーカーはいつも履いてるからまだいいけど」


「草むらに手を突っ込んでみなさい。傷だらけになるわ」


それを言った母さんの顔は冗談を言っている顔じゃなかった。


「前に町内会の一斉清掃で空き地のごみを拾うのに軍手を忘れていってそのときにね」


草むらに突っ込んだ手が傷だらけになってたんだとか。そんなところに素足で入ろうものなら脚が傷だらけになるのは間違いない。


「うん、ちゃんとジーンズにする」


そんなのを聞かされてしまえばいつもみたいにハーフパンツやショートパンツで出かけるなんて言えなかった。


それ、絶対に汗が沁みるやつだから。部活中に悶えるのは嫌。


それに、秀平にこれでもかって心配される姿が目に浮かぶ。心配してもらえるのが嬉しくないわけじゃないけど、態々心配かけたいわけじゃないからそのあたりはちゃんと気をつけよう。


「それじゃ今日は早く寝ておきなさい。それから、母さんから佐間君の家に連絡はするからね」


「はーい」


結局、あたしはまだ誰からも守られる存在でしかなくて。一人では何の責任も取れなくて。だからちょっと普通じゃないことをするには誰かの許しが必要で。


仕方がないんだけど、歯痒くはある。


これが子どもってことなんだ。だからあたしたちは、間違えない。



























部活に宿題に、毎日の秀平とのやり取りにとしているうちに約束の日はやってきた。


いつもはそんなに穿かないジーンズを穿いて、いつもどおりのスニーカー、一応薄手のパーカーを小さく畳んでバッグに詰めて、それと虫除けスプレー。それとビニールシートと飲み物、LEDライトも。


「愛、佐間君来たわよ」


「はーい」


いつものように秀平が迎えに来てくれる。いつもと違うのは、普段なら別れてるような時間帯に迎えに来たことかな。


そういえば、秀平にジーンズ穿いてるとこ見せるの初めてだと思う。


そんなことを思うと急に恥ずかしさのようなものもこみ上げてくる。でも、そういうことを考えると足見せてるほうが普通は恥ずかしいはずなんだけど。


あたし、何かおかしいのかな。


「愛、来たよ」


それはそれとして。


迎えに来た秀平も下はジーンズだった。いや、秀平の場合は普段からジーンズばかりだった。流行とはいえ短パンとかの類がそんなに好きじゃないんだって。


今日はポロシャツにジーンズというシンプルな出で立ちだった。


「愛のジーンズ姿、初めて見た」


「そうだっけ」


あたしはちょっととぼけて見せた。初めてなのはわかってる。


「似合ってるし、いつもこれなら安心なんだけどなぁ」


少し顔を逸らしながら鼻の頭をかいてる秀平。


「全体隠しちゃうのはちょっと苦手だから、多分こういうときぐらいだと思うよ。そろそろ行こうよ」


「惜しい気もするけどそうだな。あんまり遅くなっても駄目だしな」


そうしてあたし達は母さんに行ってきますと言って出かけた。お互い、自転車だ。ただ、時間としてはちょっと遅い外出だから補導されないように願ってる。


ちなみにあたしは自転車はそんなに使わない。高校は近いし、普段の買い物にしてもそんなに遠くないから滅多なことじゃ乗らない。一応、母さんとの共用になってる。


「今日は河川敷のちょっと上流まで出るけど、普段そこまで行ったりする?」


「そこまでは滅多に行かないかな。走りに行くにしても陸上競技場あたりが丁度いいし、川の方は外灯が少ないから遅くなると危ないしね」


そんなところにこれから行こうとしているわけだけど。


「ま、そうなるよな。寧ろ普段からよく行くなんて言われなくて安心したよ」


「そこ、安心するとこ?」


「そうだよ。暗いとこだってわかってるのに積極的に行ってるなんて言われなくて。安心するとこだろ? 彼女が一人で危ないところに行ってないってことなんだから」


危ないところに連れて行こうとしてるように聞こえてしまうけど、それは聞かなかったことに。その点についてはお互い、というか親も含めて認識しているんだから。


そんな感じで話をしながら漕ぎ続けて、目的の場所までやって来た。


自転車を止めて、持ってきたLEDライトで足元を照らしながら斜面を降りる。結構草が生い茂っててジーンズにしろと言ってくれた母さんの正しさを思い知る。


斜面の途中でビニールシートを敷いて二人で寝転がって空を見る。お互い、望遠鏡もなければ特別天文学に詳しいわけじゃない。でも、綺麗なものを綺麗だって言える気持ちくらいは持ち合わせてるつもり。


「愛」


秀平が小声で語りかけてくる。


「目を閉じて」


そういった秀平は顔は空に向けたまま目を閉じてる。


「で、暫くしたら開ける。そうしたらちょっとくらい暗闇に目が慣れるだろ。さっきまで足元照らしてたわけだしさ」


「うん」


そうだね。もっと、この星空を綺麗に見られるのなら。


今のこの瞬間を、もっと特別にできるのなら。



























目を開いたとき、多分、思い込みも含めてだと思うけど、凄く綺麗な星空に見えた。


そして、瞬く星を見ながらあることを思い出す。


「秀平」


「何?」


「あたし、自分の名前がね、昔は嫌いだった」


「どうして? いい名前じゃないか」


今ならそう思えるけど、昔はそうじゃないんだ。


「普通はこの字ならまなじゃなくて、あいって読むでしょ。小学校で名簿が漢字になってくると普通には読んでもらえないことが増えてきて、毎回毎回あいって呼ばれて、まなですって答えるのが嫌で」


キラキラネームの人と同じ苦労をしてるわけで。


「だから母さんに苛立ちを含めて名前の由来を聞いたの」


「何て言われたんだ」


「母さんね、あたしが生まれる前にちょっと教会に行ってたんだって。縋る気持ちも分かるし、別にそこについてどうこう言うつもりはないんだけど、そのときに聞いた話で名前を決めたんだって」


それは旧約聖書の話だったそうだ。


「ユダヤ人がね、エジプトで酷い扱いをされてて、ついに逃げ出したんだって。でも、故郷にはすぐに帰れなかったんだって。荒野を四十年も彷徨って、漸く故郷に帰った。で、その彷徨っている間に日々を生きる糧に神様がマナを与えたの。それは毎日、その日必要なだけが与えられて、もしも多く持って帰っても次の日まで取っておくことは出来ないものだったんだって」


「聖書の話か。中学の同級生に教会でピアノ弾いてるって言ってたのがいたな」


「そうなんだ。あ、それでまだ続きがあるの。名前の由来はそのマナなんだけど、聞いたときは好きになれなかった。だって、その日だけしかないの。未来がない、わからない。そんな物の名前をつけられたんだと思うと人生を否定された気になった」


どうして母さんがそんな名前をつけたのか、そのときはわからなかった。


でも、暫くして母さんからの又聞きじゃなくて、母さんにそれを教えた本人の牧師さんに会って聞いたとき、全てが変わった。


「マナはね、今必要なものを満たしてくれる愛なんだって。あたし達を愛している、見捨てたりしないからこそその日一日分だけだったの。だって、絶対に見捨てたりしないから今必要なものが与えられる。未来があるからこそ、今に与えられてるんだって分かったから」


だからあたしの名前は、


「愛されるように、愛せるように、必要な愛を与えられるように、必要な愛を注げるように、だからあたしはマナ」


それがわかってから、あたしは自分の名前を好きになれた。


「きっと、マナが降り注いだ後って、この星空みたいだったと思うの。愛が、希望が光り輝いて降り注ぐ」


だからこの星空を見てこの話を思い出したし、秀平には知ってて欲しかった。


あたしにとってのマナが秀平や母さん、こまであるように。


「あたしは秀平のマナになれてるかな?」


星空から隣で寝転ぶ秀平に目を向ける。


「勿論」


言葉の後に、秀平はあたしの唇をふさいだ。


「愛がマナじゃないなんて、あるわけがない」



























後書


一度完結した作品のつもりでしたが、完結後にマナの話でネタが浮かんでしまい、いつか披露しようとタイミングを練ってきました。


当時、なろうに公開するに当たって、今が丁度いいかな、ということで書いてみました。二人で星空を見上げるのは「カプチーノ」のオマージュというかインスパイアです。正統派のラブコメ漫画で面白かったです。ラブコメ好きな方には結構お勧めです。ポンコツだったヒロインがポンコツなままではあるけれど、きちんと恋をして、相手を好きになって、強くなっていく。いい作品です。個人的にはどストライクでした。

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