第13話 「痛いって言っても離さないからね」
敵はない。そう信じてる。
恐れるものはある。それを知ってる。
あたしたちはすべて乗り越えていける。それを確信してる。
夏が来た。
自分に彼氏なんてものが出来る日が来るなんて思いもしなかったから、夏休みに部活とこまと遊びにいく以外の予定が入ることなんて考えもしなかった。
だからかな。こまに怒られるまであたしは秀平に連絡もしなかったし、それを不思議には思わなかった。勿論、秀平から連絡はあったし、部活の練習日にはほぼ必ず来てくれてた。まぁ、練習日なんてほとんど毎日だけどね。
あたしからは何もしなかった。それを、こまに言われて初めて気付いた。
「愛、好きなんでしょ? だったら連絡してあげなよ」
最初はどうしてって思ったくらいだけど、よく考えればあたしだって秀平から何の連絡もなければ不安になることだってある。結婚したって、簡単に気持ちも関係も離れるってことを知ってるから。結婚っていう誰にでも分かる形でもない彼氏彼女っていう関係は、もっと簡単に壊れてしまう。
そこまで気付いて、漸く自分の間違いに気付いた。ずいぶん前にもらうだけじゃなくてあげたいって思ったのに。それが全く活きていない。
「うん、あたしからちゃんと電話する」
「そうして。さ、佐間くんの話はここまで。今日は愛の水着を見に行くよ」
せっかくの決意が台無しだ。
「それ、この前断ったのに」
「でも、佐間くんとプールに行ったりしないの?」
言われてから考える。
あたしと秀平がプールに行く。多分、2人で本気になって泳いでそう。普通のレジャープールなんて行った日には秀平が逆ナンされるだろうし、あたしが自分が女として見られることに耐えられそうにないし。
「今年は多分、行かない。逆ナンされてる秀平を見たくないし、あたしを変な目で見る輩がいるかもしれないって思うと、嫌だ」
ただでさえ薄着になってからクラスの男子の目がおかしいのに。
「そっか。じゃあ、佐間くんもきっと同じことを思ってるんだろうね。逆ナンはされたくないし、自分の彼女をそういう目で見られたくないんだと思うよ。
でも、そういうことはきちんと本人と話してね」
「うん」
あたしは頷いた。
「それじゃあ、水着はやめて、服でも見に行く?」
「行く行く」
服と靴、それから…… 見たいものはたくさんある。そうやって、少しでも秀平にかわいいって思ってもらえればいい。それだけでも、あたしは嬉しい。
こんな自分も、数ヶ月前までは信じられなかった。
何より、こんなにも秀平に会いたいって思うなんて。出会った頃を思えば本当に信じられない。チャラ男がチャラ男じゃなかったとか、父親に向かって正面から喧嘩を売ったりとか。今まで信じてきたことが変わったり、できなかったことができるようになったり。全部、秀平と出会ってから。
本当。こんなあたしは信じられない。でも、これが今のあたしなんだ。
こまと別れて、家まで歩く。
手の中には携帯電話。表示されているのは秀平の電話番号。
声が聞きたい。今何をしているのか知りたい。今すぐに会いたい。
想いは尽きない。だから、それをすべてぶつけるんだ。
数度のコール音の後に、秀平の声がした。
『愛?』
こうして名前を呼んでもらえるだけで、嬉しい。でも、もっとという想いが産まれてくる。
「うん。秀平、今は何してたの?」
『宿題。後で楽がしたいから』
こういうのも秀平らしい。
「よくできるね。あたしは面倒で最後までしないよ」
電話の向こうで秀平が笑ってる。いかにもあたしらしいって。
でも、それで秀平が笑ってくれるんなら。あたしは、それでいい。
『はは。じゃあ、こういうのはどうだ。明日から部活が終ってから、一緒に宿題をやろう』
それは、とても甘美な響きだった。それでいて、とても恐ろしくもある。
『さすがに、親が仕事で出てる家には呼べないから、図書館でどう?』
「うん。問題はあたしが宿題と図書館に我慢できるかだけど」
『我慢するところだろ、そこは』
学生の本分、とは誰が言い出したのか。勿論、それが今のあたしたちのように恋を謳歌することではないし、誰かに嫌がらせをするだなんてくだらないことでもない。それくらいはあたしにもわかる。
「あはは。じゃあ、明日は待ってるね」
『あぁ。いつも通りに待ってるよ』
そして、携帯を閉じた。
たったこれだけでさっきまで聞いていた声がもう聞こえなくなる。
「呆気ないなぁ」
本当。呆気ない。こんなに簡単に繋がれるのに。こんなに簡単に切れてしまうのに。
なのに、あたしはどうして簡単じゃないんだろう。皆も簡単じゃないんだろう。あたしがこまと友達になるのも簡単じゃなかった。トシのこと認めるのも簡単じゃなかった。
秀平と付き合い始めるのだって簡単じゃなかった。
あたしはあたしをあたしだけで越えられなかった。
こまがいて、トシがいて。何より、あたしがいいって言ってくれた秀平がいた。そうじゃなければ、今のあたしはいない。
あの男に反抗したりなんて、考えたこともなかった。恋が女を強くするだなんてありふれた言葉で済ますつもりなんてない。あれはただ、見栄を張っただけだった。
好きな人の前で自分が貶められてる。それに我慢できなかった。一人ならやり過ごして、めんどくさかった、の一言で後から済ませたんだろう。
もう、一人にはなりたくないな。お母さんはいてくれるけど、こまもいてくれるけど。皆それぞれあたしと分ち合えないものがある。だから、ほんの些細な一瞬でさえ、一人は嫌だ。
さすがに夏休み中の練習だから昼間のうちにやる。
でも、やっぱり真夏の体育館は暑い。ドアとか窓とか。開けられるものは全部開け放っているのに、それでも多くの人間の熱気が充満してる。
そして、そんな状況で練習を終えてみれば部活をしてない女子に言わせれば「ありえない」くらいの汗の量に臭いを発してしまう。
「よっ」
だけど、それでも関係ないと言い切って待ってるのが秀平だった。
こいつの中では女の子は常にいい匂いを発してるのは幻想らしい。男の間では定説だと思ってたけどそうでもないんだと証明してくれた。
「着替えてくるでしょ? 校門のところにいるから」
「うん」
これもいつものやり取り。あのサッカー部のマネージャーの件以来、秀平はまずは入り口で待つようになった。
でも、それはすぐにやめることになった。というのも、夏が迫るに連れて、部員の皆が薄着になって、汗で透けたり張り付いたりするのだ。これには流石のあたしだって不味いと思った。あたしがそう思うくらいだから、秀平が思わないはずがない。あたしが気付いた次の日には待ち合わせ場所の変更を勝手に言われた。
まぁ、体育館前って言うのも別に決めてたわけじゃないけど。ただ、それでも一瞬だけ顔を見せていく。どうしても一緒に帰れない日とかにはそれで伝えてくれる。本当に急ぐような用事のときは部活よりも前に言ってくれるけど。
「相変わらず、仲がいいのね」
3年が引退して、新にキャプテンとなった朱雀先輩が声をかけてきた。
変わった苗字だけど、名前も紅(くれない)って、ずいぶん変わってると思う。
「仲がいいというか、これがあたしたちの距離ですから」
「ふぅん。でも、その距離を詰められない子もいるのよ」
あぁ、と納得する。紗綾ちゃんか。
身の回り、と言ってもこまの一組しかいないからあれだけど。成立してるカップルしかいないからなぁ。あ、琴平先輩とこと、堤先輩もそうだ。皆成立してる。
ごめん、千晶ちゃんもそうだったね。
「でも、先輩はつい一肌脱いじゃうんですよね?」
「そうね、一肌でも二肌でもって、そんな使い方は無いわね。でも、それぐらいにはあの子のことは気に入ってる。部活の中までは持ってこないから安心して」
紗綾ちゃんに好きな人がいるのは部内では公然の秘密だった。周りに知られているのに気付かないのは本人だけ。あたしだって知ってる。
「でも、先輩こそそういう話はないんですか?」
「私は無いわ。身近な男が紗綾の好きな相手と馬鹿じゃね。どうしようもないわ。略奪愛の趣味も無いもの」
結構酷い言いよう。特に馬鹿のほう。
だけど、先輩はこれでいいのかもしれないとも思う。あたしは秀平に会えたから恋をした。でも、日々を充実させるのは恋だけじゃないことだって分かってる。
先輩には気の知れた仲間がいる。紗綾ちゃんに、紗綾ちゃんの好きな人、馬鹿と呼ばれた人。あたしが知ってるだけでもこれだけいる。それはそれで楽しくすごしてるはずだと思う。
「それに、今の私はそれを必要とは思わないの」
そう言った先輩の顔は輝いて見えた。
帰り道のことだ。
私服姿の堤先輩と葉月さんが並んで歩いてた。でも、手を繋いだり腕を組んだりしてるわけでもなかった。
それでも、この2人ならそれでも違和感を感じなかった。それがとても自然に見えた。
「堤先輩、いい人に会えたんだな」
「秀平、知ってたの?」
「ん? 中学一緒だったから」
そういえば、紗奈香先輩が同じだって言ってた気がする。
「あたしたち、ああいう風には見えないんだろうな」
素直に言えば、堤先輩が羨ましい。
誰かのために手を差し伸べることができて、それでいて自分の幸せも掴める。あたしは、まだ誰かのために手を差し出すことなんてできない。
「見えないだろ」
だから、ばっさりと斬った秀平に疑問を感じることもなかった。
「俺はあの男じゃないし、愛も堤先輩じゃない」
「え?」
呆気に取られている間に秀平があたしの手を握った。
「俺はできれば愛に触れていたい。触れて、声を聞いて、想いを伝えて繋がっていたい」
言いたいこと、たくさんあった。でも、全部どうでもよくなった。
だから、
「痛いって言っても離さないからね」
強く、その手を握り返した。
以下後書
当初の最終話です。結果的に後1話追加されてはいるのですが、彼らはこの後も色々突っかかられたりしながら付き合いを続けていくのだろう、というエンディングですね。
この後を書くのなら、愛が性的な目で見られる話を作る必要があって、それを愛でするのがちょっと不快なので書けない、という作者の心情もあります。
何せ、この作品の生まれたきっかけが、夜に運動しに行った陸上競技場でインナータイツ姿でストレッチしてる高校生ぐらいの女の子を見かけたこと、だったので。無防備というか、自覚がないというか、といった感想を当時抱いた記憶があって、それがそのまま作品になりました。
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