第12話 「ちょっとは焦らないの?」
少しずつでいいと思ってた。
少しずつでいいと言ってくれた。
それじゃ、駄目だと、言われた。
梅雨が来た。
屋内競技のあたしたちにはそこまでじゃないけど、野球部とかは練習がはかどらない時期。勿論、この状況でもできることはあるんだろうけど。
そんなある日のこと。あたしたちバスケ部のところにサッカー部がやってきた。
「男女で一緒に練習したら半面空くでしょ? だから譲ってよ」
正確には、雨の中でも外で練習する部員に嫌気がさしたマネージャーだったけど。
「試合近いんだから、あんなことで風邪ひかれても困るのよ。あんたらみたいな体育館でやってるような連中とは違うのよ」
「見苦しいね」
何とかして屋内練習場を確保したいマネージャーを、女子部のキャプテンがばっさりと切り捨てた。
「こっちもね、体育館を譲り合って使ってるの。バドミントン部はコートをたくさん張りたい。バレー部だって男女別で全面にコートを張りたい。私たちも男子部を気にせずにフルコート使いたい。でも、みんな練習時間を多くとるために譲り合って使ってるの。
あなた、一年よね? 大きな態度でいればばれないと思った? 一年の俄かマネージャーくらいよ。屋外競技の人間に体育館を使わせろって噛み付いてくるのはね」
「いいじゃない! 大事な時期に風邪なんてひいてほしくないじゃない!」
あー。あれだ。これはあたしでもわかる建前だ。自分でも人の感情に鈍いって自覚してるのに。それでもわかっちゃうあたり、こいつ、駄目だ。
こいつにとって風邪になってほしくないのは選手じゃない。自分だ。
「そうね。やっと部活にも慣れて、学校にも慣れて。これからが遊びたい盛りだものね」
そして、あたしにわかることを、キャプテンがわからないはずがない。
「本気の人を舐めないで。みんなね、勝ちたいの。雨だってどうでもいいの。勝ちたいっていう想いの前ではね、些細なことなの。先輩のマネージャーを見た? 雨の中、傘をさせるのにささないでしょ? 選手が雨の中頑張ってるのに、自分たちだけが安全圏にいるわけにはいかないって思ってるの。
それとね、体育館は選手が嫌がるのよ。土や芝じゃない。板張りの床。当たり前だけど、固い。これも当たり前だけどスパイクなんて履けない。更に言えばここ、サッカーコートよりも狭いのよ」
もう何も言えないみたいだった。それを確信したキャプテンは彼女に背を向けた。
「じゃ、練習始めるよー。今日は女子バレー部が半面使ってるから、女子は校舎側のハーフコートでやるよ」
そして今日も練習が始まった。
あのサッカー部のマネージャーが来た次の日。今度は先輩マネージャーと一緒に来た。
「昨日は生意気なのが済みませんでした」
今日は謝りにきたみたい。
「いいのよ。誰だって通る道だしね。練習がきつくなって、遊びも何もかも捨てて何やってるんだろうって、選手だって思うもの」
そんなこともあったなぁ。
周りを見ると、みんなが似たような顔をしてた。きっと、あたしも同じ顔をしてるんだろう。
「ん?」
ふと、視線を感じた。
一年のほうのマネージャーがこっちを睨んでた。
あたし、何かしたっけ?
「女子バスケ部は遊びみたいなものなんですね。こんな、彼氏と遊んでるような一年がレギュラーとして練習に参加してるなんて」
はぁ。またこの手の奴か。最近、多いんだよね。デートに行ってるの結構見られてるらしいし。それだけなら恥ずかしいだけで終るんだけど。や、恥ずかしいのもちょっとあれだけど。
それをこうやって攻撃の材料に使われるのは癪だなぁ。
「ちゃんと真面目に練習に参加してて、自主練だってしてる部員捕まえて『遊び』ねぇ?」
そう。最近あまりのも多いものだから、キャプテンが言ってくる相手をみんな叩きのめしてしまうんだ。
「練習以外のことで、部や学校を貶めるようなことなんてしてないんだから咎めることなんてどこにもない。そんなことで勝手に相手を叩くなんて」
キャプテンがため息を吐いた。あぁ、出るね、これは。
「かっこ悪いね、君」
最近あまりにもこれを聞かされるものだから、直前のため息が文字通りの意味の溜めであることも、前もって台詞が準備してあることもすでにわかってしまってる。
あたしが当事者でもなければ「キャプテンかっこいい!」で終るんだけど。当事者であるがために逆に申し訳なくなってくる。練習の時間を幾らかこのために割かなければいけなくなってること。当たり前だけどこの事態が面白いことでもなんでもない、寧ろつまらない、厄介なことであること。その全てが何とはなしにあたしを責める。
他の誰でもない。あたしがあたしを責める。
「内海。練習に戻るよ」
「あ、はい」
パス練習を始めるけど、どこか気が乗らない。これじゃあのマネージャーの言ったことを何一つとして否定できない。
「内海。気にするなって言っても無理だろうし、あんたの境遇も少し聞いた。だから、今のあんたを止めたりなんてしたくないけど。練習は出来るだけ集中してやろう。そうじゃなきゃ、本当にあの生意気な奴の言った通りになっちゃう」
「わかってるんです。それぐらいは、あたしもわかってるんです。でも、やっぱりあたしが迷惑かけてるって思うと」
ここまで言ったところで、キャプテンがあたしの背中を思いっきり叩いた。凄く大きな音がしたけど、不思議と痛みはほとんどない。
「しっかりしなさい。バスケは団体競技。私たちは同じチーム。たった一つ、勝利を目指してその過程も楽しむためのチーム。だから、こういうくだらないことだってみんなで抱える。バスケ部に因縁つけてきたわけだし。だから、私はバスケ部のキャプテンとして喧嘩を買った。そして、勝ち続けてる。
もしも、あんたが一人でも、キャプテンになったとしても同じことをするでしょう?」
言われて、少し思いを巡らせる。
その通りだった。あたしはいつだってつけられた因縁は全て跳ね返してきた。もしも部に対して喧嘩を売られたなら、部として買う。絶対、同じことをする。
「その通りだったでしょ」
あたしは頷いた。とても単純な励ましだったけど、それでもそれは確かな力に変えられた。
「じゃ、練習しよう。そうして、誰にも何も言わせないくらい」
「やってやりましょう」
そう、あたしもとても単純だから。
練習も終わって、帰り支度をして鍵を返しにいく。他の1年よりも恵まれた環境にいるんだからと、こういうことは積極的に引き受けている。だから、いつも最後まで部室に残ってもいる。
あたしみたいなのを襲うのもいないだろうし。こういうことを言うと、秀平に怒られてしまうけどね。男っていうのはどうしようもないぐらいに、女っていう生き物を欲望のはけ口にしてしまうって。
「じゃ、失礼します」
鍵を返し、職員室を出る。
「気を付けて帰れよ」
「はーい」
自分でもわかる気のない返事。そんな心配は要らないと自分でも信じている。
もちろん、あたしを襲うような奇特な男もいないと思ってるのもある。だけど、それ以上にあたしを待ってくれてる人がいるからだ。
「今日もいつも通り、だな」
「そりゃあね」
秀平だ。
帰宅部なのに秀平はいつもあたしの練習が終るまで待っていてくれる。さすがに申し訳なくなって先に帰ってもいいと言ったこともあったけど、にべもなく断られてしまった。あのとき言われたことがとても嬉しくて、嫌だとは言えなかった。
だって、「少しでも一緒にいたいんだ」なんて言われたら、ね。どんどん秀平のことを好きになっていく自分がいることを自覚してるから、こういうことが凄く嬉しく思える。
「それじゃ、帰ろうか」
そう言って歩き出す秀平の隣に並んで歩き始める。明らかに背の低いあたしの歩幅と、秀平の本来の歩幅じゃ釣り合いが取れていない。でも、それを秀平が合わせてくれる。これに関しては何を言っても「気のせいだろ」と切って捨てられてしまう。
下駄箱で靴を履き替え、昇降口を出てすぐ、見覚えのある人がそこにいることに気付いた。
その目はあたしへの怒りや憎しみに染まっている。
「あんたのせいよ」
あのサッカー部の1年マネージャーだった。
「あんたのせいで恥はかかされるし、余計なことするなって皆に言われるし、もう最悪よ。なのに、あんたはのうのうと彼氏と一緒に帰るんだ?
こんな馬鹿な話ってある? 私は間違ってない。大事な選手なの。根性論とか古臭くてやってられないのよ」
感情をむき出しにしたことで、本音がはっきりと出てきた。やっぱりそこか。
「ダサいのよ。泥だらけになって、そんな奴らのユニフォームとか、ボールを洗ったり磨いたり。私がやりたかったのはもっと」
「もっと、何?」
知らず、あたしは言葉を発していた。苛立ちがピークに達していた。
「マネージャーって、遊びじゃないよ。選手が練習や試合に集中できるように環境を作るのがマネージャーでしょ? たとえどれだけ雨が降っててもスパイクを履いて、ピッチに立ちたい。だから雨でも外で練習するの。本気でマネージャーやってる人はね、選手がそう思ってるのを知ってるの。だから合羽は着たりするけど一緒に外にいるの。
自分たちも一緒だからって、選手に教えるために。あんたはマネージャーのふりをした、マネージャーに憧れただけの存在。そんなの、長続きするわけがないの」
その苛立ちのままにあたしは思う言葉すべてを吐き出した。
「何よ」
もちろん、絶対に相手は何か言ってくるだろう。それぐらいはわかる。
「あんたも苛立ってるんじゃない。ちょっとは焦らないの? 彼氏に手も出してもらえないなんて」
一瞬、何を言われたかわからなかった。
そして、しばらくしてから理解した。あぁ、こいつはあたしが秀平と体の関係を持っていないことを貶しているんだ。秀平、周りに今はしないって公言してるから。
あたしの中で怒りが熱を持っていくのがわかった。それと同時に隣で空気が冷たくなっていくのもわかった。
「そんなことがそんなに偉いのか?」
あたしは、秀平のこんなに冷たい声を聞いたことがない。
「俺たちは何の責任も取れないガキなのに、無責任にそんなことができるわけない。体の関係って、遊びで持つものじゃない。そういうことは、愛の方がよくわかってる。そんなことをしたら、きっと後悔するって俺たちは知ってる。
だから、俺たちは何もしない。このまま歩いていく。いつか必要なことすべてを満たしたら、そうなることを望むんだろうけど。今の俺たちはそれを望まない」
その言葉すべてが、凄く嬉しかった。あたしのために怒ってくれたこと。あたしが望んだことを守ってくれていること。
全部、全部。
それが全て。
「馬鹿じゃないの。そんなの、付き合ってる意味ないじゃない」
「そうすることでしか繋がれないのは、悲しいと思うけど」
あたしの怒りが急激に醒めていく。
いつまでも怒っててもしょうがないね。
「帰ったら? それで、本当にマネージャーがしたいのか考えたら?」
「……」
そして、あたしと秀平だけになった。
「ありがと」
あたしの代わりに怒ってくれた。秀平はいつもそうだ。あたしがどうしようもないくらいの怒りを感じたとき、それを爆発させるよりも早くあたしの代わりに怒りを内包した、でも冷静な言葉を紡ぎ出す。
「別に、俺が思ってることだから」
お礼を言われることじゃない。そう言いたいんだろう。
でも、あたしと同じ想いをもってくれていることが嬉しいんだ。だから、お礼を言いたい気持ちにもなる。他人の普通はあたしの普通じゃない。そんなこと、誰だってわかってる。
皆の普通の陰に、それに反する想いがある。流行のアイドルのファンじゃない奴は変、おそろいの物を持ってないやつは敵、クラスの敵はいないと駄目。
そんな皆の普通を前にすると叫び出したくなる気持ちがある。『くそ食らえ』って。自分を削ることでしか手に入らない普通なら、あたしは要らない。
それが、彼氏ができたんなら処女捨てなきゃ駄目、とかいうふざけたものなら尚更。第一、お母さんがずっと言ってきたことだ。それは捨てるものなんかじゃないって。
そういうことも全部わかってくれてる秀平だからあたしも言えるんだ。
「秀平は、あたしと同じ想いでいてくれてるってことでしょ? だったら、あたしはそれにとても感謝してる。そのおかげでとても助けられてる。だから、あたしは何度でも言うよ。
ありがとう」
ありがとう。それは魔法の言葉。たったそれだけで人をやさしく出来る。
「どういたしまして」
以下後書
これを執筆していた時期、ヤマシタトモコの『BUTTER!!』や『HER』、今井哲也の『ぼくらのよあけ』にドはまりしていたことがうかがえる内容になっております。
言い回しがまんまだったりするので、拙い場合は修正します。
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