第10話 聞き耳の重い対価

 遊歩道を抜け、傍らに設置してあった案内板を見る。

 こっちから抜けたほうが近そうだな。厚みのある雲が増え、空の様子が怪しくなってきたからできるだけ早く済ませたい。


 がさがさと雑草の生い茂る小道を抜けていく。

 あたりは薄暗く、道の様子からあまり使われていないようだった。裏道というより、もはや獣道になりつつある。正面入り口から離れているから、手入れもされていないのだろう。

 向こうには人口小川のあるキレイな道があるし。一般の来庁者がここまで来ることはなさそうだ。


 そもそも喫煙所自体、一般の人たち向けには専用のスペースが設置されているのだ。職員専用の喫煙所になにしに来たんだ、と怒られるかもしれない。

 まぁ、それはそのときで。適当に謝って、社員証の話に持ってってみて。ダメだったら他の場所を当たってみよう。


 少しの緊張感と、秘密組織の任務をこなしているような高揚感。そんな感覚が俺を大胆な行動へと走らせる。

 それでも根が小心者なので、人に見つかりませんようにとびくびくしながら喫煙所へと向かった。


「魔法学園はいいお得意様だからな。社長も重視しているんだろう」


 魔法学園の名前が出たので、思わず足を止めてしまった。

 身を潜めて声の方向をのぞいてみれば、小太りの男性と背の高い男性が、ファイルを手になにやら会話を交わしている。小太りの人が上司なのだろう。背の高い男性がなにかを報告し、それに対して簡単な言葉を返していた。

 そういえば、背の高い男性のほう。画像に写っていた人もこんな髪形の人だった。本人だったりして、と好奇心から後をこっそりついていく。

 また面白い話聞けないかな、と期待に胸を膨らませた。あの青柳という人が話した仕事の手順は、聞いていて大変に参考になるものだった。一般のサラリーマンがどんな仕事をしているか分からないので、その片鱗へんりんだけでも知れると楽しい。聞き耳を立てる行為にハマってしまいそうだ。


 人気ひとけのない渡り廊下。今度は向こうからもこちらが見えてしまうので、建物の脇へと隠れてやり過ごす。

 仕事の話をするにしては、随分とへんぴなところを選んだな。薄暗くて、ほこりっぽい。気分が落ち込みそうだ。虫も多く、葉っぱから伸びていた蜘蛛くもの巣を手で払いながら身を隠す。


「結城峠の運転手はどうだ? また使えないのか」

「マスコミに名前割られましたからね。二回目はさすがに怪しまれるかと。なにより、本人が怖じ気づきまして」


 工場行きですよ、と面倒くさそうに背の高い男が答える。

 リストの人が……という話をしていたので、てっきり仕事の話だと思っていたのに。予想外な名前が出てきて、驚きを隠し得なかった。

 結城峠って……この前の落下事故のことか? なんでそんな話を。


「そういえば、笹徳ささとく事件覚えてます? あのふたり組を刑務所からスカウトしたらしいですよ」

「あの大量殺人犯をか? それは社長も思い切ったな」

「それで、案があるんですが……いちいち運転手を送り込んで事故を起こしていてもキリがない。バス事故があまりにも多発すると、怪しまれますからね。この前みたいに死に損ないが出ても面倒ですし……」


 これは……聞いていていいのだろうか。どくんどくんと、心臓の鼓動を強く感じる。

 写真に写っていた人物が、区役所の人間ではないかと予想はしていたが……。俺の動揺をよそに、会話は進んでいく。


「あの野郎も、病院でおとなしくしてりゃ黒焦げにならず、楽に死ねたのに」


 決定打が聞こえ、ぞくりと体が震えた。

 死に損ない。病院。

 いまの会話って……葉野町の焼身自殺のことか?

 まさか、本当に? この人たちが……?


 事件を追っていたはずなのに、いざ殺人の手がかりを得ると身がすくんでしまった。

 本当に人が殺されていたなんて。しかもその犯人が、こんなに近くにいるだなんて。


 スマホのカメラを起動して写真を撮れば、一躍英雄だ。殺された人たちの仇を取ることができる。

 だが、体が凍り漬けになったかのように動かなかった。

 いつもは意識せずしているはずの呼吸がつらい。会話が耳に入る度に、血の気が引いていく。

 人殺しが、こんなに近くに。なんてことない世間話のように、殺した話をしている。その異常さに身が震えた。


 人の命をなんとも思っていない。そんな奴らの前に姿を現したら――

 じっと息を潜め、身じろぎひとつしないよう体を縮める。

 追っていたはずが、追い詰められたような錯覚に陥った。凍り付いている俺に気づかず、ふたりの男はなおも会話を続ける。


「ひとつ、大事故を起こしてやりましょうよ」


 声に喜色が含まれていて。姿を見ずとも、ニタリと笑っているだろうと想像できた。


「ゴミどもを一カ所に集め、あの殺人犯を使って……そうすれば一気に仕事が楽になり、社長も喜ぶ。一石二鳥でしょう?」


 なにを、するつもりだ。

 会話の内容は良く聞こえるのに、その中身が理解できない。

 ゴミどもを一カ所に集めてって……まさか、大量殺人でも起こす気か?

 なんで。なんのために。


「犯罪者に計画のすべてを任せるのは不安だ。……あの御曹司にやらせればいい」


 同じく喜色の混じった声で、小太りな男が反論する。御曹司に? と背の高い男が疑問の声を上げた。


「かなりの魔法の使い手らしいぞ」

「魔法使い、ですか」

「ああ。そこを社長に見いだされたようだ。そうでなければ、あんな生意気小僧の機嫌を取ったりするものか」


 互いに声を合わせてせせら笑う。対する俺は、本気で笑えないぞとひとり冷や汗をかいた。


 魔法使いの犯罪は、一般人のそれより罪が重くなっている。

 魔法が使えると、それだけ犯罪の幅が広がってしまうからだ。

 万引きでも初犯で実刑。問答無用で刑務所へと送られてしまう。

 それゆえに、魔法を使った犯罪を起こさないよう、一年の時は道徳の授業が多かったりするのだけど……。

 魔法使いは社会において優遇されているので、犯罪に手を染める人は少ない。

 だが逆に、犯行におよぶと連日テレビを独占するような、大事件になることが多かった。


 狂った魔法使いほど、厄介な相手は他にない。

 奴らの狙い通り、事故を装って魔法を使われたりなんかしたら……


「そこでなにをしている?!」


 ことの重大さに呆然ぼうぜんとしていると、背後から鋭い声が上がり。

 俺は一目散に、誰も居ない方向――庁舎の中へと駆け込んだ。


*********


「それで、庁舎のなか逃げ惑って。疲れてきたから、ダメ元でロッカーのなかに隠れてさ」

「なかで半泣きになってるところを、俺が助けてやったってことか」


 途中、おっさんたちの会話に聞き耳を立てていたことをとがめられたが、ひととおり説明を終える。

 別に半泣きになんかなってねぇけど。

 けれど、本気でヤバイと思っていたから一応目の前の人に感謝しておく。

 心からお礼を言ったというのに、おっさんは小さくうなずいただけで軽く流した。

 なんだよ、礼の言いがいがないなぁ。まぁ、尊大な態度で恩に着せられてもそれはそれでむかつくが。


「信じたくねぇが……それなら思い当たる節がいくつかある。身内の可能性も、とは思っていたが……」


 額を押さえ、テーブルに肘をついて深いため息を落とす。つらそうに眉をゆがめていて。自分が働いている職場に殺人犯がいると言われて、平然としていられる人間なんかいないだろう。


「そういえば、おっさんはなんで連続殺人のこと知ったの?」


 普通、なにも知らなかったならふたつの事故を組み合わせて連続殺人だとは思わないだろう。おっさんはおっさんなりに、なにかに気づいたということだ。

 なにか手がかりになるかもしれないから、念のため聞いておく。


「連続殺人だとは思っていなかった。ただ、仕事柄……死ねばいいと思ってた奴らが、どんどん死んでいくんでな。なにかあるんじゃないかと関連性を探してたとこだ」


 死ねばいい、なんておだやかではない。

 やっぱり信用するのは間違いだったか? と身を固めると、彼は視線を上げて俺を見つめ。ぱたぱたと両手を振った。


「勘違いすんなよ? 殺してやりてぇってほど憎んではいないし、殺されたとなれば同情もする。殺人を肯定するつもりはねぇ。おまえの味方だ」

「ホントかよ」

「約束する。誓ってもいい。だから怖がるなって」

「別に、怖くなんてねぇし」

「説得力ねぇな」


 おまえのおびえた顔見るとこっちが罪悪感覚えんだよ、と頭をかきながら苦笑する。

 だから怖くなんてないってば。ちょっぴり疑心暗鬼に陥ってしまっただけだ。


「ちゃんと説明したほうがいいな。俺は保健福祉局生活部――死亡登録や生活保護受給者の管理をしている部署で働いてるんだが……」


 生活保護の窓口業務だけ担当するはずが、パソコンができるせいでなんだかんだ他の課の面倒まで見させられている、と愚痴を混ぜ込みながら業務内容を説明してもらった。

 確かに仕事できそうだもんな。気さくだし気が利くし、周りが頼りたくなる気持ちも分かる。当人は迷惑そうだが。


 特に最近は鳴り物入りの新人が入って来て、ただでさえ忙しいのに部長命令で他の課の仕事まで説明しているという。

 新人って、もしかしてあの窓際で話していた相手のことだろうか。あんな尊大な態度を取る人の教育係は大変そうだけど。

 放っておいたら愚痴がずっと続きそうなので、本題のほうへと促してやった。


「桶広の正面衝突事故の死亡者登録を説明がてら手伝ってたときだ。……死んだ奴らが、軒並みブラックリストに載ってることに気がついてな」

「ブラックリスト?」


 予想しない単語を言われて聞き返す。言葉の響きからして怪しげだ。


「生活保護不正受給の疑いがある奴らのリストだ。面談回数を増やすために俺らはリストを作っている。それをブラックリストって裏で呼んでるんだ」


 そんなものがあるのか。確かに不正受給はニュースで何回か取り上げられたりと問題になっていた。

 マスコミは対策をしない国を悪者扱いしていたが、対応しきれないほど狡猾こうかつな奴らが多いのだろう。


「桶広で死んだ中の七人がこのブラックリストに載っていた。それと、うちで断って他の区に行った奴が死んでいる。公式のリストじゃねぇから他んところは調べられねぇけど、なんかしら問題を抱えていた奴らだと思っていいぜ」


 そこまで調べがついているのか、と純粋に驚いた。彼なりにいままで調べてきたのだろう。

 店員さんが横の通路を通る。こちらの会話なんて気にしないと思ったが、おっさんは用心深く店員が通り過ぎるのを待ってから話を再開した。


「ふたりの死者のうち、七人がブラックリストだろ? あまりに多いんで、病院送りになった奴らも調べてみたら……四人。リストに該当した」


 そこまで一致していたなら、もう確定とみていいだろう。


「ブラックリストの人たちをバスに集めてたってこと?」

「ああ。衝突事故を起こした片方のバスは、うちの区役所発だった。その日は支給日だったからな……同僚に確認したら、人数が多いからって駅までの無料バスを用意してたらしい。初の事例で……あの事故だ。結城峠の落下事故も五人。リストと一致した」


 ただ、結城峠のほうは全員問題がある人物とは思えなかったらしい。実羚が世話になったというおばあさんが乗っていたこともあるし。


「正義のヒーロー気取りが犯罪者を裁いているのか、それともただの偶然か。もしかしたらリストが外部に漏れている可能性も……と調べてたとこだ」


 その他にも、小さな事故や病で次々とブラックリストの人たちが死んでいるという。

 計画殺人か、と怪しんでいたところで結城峠の落下事故が起きて。


 正義のヒーローを気取るなら、無関係な人間を巻き添えにはしないだろう。

 ただの偶然か、それともなにかのミスで巻き添えになっただけか。

 判断に迷っていたところ、俺と会ったのだという。


「部長が犯人だってならシンプルだ。正義のヒーローだなんて高尚な理由じゃなく、ブラックリストの奴らがいなくなれば単純に仕事が楽になるからな。部長の評価も上がる」


 実際、ここ数カ月で仕事の量が大分減ったという。そうでなければ、新人の面倒などとても見られる状態ではなかったと。


「余裕ができれば、本当に生活保護を必要としている人にこっちから手を差し伸べることができる。ブラックリストの連中みたいに、何度も面談に行かなくて済むしな。そういった点で、仕事柄『死ねばいい』と思ってたってだけだ。……だから、警戒するなよ?」

「別に怖がったり警戒したりしてないって」

「本当かよ?」


 おまえ、追い詰められた猫みたいな目で俺のこと見てたぞ、と茶化ちゃかされる。

 その言葉を無視して、中身がはみ出ていない揚げチーズを慎重に選び取った。残りは全部ハズレと予想する。人を虚仮こけにするおっさんにはチーズのカラがお似合いだ。


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底辺魔法使いと殺人瓶 澤村しゅう @lemon_time

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