第9話 聞き耳の軽いお礼

 画像がほとんどつぶれてしまっているためわかりにくいが、名前をまたがるように入れられたラインは遠目でも良く目立つ。


「こんな特徴的なデザインあまりないだろ? ネットで検索して区役所っぽいなと思ったから、実物確認しに区役所に乗り込んだんだけどさ……」

「そこからだ。追われる原因になるようななにかをやらかしたんだろ? 詳しく説明してくれ」


 身を乗り出しながら話の続きを促してくる。

 やらかした、だなんて失礼な。

 まるでこっちが悪いみたいな言い方にむっとしながら、タッチパネルでまた800円ドリンクの追加注文をしてやる。


「初めに会ったときも言ったと思うけど、俺はなにもしてないよ。ただ聞いちゃっただけ」

「聞いた?」 


 ゆっくりうなずき、ちょっとだけ声を潜めて伝えてやる。


「アイツらが事故に見せかけて、人を殺してるってことをさ」


 ***


 授業が終わると、クラスメイトたちとのあいさつもほどほどに校舎を後にする。

 公園のトイレで持ってきた私服に着替え、ワクワクする気持ちを抑えきれず、足早に区役所へと向かった。


 魔法学園の制服はいい意味でも悪い意味でも目立ちやすい。ただの着替えが変装のように思えて、探偵気分を満喫した。


 もしかしたら、誰も気づいていない事件を解決に導くことができるかもしれない。

 犯人を捕まえたなら、実羚もきっと喜んでくれるだろう。

 彼女を泣かせる悪人はこの俺がとっちめてやる。

 胸に宿る正義感に突き動かされるようにして、日中の大通りを歩く。


 太陽に透かされてキラキラと輝く木漏れ日を抜けると、目的地の役所へとたどり着く。

 二重に設置された自動ドアをくぐり、一年中一定温度に保たれた過ごしやすい館内をうろついた。遠目から窓口で淡々と作業を続ける人々を眺める。


 なぜ役所の人間というのは一様に能面を貼り付けたような無表情なのだろうか。相手がある仕事なのだからもっと表情豊かでもいいのに。

 それともこの仕事だからこそ、働くうちに無表情を強いられてしまうのだろうか。

 必要以上のことは話さず、ただ淡々とロボットのように事務処理をこなしていく人たちを遠くから見守る。


 社員証を確認するため、窓口横の書類を取るふりをして応対中の男性に近づいた。

 名前を横切るようにラインが入った、不思議なデザイン。

 携帯の画像と見比べてみたが、区役所の社員証で間違いないだろう。ヒモのところについていた丸い物が、リサイクル推進のキャンペーンバッジだということまで判明する。


 目的は果たした。あとは露出補正をした画像といっしょに、あのSNSの人に伝えてやるだけだ。


 意気揚々と引き上げようとして、ふと、「せっかくここまで来たのだし」と欲が出る。

 どうせなら誰かの社員証を撮影させてもらえないだろうか。リサイクル推進のバッジも一緒に送ってあげれば、区役所の社員証だという説得力が増す。


 窓口で仕事中の人に声をかけるのは悪いので、どうせなら休憩中の人に声をかけたい。

 断られるかもしれないが、ダメ元で聞いてみる価値はあるだろう。


 都合良くそこら辺を歩いているひとがいないか視線を巡らせるが、一般人ばかりで、話しかけやすそうな職員の人を見つけることができなかった。

 どうしようかと思案して、喫煙所の存在を思い出す。


 喫煙所ならば仕事の邪魔にならないし、ダメでも次々にいろいろな人がやってくる。

 名前を隠すことを条件とすれば、ひとりくらい撮らせてくれるだろう。


 確か外に喫煙所があるはずだ、と近くの扉から外に出て、区役所の周りをぐるりと回る。

 周りには木々が植えられていて、簡単な散歩コースとなっていた。

 等間隔に街灯が埋め込まれ、所々にベンチや自動販売機が設置されている。

 日中に歩いたら木陰で気持ちいいのかもしれないが、遠くの空が黒く陰っていて。湿度の高い空気が肌にまとわりつき、決して快適とは言えない気候になっていた。

 まだ太陽が沈むまで二時間以上あるはずなのに、この暗さ。ひと雨来るかもしれない。心なしか、吹く風も勢いを増し始めていた。


 足早に喫煙所を目指して歩いていると、結構大きめに人の会話が聞こえてくる。

 どこに人が、と辺りを見回して、すぐに二階の明け放たれた窓が目に入った。窓から自動販売機が見えるので、休憩所かなにかだろうか。


「――もっと早くできたはずだ。僕ならば午前中ですべて終わらせる」


 室内で交わされる会話が、外にいるのにも関わらずしっかりと聞き取れた。

 意外と窓を開けっ放しにしていると、音って伝わるんだよなぁ。

 虫が入るから網戸にすればいいのに……と窓をよく見ると、反対側にほぼ枠しか残っていないぼろぼろの網戸を見つける。

 なにをしたらあんな大惨事になるんだ。確かにあれでは、窓全開にせざるえない。


「だーから、あんとき川瀬さん大量の仕事抱えてテンパってたろ。さらに仕事回したらよけいなミス起こすかもしれねぇ」


 わざと遅らせたんだよ。本当はもう終わってる、とプルタブを起こす音とともに、もうひとりの声も聞こえてきた。

 窓際で話しているのか、ため息までしっかり聞こえる。ちょっと険悪そうな雰囲気だったので、好奇心からその場に留まり、聞き耳を立ててみた。


「もっと周りを見ろよ。おまえが優秀なのはわかるからさ」


 短髪の男性が、開け放った窓枠に背中を預けながら会話の相手をたしなめる。なんだか面白そうな会話だ。


 ひとりが仕事上の愚痴を言うと、短髪の男性が周りの状態を踏まえて、適切なアドバイスを返す。

 どんな仕事をしているのかは分からないが、区役所の仕事というのもなかなか大変なようだ。

 話だけを聞いていると、短髪の男性の言うことはもっともで。興味深く聞き耳を立てる。


 対する会話の相手は、自己中心的で愚痴が多くて。

 会話を聞いていると教育係と手間がかかる新人って感じだが、新人がまさか先輩相手にこんな口は利かないだろう。かといって、仲がいい同僚って感じでもなさそうだった。


 どういう関係なのだろう、と木陰から窓に寄りかかる短髪の男性を見上げる。

 普通あんな言い方をされたら怒りそうなものだけど。

 周りのことに気がつき、人当たりもよい。

 口調こそ砕けているが、懐が深く、仕事ができる人のようだ。


「アオヤギさ~ん、これ追加のリストです~」


 遠くから女性の間延びした声が加わった。窓際で書類の受け渡しが行われる。

 短髪の人、アオヤギって名前なのか。名前も分かり、なんだか変に親近感が湧いてしまう。どんな漢字を書くのだろう。


「おっまえね~、休憩中に持ってくんのやめてくんない? 休み時間ぐらい仕事のこと忘れたいんだけど」

「部長から頼まれた奴が終わるまで休憩入れないんで。私はまだ仕事中ですよ~」


 さいですか、と小さくうめきながら受け取った書類をパラパラとめくる。

 自分だってさっきまで仕事の話をしていたくせに。

 気さくに交わす軽口を聞くに、男女問わず同僚との仲も良さそうだ。


「なぁ、この人面談やったばっかだぜ。リストから外したのにまた載っちまってる」

「えぇ~? そんなはずないですよぉ。アオヤギさんの勘違いじゃないですか~?」

「いいや、俺この人二回とも行ったから覚えてんだよ。リカちゃん間違えたんじゃないの~?」

「違いますぅ~。私データ流し込んだだけですもん」

「バカ貝、そろそろ仕事に戻るぞ」


 キャッキャと楽しそうな会話を断ち切るように、残されていた男が声をかけた。アオヤギさんは苦笑して、会話を仕事の話に戻す。


「とにかく、部長に持ってく前にこの人消しといて。なんかあったら責任は俺が取るから」

「はぁ~い」


 あっさりと快諾して女性がその場を離れる。

 すぐさま訂正に応じるなんて信頼されてるんだな。アオヤギさんはひらひらと手を振りながら彼女を見送った。

 彼女が部屋を出て行った頃合いに、また残された男が不機嫌そうな声で話しかける。


「そのだらしない顔をやめろ。女相手だとおまえはヘラヘラと笑うな」


 聞いているこっちがハラハラしてしまうようなキツイ言い方だ。気分を害したのか、アオヤギさんが初めて厳しい口調で相手の言葉に応える。


「おまえはもうちょっと愛想ってもんを覚えろ。そんなんじゃ孤立するし、友達だってなくすぞ」


 緊迫した雰囲気に、なぜか俺のほうが汗をかいてしまう。

 しかし、会話の相手はよっぽど空気が読めないのか。なんてことない口調で、アオヤギさんの言葉をうち捨てた。


「必要ない。実力さえあれば部下はついてくる。仕事に支障はないはずだ」

「さすが孤独なお坊ちゃんは、言うことが的外れでかわいいな」


 ハッ、と鼻で笑いながら言い返す。

 うわー、怖ぇー。愛想がいい人が怒ると怖いってのは本当だな。もはや話の成り行きが気になりすぎて、この場から動くことができなくなる。


「いつも不機嫌で高圧的な人間に部下がついていくわけねぇだろ。孤立する前に、自分の機嫌は自分で取る習慣を身につけるんだな」


 上司の指示でなけりゃテメェみたいなガキんちょ、相手にするもんか、とき捨てる。

 本気で怒っているようだ。なんか複雑な事情がありそうだけど……。


「なら、あとの作業は僕ではなく、さっきのバカ女とでもこなすんだな」

「あ、投げんな……ちょっ……!」


 バサバサ、と物が落ちる音とともに、一枚の布が窓から外へと投げ出される。

 ちょうど建物内を通り抜ける風が吹いてしまったのだろう。その布は運の悪いことに、目の前の木へと引っかかってしまった。


 窓から身を乗り出し、くそっと小さく悪態をついてアオヤギさんが室内へと引っ込む。

 荒い足音から、木に引っかかった布の回収に向かったのだと推測できた。待っていればそのうち、この場所へと現れるだろう。


 ひととおりの成り行きを見届け、どうしたもんかと思案する。

 布が引っかかってしまった木は幹がしっかりしているので、登ろうと思えば登れるだろう。

 だが、服が汚れるし。この高さを登るのはちょっとしんどいかもしれない。


 無断で会話を聞いてしまった負い目もある。

 なにより、あのアオヤギって人はいい人っぽいし。ちょっと助けてあげてもいいか。


 カバンからノートを取り出し、紙を一枚破り取る。

 手早く紙飛行機を折りあげると、意識を集中させながら羽根を指先ではじき、木に向けてその紙飛行機を放った。

 それは見えない糸で引っ張られたかのように宙を飛び、根元の枝をスパッと切り裂く。

 硬化の魔法と、風の魔法との合わせ技。自分のコントロールの良さに胸中で賞賛を贈りつつ、ひらりと落ちてきた布を軽くジャンプしてつかみ取る。


 長方形の布には「リサイクルキャンペーン」とピンク色の字で書かれていた。サイズからして、窓口に飾る旗かなにかかな?


 あんな真面目で人の良さそうな先輩相手に、よくこんなひどいマネができるよな。あきれと怒りのこもったまなざしを窓へと向ける。

 誰も居ないと思っていたが、意外にもこちらを見つめていた黒髪の青年と目が合った。

 彼は俺の視線に気づくと、すぐに部屋へと引っ込んでしまったが。


 いつからこっちを見ていたのだろうか。まさか、さっき話していた相手がアイツってことはないよな?

 黒髪に黒縁メガネをかけた青年は、どう見ても俺と同世代だった。区役所の職員で。なおかつ、アオヤギさんに対してあんな生意気な口を利ける年ではないだろう。


 呆然ぼうぜんと窓を眺めていると、遠くから男性が駆けてくる。

 後ろ頭しか見えてなかったが、髪形といい着ていたシャツといい、きっと彼がアオヤギさんで間違いないだろう。


「捜し物はこれですか?」

「ああ、どうも。ありがとうございます」


 ひらりと布を掲げれば、大急ぎで駆けよって、丁寧に礼を返してくれる。ちらりと社員証をのぞいたら「青柳 和志」と書かれていた。なるほど、青柳ってそういう字だったのか。青山羊あおやぎかと思ってた。

 手渡ししてやれば、裏表ひっくり返して汚れを確認する。地面に落ちたのを拾ったのだと勘違いしているのだろう。わざわざ魔法のことを口にして恩に着せるのも変なので、そのまま軽く会釈をしてその場を離れた。


 一瞬、社員証を撮影させてもらおうかと思ったが、聞き耳を立ててしまっている分頼むのがはばかられた。

 きっとさっきの出来事でいらついているだろうし。予定通り、狙いを喫煙所に絞ることにする。

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