第十章  すべて人民のもの  令和十年十二月十五日(金) 蝦夷森マヤ

令和十年十二月十五日(金) 北海道札幌市・共和国暫定政府拠点


 夜もとっぷり暮れて日付が回ったころ、共和国暫定政府の拠点を訪れる者があった。

 独立宣言に対する祝辞を持参した、ソ連総領事館からの使者だ。

 そして同時に、共和国政府は『外交団に対する承認アグレマン』を主権国家として初めて行う。

 それを終えて正式に外交関係が構築され、法的に国交関係が樹立されることになる。


 閣議室にソ連総領事館から派遣された二人は、あたしが思いもしない顔ぶれだった。

 アーニャと……そして、護衛の現地採用事務員を名乗るコーヤ。学校にはしばらく行けていないので、顔を合わせるのは久しぶりだ。

 話によると外事警察の監視が厳しく、総領事館と物理的に接触していない二人を名代として送ってきたそうだ。

 コーヤは……残念だけどこの様子だと、あたしじゃなくてアーニャを選んだみたいだ。そっか……振られちゃったのか、あたし。こんな形で見せつけられることになるなんてなぁ……。ううん、でもいいんだ。コーヤの『最後の女』にさえなれれば、あたしはそれで……。

 二人と視線が合わさったけれど、何を伝えたいのかまでは分からなかった。でも二人とも驚いていなかったから、あたしが共和同盟の人間だってことは知っていたみたいだ。

 唯一気になったのは、コーヤの身のこなしだった。以前と比べて、全く隙が無い。まるで、ずっと前からアーニャの護衛だったかのように。

 アーニャが何か手ほどきしたのだろうかとも思ったけど、いま尋ねるわけにはいかなかった。


 アーニャ……いや、『アンナ・アレクサンドロヴナ・ベリンスカヤ三等書記官』が祝辞を読み上げたのに続き、国交樹立関係の手続きが粛々と行われた。

 外交団の承認、各種条約の批准……立ち会いは『共和派』の北川小五郎防衛大臣に、大統領権限で派遣されてきた新顔の『高山圭介』文部科学大臣。もちろん『君主派』だ。

 暫定政府はこれらの手続きが成立した事実を全世界に公表して、明日の選挙戦に臨む。


「それではARA情報部ソ連担当、蝦夷森少尉補より。本日執行の道会選挙について、見通しを」

「はい」

 北川防衛大臣に指名され、あたしは佇まいを直して席を立つ。

「情報部の蝦夷森です。情勢としては、少なくとも過半数は無所属で獲得できる見込みです。ですがその後の交渉については不確定なので、場合分けしてご説明します」

 あたしは、あらかじめ用意しておいたパワーポイントのスライドを動かした。

「政府に関しては、当選した同志を中心に共和国の正式政府をいかに早く構築できるか。軍に関しては、旧ARAと陸軍第十一旅団の合流がいかに早く成功し、道都に戒厳令を敷けるか。この二点の成功を確認したうえで、日本政府との交渉に移行するべきです」

 共和同盟には、とりあえずは日本政府と同君連合を結成したうえで形式的な『総督』を迎え入れるべきとする榎本大統領ら『君主派』と、ARAを中心に原理主義的な完全独立を目指す北川防衛大臣ら『共和派』の対立が存在する。である以上、説明は公平を期さなければならない。――寝首をかかれたくなかったら、だ。

「政府と軍。その二つの強度によって、勝ち取れる独立の形態は変動すると言っていいでしょう。無条件での完全独立を勝ち取れるケースが最善ですが、そうではない場合は、イギリス連邦方式の独立も選択肢に入れなければならないと思います。同じ君主をいただき、総督を迎え入れる形です」

 ……よし。ここまではうまく説明できている。『もの言えば 唇寒し 秋の風』っていうものね。

「その場合、切り札となるであろう要素がソ連から輸入する予定の『核』です。情報部の分析によると、以下の条件ならば日ソ関係の修復も含めて独立交渉は妥結すると思われます」

 言って、あたしは最後のスライドを映し出した。


・アイヌモシリ共和国は核不拡散条約NPTに加わらず、核武装を行う。

・日ソが政治的軍事的に対立するに至った場合、対立が解消されるまで、アイヌモシリ共和国は国際法上の中立国義務を負う。

・日ソに核攻撃が加えられた場合、アイヌモシリ共和国は自動的に報復核攻撃を相手国に対して実施する。


 この三つの条項が実現したら、日本はソ連との間に緩衝地帯を、また事実上『報復用の核』をも得ることができる。

 つまりこの政変は、ソ連が領域を少し南下させる代わりに、日本は本州のすぐ北に『報復用の核』を持つという取引なのだ。

 現在進行中の核の持ち込みについて、陸軍の人工衛星は間違いなく気付いているだろう。憲兵隊の反応の鈍さといい、陸軍は暫定政府の腹案についてある程度『内応』しているのではないだろうか。

 それでいて軍とは対照的に、特別高等警察の動きは情報部としては捨て置けない。『強制介入班』が北川防衛大臣の首を狙っているという情報が入ってきている。

 一日前に大臣を襲ったという『女警』――。年齢も装備も、得られた情報と一致している。

 どこに現れるかも定かでなければ、距離を詰められた場合に一般兵が討ち取れるかも怪しい。たとえるなら、杉原少尉が敵方に回ったようなものだ。

 ARAでも『そいつ』に対する対策は打つみたいだけど……願わくば、これに加えて杉原少尉まで敵方には回らないでいて欲しかった。

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