第十一章 忠誠、反逆、剣姫ひとり  令和十年十二月十五日(金) 杉原たかね

令和十年十二月十五日(金) 北海道札幌市・道庁長官官舎前


 望月巡査と接触するために私と甘粕先輩が覆面パトカーのブルーバードで張り込んだのは、現職の道庁長官である榎本隆之の官舎だった。樺太庁長官も兼務する、大物の内務官僚である。

『北川小五郎は、同志の榎本長官を迎えに必ずここにやってくる。そして望月巡査は、そこを強襲する』

 それが、甘粕先輩の見立てだった。北海道庁が内務省の外局である以上、『開票』の時点で榎本が道庁庁舎に残るのは確かに得策ではない。最悪、その時点で道警に身柄を確保される可能性すらあるからだ。ならば、消去法で警備がもっとも厳重なのは官舎だ。

 色々と信じられない部分もあったが、私と甘粕先輩は『望月を斬る』という一点において同志である。信頼の理由は、それで十分だった。

『無所属候補 道会選の三分の二を確保』

 開票作業は数時間前から始まっている。カーナビのTVでは、早々と出た当確で無所属が多数を占めたという速報を報じていた。小五郎も、第十一旅団が所在する南区の枠から選出されている。――ついに、事態が動き出すときが来たか。そういえば、期日前投票できなかったな。欠勤した学校のことが、今になって少し気になった。

「生きていたか、副分隊長。こちら甘粕分隊長、送れ」

「第十一旅団にあっては、開票作業開始と同時に共和国派が反共和国派を粛清。旅団主力は、北部方面軍司令部のある札幌衛戍地に向け前進。なお、真駒内憲兵分隊は営外に撤退。送れ」

「了、引き続き部隊保全を図られたい。作戦目的は、検挙でも政変の阻止でもない。共和国派が札幌を掌握したら、速やかに投降。隊旗を掲げ、道庁警察部の代替となる治安維持要員として協力を願い出よ。送れ」

「了、終わり」

 覆面パトカーの無線機に入った速報に、顔色を変えず指揮官として命令を下す甘粕先輩。その姿は、あまりに落ち着き払っている。まるで、こうなることをあらかじめ知っていたかのように。

 だからこそ。『共和国構想に関して日ソ両国は腹芸で密約を交わしており、直轄の憲兵隊を含めて陸軍は中央レベルで賛成している』という小五郎の証言の裏が取れた。――いや、取れてしまった。

 「全てが終わったら、どこへなりと好きなところに」と甘粕先輩は言う。裏を読めば望月巡査を斬ったあと、私が帝国陸軍に忠義立てしようが共和同盟に合流しようが、それは自由だということである。どちらに転ぼうが、私が憲兵隊と敵対することにはならないと甘粕先輩は分かっておいでなのだ。

 ……悔しいが私は所詮、時代遅れの剣術屋なのだな。将校に必要とされる政治的センスに欠けている。あれよあれよといううちに、『治安維持法に違反した』『北海道独立派の社会主義結社が』『無所属立候補で北海道会を掌握』してしまったのだ。


『近いうちに、お前がくべき戦場がこの島に訪れる』


 あの日、小五郎はそう言っていた。それは――今は机上の概念に過ぎない『独立宣言』を、道会という機構を使って現実のものにするということか。

「! 来ましたよ、杉原少尉」

 そのとき。長官官舎の門前に、二台の三トン半トラックが横付けされた。ナンバーは陸軍のものだ。停車したかと思うと、中から武装した迷彩服姿の二個分隊が降りてくる。目を凝らすと迷彩服用部隊章は――第十一旅団。無線によればすでに『反共和国派』は粛清されているから、こいつらは『共和国派』――つまり、道会の新しい軍隊だ。

 迷彩服の集団の中には、背広姿で上背のある男が一人だけ混ざっていた。その後ろ姿に、私は直感する。

 ――間違いない。小五郎だ。何の目的かは知らないが、彼はここにやってきた。後は望月巡査が来るのを待つだけだ。小五郎は部下達を門の前に残し、官舎の中へと入っていった。私は無言で体を捻り、後部座席に置いた軍刀と旅行鞄に手を伸ばす。

 甘粕先輩が、私に告げる。

「私はこれから、部下たちと合流を図ります。貴女は打ち合わせ通り、与えられた任務を遂行してください。じ後は、『どこへなりと好きなところ』に。……行きなさい、貴女を待つ人のところへ」

 私は黙って頷き、軍刀と旅行鞄を手に助手席の扉を開けた。

「ご武運を、杉原さん」

「――ええ、先輩も」

 別れに臨む訣辞けつじは、簡潔だ。だが、それらの言葉には互いの固い思いがこもっている。

 たとえ相討ちになっても、あの娘は必ず仕留めてみせよう。私はその決意を新たにする。

 道庁方面に去りゆくブルーバードを、私は深々と頭を下げて見送った。


         ▼


 私が官舎の前に近づいたとき、短髪に豊かな髭を刈り揃えた男を連れた小五郎が官舎から出てきた。

 テレビや新聞でよく見るので、私も顔は知っている。才気煥発かんぱつたる、という形容が相応しいのだろうか。榎本隆之――北海道庁長官にして、樺太庁長官だ。

 現段階では私も彼も一応は大日本帝国の公務員であるので、私は敬礼を榎本に示した。

 小五郎が促すと、榎本はトラックの荷台に乗り込んだ。同時に、私に気付いた警備の兵士達が銃口を向けてくる。その中には、朝鮮で共に戦った下士官兵の姿も多く混ざっていた。

「待て! 我らの同志だ」

 小五郎がとっさに発砲を制する。私はそのまま小五郎へと近づき、右手の鞄を下におろして姿勢を正した。小五郎は、私の来訪を予期していたかのように微笑む。

「待っていたぞ、杉原少尉」

 差し出された手を、私は握り返した。

「暫定政府のダーヒンニェニ・ゴルゴロ防衛大臣だ。貴官のARAへの加入を、ここに承認する」

 ARA――アイヌモシリ・リパブリカン・アーミー。共和同盟の義勇兵組織で、本家のIRAと同じく都市テロを主な戦術としている。小五郎が旧十一旅団の人間を従えているということは、ARAと旧第十一旅団を基軸に『アイヌモシリ共和国軍』を編成完結するのだろう。

「ご大層な肩書きだな? 小五郎――いや、ダーヒンニェニ防衛大臣」

 ダーヒンニェニという苗字は、ウィルタ語で『北の川のほとり』を意味するそうだ。かつてピロートークで聞かされた話である。

 小五郎が軍医として勤務していたとき、その名は禁じられたものとして軍の人事調書に記載されているに過ぎなかった。だが今、小五郎は自らの本名を掲げて夢を追っている。そんな小五郎が、私には眩しくもあり誇らしくもあった。

「おかげさまでな。取り敢えず自分は、榎本大統領を安全な場所にお連れせねばならん。お前も同行しろ」

「了解」

 榎本長官……いや、今は榎本大統領か。大統領ということは、彼が共和同盟のトップなのだろう。よく今まで、特高に摘発されずに過ごせたものだ。

 感心した私に、小五郎が言った。

「明日からは忙しくなるぞ。新しい国民国家の措定そていは、共同体の想像から始まるのだ」

 ――そのときだ。凍空いてぞらのもと、冬に似つかわしくない生ぬるい風が通り抜けた。私は、風上へと素早く向き直る。


 ……果たして。

 緑なす黒髪を冬の夜風にくしけずり、

 ――歩道のかなたには、柳のように少女が佇立ちょりつしていた。


 望月巡査は女警の制服を身にして、私を凝視している。小五郎でも榎本でもなく、この私を射竦いすくめようとしてだ。

 背筋が凍るほど酷薄な笑顔を、彼女は月光に照らしていた。あの表情……間違いない。こいつは小五郎を仕留めるためではなく、私との決着をつけに現れたのだ。

「杉原少尉、将校はお前しかおらん。指揮をり、奴を足止めしろ!」

 小五郎がそう叫び、トラックの荷台にさっそうと乗り込む。ふん、足止めするのはいいが――『それ以上のこと』をしても構わんのだろう?

 ――さあ勝負だ、望月。私は声を張り上げて、兵に命じた。

「総員、速やかに散開! 同士討ちに注意しろ! 目標正面てき急射きゅうしゃッ!」

 エンジンを掛けたトラックは、榎本と小五郎を乗せて走り去っていく。兵士達に叫ぶと同時に、私はまなじりを裂いて軍刀を抜き放った。

 それと同時に、望月の姿が網膜に軋んだ。夜闇を纏い、足下の雪を蹴って、歩道を肉食獣のように駆けてくる。

「各個に射てッ!」

 私が命令すると、兵士達は一斉に小銃でフルオート射撃を開始した。だが望月はそのすべてを見切り、我の配置をくぐって最も突出していた隊員のもとに到着する。

「いかん――! 射ち方やめ! 総員、銃剣を――!」

 遅かった。次の瞬間には、望月は残像を霞ませて一人の女性兵士へと飛びかかっていた。

 襲われた女は弾帯に吊した銃剣を抜く暇もなく、瞬く間に餌食となった。腰を落とした望月は刀を鋭く突き出し、女の腹部を杭のごとく貫く。

 赤黒い子宮と腸の切れ端が、れた種子のように背中からぜる。女は膝を震わせ、よだれを垂らしながら恍惚の表情を浮かべていた。常識外れの光景に、散開した兵士は一人残らず固まってしまっている。

 刀を引き抜くと望月は私に視線を送り、歌うような声を夜に溶かした。

「また相まみえたな、杉原少尉。闘争の準備は、済ませておいでか」

 ぬけぬけと吹いたな。私は切っ先で滑らかな曲線を描き、膝を緩めて脇構えを取った。

「ああ。大業物とはいかないが、良業物を『前の職場』が用意してくれた。――白色テロリストめ。今この場で、地獄に還ってもらおうか」

 私の言葉を耳にして、望月の瞳が炯然けいぜんと輝く。私は視線で合図し、兵士達に手を出さないよう命じた。――誰にも邪魔されずに、互いの必殺を計り合うために。

「よく聞け、望月。貴様のねぐらは、この島でもなければ靖国でもない。ケガレと悪臭にまみれた、薄汚い黄泉よみの国だ。――わが刀にて、いざやご案内あないつかまつろう。我が名はアイヌモシリ共和国軍少尉、杉原たかねであるッ!」

 望月は血振りして刀を鞘に納めると、居合腰で私に向き直る。臨戦態勢、というわけだ。

 私と奴との間合いは――いける、問題はない。私へと投げられた望月の炯眼けいがんが、冬の闇をリンと斬りとおした。

 さあお嬢さん、望むままに殺しあおうじゃないか。私は必殺の一撃を見舞うべく、腰を落として両脚に気力を溜めた。

「やまとびと 見よや蝦夷えみしが 武人もののふの――」

 命尽きるまで、しかと目を見開くがいい。これが、陸軍式両手軍刀術だ。私は、肺一杯に冷たい夜気を吸い込んだ。


「提げく太刀の――きか、鈍きかッ!」


 てる月光を突風で渦巻かせ、敵の懐めざして全力で駆けた。そのまま、奴の隙をついて逆胴を仕掛ける。固く銀光を纏った鋼鉄の刃が、すらりとクウを裂き闇に躍った。

 だが――ニヤリと口の端を吊り上げた望月は、ついと身を引く。切っ先が大気をうならせたが、奴は涼しい顔色を崩さなかった。その動作は、思わず見とれるほどに洗練されている。

 反応が遅れた私は、軍刀を大きく振り抜いてしまった。勢い、私の右半身が無防備にも敵にさらされる形になる。

「しまっ――」

 迫り来る望月の影。とっさに横に飛んだが、間に合わなかった。神速の抜刀は、もはや視認すら許さない。

「ぐぁっ!」

 火掻き棒を押しつけられたかのような痛みが、脇腹を鋭くえぐる。破れた服の布地に、じわりと血液が染みこむのを感じた。

 くっ――私としたことが。痛みをこらえて振り返り、まっすぐ立てたを右顎の隣で握り直す。姿勢を立て直した望月は、うつろな眼で微笑わらって振り返った。

「仕損じたか。そのハラワタ、そっくりそのまま掃除して差し上げようと思うたのだが」

 あざけるようなその言い草に、私は烈火れっかの殺意を覚える。私は構えを保ったまま、ありたっけの剣気を望月へと叩きつけた。

 大丈夫だ、傷は致命傷ではない。私はまだ戦える。軍から見放された『不用物品』にも、まだ駆けるべき戦場は残されているのだ。

 これは、武人としての誇りの問題だ。私はもはや、けるわけにはいかないのである。

 整えた呼吸が、淡い霧となって空に舞う。見ていろ、望月! 次で確実にめてやる――!

「こん畜生ちくしょオオオォォッ!」

 獣じみた雄叫びを放ちつつ、望月へと襲いかかる。望月もまた血刀を振り上げ、私の喉を狙って地面を蹴り出した。

 私の狙いは、奴の左肘だ。奴の腕に、しかと目をこらす。この速さ――勝敗を決するのは、一瞬の駆け引きだ。

(――そこッ!)

 私を貫かんとする刺突が、モリのような鋭さで迫り来る。

 私は心を研ぎ澄まし、身を落として刀身を輪のように一閃いっせんさせた。

「!」

 冷え冷えと跳ねる銀光。その光に奴が目を見開いた次の瞬間、赤い血が滝のように左腕の断面から吹き出てくる。私はそのまま奴の鳩尾みぞおち柄頭つかがしらを思い切りめり込ませ、当て身を加えた。

「ぐ、っ……、」

 うめき声を口に上らせ、望月の小さな体が宙を舞う。歩道に身体をしたたかに打ち付け、望月は動きを止めた。私はやおら立ち上がり、息をついた。

「――ふう。諸君、銃口の目標はその女警に保持。気をつけろ、まだ腕は一本残っている。下命かめいあるまで、決して発砲はするな」

 言って、奴を見下ろす。奴は腕の切り口から、赤い血をだらしなく垂れ流し続けていた。

「聞こえるか、望月?」

「……ああ。左腕を失うとは、まるで伊庭八郎だ。――射たぬのか?」

 望月は痛みをこらえた声で応えた。私は軍刀を握りしめたまま、眉根を寄せて奴に語りかける。

「さような死に方はさせぬ。貴官は鉛玉などではなく、この杉原たかねと刃を交えて死ぬのだ」

 私はこのとき、朝鮮戦線で失った抜刀隊の部下たちに思いを馳せた。

 望月は左腕を失いながらも、歯を食いしばってゆらりと立ち上がる。そのおぼつかない挙動は、生まれ落ちたばかりの小鹿を思わせた。

「……ふ。気遣い、痛み入る」

 左腕を失った今、こいつの体力と戦闘力は著しく削がれている。だがそれでも奴は右手で刀をつきつけ、インとした声を響かせて私をにらみ付けてきた。

「さあ――近う寄られい、愛しき怨敵おんてきよ」

「あくまでも、私と死合しあおうというのか。……よかろう。その首、確かにもらい受けた」

 その不屈の闘志には、武人としての敬意を抱かざるを得ない。この少女への手向けとして、せめて全力で戦ってやろうじゃないか――

 柄を握る右手に神経を集中し、切っ先で敵をまっすぐに見据える。弓を引き絞るように右手を構えると、自然と膝が緩んで腰が落ちた。そのまま物打ちの峰に左の指を添え、刀身を水平に倒す。

「覚悟しろ。この刀の鞘は……貴様の喉笛だ」

 精神を凪ぎ渡らせ、静かに狙いを定める。――チャンスは一度。私は息を吸いこみ、渾身の声量で叫んだ。

「らあああぁぁぁ!」

 裂帛れっぱくの怒号が、清冽せいれつなる夜を焼く。私は身を沈め、雪の上を疾駆しっくした。そのまま刺突しとつの照準を白い喉に合わせ、右手を稲妻のように突き出す。

「っ……!」

 敵は私の動きに反応して前進する剣筋を変えようと最後の抵抗を試みるが、失敗に終わる。

「か……は……っ」

 私の軍刀は綺麗に相手の喉に突き刺さり――その体を、力なく倒れこむ肉塊へと変えた。

「……剣姫は一人で十分なんだよ、お嬢さん」

 喉から刀を抜いて血振りをする。墨を散らしたように、血糊がシュッと足元に撒かれる。雪がなぜ白いのかといえば、自らの色がなんであったのか忘れてしまったからであるそうだ。その白を、『私の色』に染め替える悦楽が刀の柄にまとわりつく。

 私は手元に取り出した懐紙で刃をぬぐい、納刀した。

「望月さくら巡査。図らずも、貴官で百人斬りと相成ったか。互いに生まれる時代を間違えたな。端倪たんげいすべからざるその硬軟無辺こうなんむへんの剣、しかと胸に刻んでおこう。――御免」

 さらばだ望月。人生という痙攣けいれんする熱病は、すでに眠りについた。貴様の資格は承認されたのだ。その魂の高潔――この胸に留めたぞ。

 私は望月巡査のなきがらに頭を下げて敬礼すると、残ったトラックに分隊とこちら側の犠牲者の遺体を載せて、小五郎のあとを追わせたのだった。

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