第11話

 他の人間がいるとしたら、相当まずい。

こんな静寂の中に、口煩いウルズルと甲高い声が特徴的なフェルニルが話し始めたら、校舎中に声が響くだろう。

 もし、今し方の物音が人によるものだった場合、警備員に話が行くこと間違いなし、そしてお縄へ、そしてテレビにて晒し者に。

 どうも、23才無職狛江容疑者です。

「おい、今なんか音がしたぞ!この部屋になにかあr」

「少し黙れ!」

 実体化しているウルズルの口を手で塞ぐ。

「あにふんはよおばえ〜」

 手で塞いでる時に喋るのやめろ。ちょっと手のひらくすぐったいだろうが。

「ぐおっ」

 ウルズルの拳が俺の鳩尾にクリーンヒット。

「なにすんだよ」

「それはこっちの台詞だぞ狛江。急にお前の汚い手で私の口を覆うな」

 ぺっぺっと口内の唾を吐くウルズル。俺の手ってそんなに汚いかなぁ…

「ともかく、でかい声出すな。次俺の意に反した行動を取ったら学校案内は中断だ」

「それは困るな。ではそうしよう」

なんだ、意外に素直だな。

「フェルニルは…なんかずっと透過して黙ってるしずっとそうしておいてくれ」

 返事がない。ただのしかばねのようだ。

「取り敢えず俺が保健室の様子を見てくるから、お前らはそこで待ってろ」

「はい」

 素直だ…


 とは言え、中に人がいた場合の対処法は考えておく必要がある。

1、丁度よく気絶させるくらいの攻撃を喰らわせる

2、着ている服を破り、口を塞ぐ


 うん。どちらの選択肢も俺には不向きだ。そもそもそんな高等技術なんて持ち合わせていない。

取り敢えず、警備員のフリでもするか。どうせ暗くて俺の顔や服装は見えにくいだろうし。

「よ、よし、行くぞ」

ドアに手をかける。立て付けが悪く、ガラガラと音がなる。

「すいません、警備の者です。今し方こちらから物音がしたので、確認に参りました」

 出来るだけ声を変えて発する。てか今時こんな堅物警備員いるのか?ってくらい語尾が変になっちまった。

 中に入り、ライトで辺りを照らすと、ベッドの上には段ボールが散乱していた。

「うう…」

 段ボールから声が発せられ、驚愕してしまった。

「うおおおおあおあ」

 しまった。

「いてて…なんで上から段ボールが〜、あそっか、棚の上に段ボール全部積んでたんだっけ。あれ、というか真っ暗なんだけど。え、今1時!?夜の?!あそっか私このベッドで寝ちゃってたんだ〜アハハ。何やってんだろ私」

 少し甲高い声で照れを誤魔化すように笑っている。

 目の前を少し照らすと、白衣を着た女が段ボールの山から出現した。まぁ普通に考えれば、こいつは学校の保険医なのだろう。

 緊張感のないその声に肩の荷を下ろす。

というか、こんなに的確に現状の説明を独り言に乗せる人がいたのか。

「だだだ、誰?」

やっとこっちに気付いた。

「あ、警備員の者です。物音がしたので確認に参りました」

「なるほど〜。お疲れ様です。すいません、私寝ちゃってたみたいで。ご迷惑をおかけしました。」

 まだファーストコンタクトしてから幾何もたたないが、もう既に理解した。こいつはバカだ。

原因の所在が分かればもうここに用はない。

 でも、ほんの少しだけ保険医の顔が見たくなってしまった。

 決して下心ではない。

 先生、そもそも女の顔が見てみたいというのは下心に入りますか?と脳内で円卓会議を始める。これは健全男子の心の叫びである。

 手持ちの懐中電灯の先を少しずつ相手の方に向ける。

 その瞬間。

 ドクン、と心臓の音が聞こえ、心拍数が上昇した。

 俺は、この顔を知っている

 柿生百合。

 こいつは高校時代の同級生そのものだった。

「柿生…?」

 思わず声に出る。

 動揺して手持ちの懐中電灯を床に落とす。

 拾おうと動いた時には柿生がそれを手に持ち、俺の顔を照らす。

 咄嗟に顔を伏せるが、効果はなかった。

「え?狛江…くん?」

 疑念が確信に変わる瞬間の心情を、生まれて初めて知る。

「何してるのここで、え?ここ学校で、それで、今は…夜?で、狛江くんは…今何してるの?警備員さんは狛江くんじゃないよね?警備員さんと顔合わせしたことあるし、で、え?」

 何も言えない。

 まさかこいつが学校の保険医になっていたなんて思いもしなかった。

 記憶の片隅にあった、思い出というべきなのだろうか、それが堰を切ったように脳の中枢へ溢れ始める。今はそれどころではないので、再度記憶の奥底へ押し込む。

 考えろ、考えろ、この修羅場を潜り抜ける最善の策を見つけ出せ。

 気が動転しているのは何も柿生だけではない。俺自身もだ。

「よ、よぉ。久しぶりだな。まさかこんなところで会うことになるとはな」

 ぎこちない笑みを浮かべているのは鏡を見なくても分かる。

「あ、う、うん。久しぶり。でも、ここで何してるの?ここ学校だし、狛江くんってこの学校の関係者じゃ…ないよね?」

 まずい。

 捻り出せ。ここだけでいい。この曲面さえ切り抜ければ後のことなんざ知ったことではない。

俺は過去に行くんだ。今ここで起きている「現在」のことなど知るか。

「実は、学校に無断侵入したんだ。見たら分かるだろ」

「それで、今俺がここにいる事は忘れてくれ。何も窃盗しに来たんじゃない。久々にこの中学校が懐かしくなってな」

 柿生は俯きながら黙りこけている。何やら悩んでいるようだ。

 頭で思考する前に口が勝手に動いていた。

 何を焦っている。そもそも俺には何もない。職も、金も彼女も。

 そして、たった一人の家族でさえ、もういない。

なら別に通報されてもいいだろう。悲しむ奴だっていやしない。

 だが、ここは逃げる。やっぱり晒し者になるのは御免だ。

 過去にも行けなくなる。

 俺は過去に行く。

 過去に行って全てを清算するんだ。



「あ、UFO」

 柿生の後ろ側を指差す。

「え?どこどこ?」

 柿生が後ろを向いた瞬間、全速力で保健室を飛び出し、廊下を駆ける。こんなベタな方法に引っかかるなんて、相変わらずこの女はあの頃と変わっていないらしい。

「ウルズル!出てこい!」

 俺の隣に実体化したウルズルが姿を表す。

「なんだ、もういいのかあの女は」

「放置でいい!取り敢えずお前は教室さえ見れれば満足なんだろ?あそこの階段を登ればすぐだ。早く行くぞ」

 階段に向かって走る。

 柿生を見て、思い出しかけた嫌な記憶を振り払うように。


「狛江くん!!!!!!!!!!」


 後方で聞こえたその叫びは、俺の身体に染み渡っていた。

 俺は廊下で足を止めていた。

 走り出さなければ、過去を変える前にお縄行きだというのに。

 踵を返し、今にも泣き出しそうな表情をしている柿生と対峙する。

 ウルズルはいつのまにか再度透過能力を使ったらしく、周囲にいなかった。あいつも少しは空気を読めるらしい。

 俺と柿生の距離は10メートルくらいある。

 誰もいない学校の廊下で、静かに対峙する。電気はついていないので、柿生の顔は見えない。

「なんで、あの時逃げたの」

 あの時、とはいつのことだろうか。

 逃げたことは数えきれないほどある。

 いや、これはただの誤魔化しか。本当は分かっている。

「俺がいなくなった方が、クラスが円滑になる。お前だって、いちいち俺に構ってたから標的にされたんだろ」

 目の前にいるのは、奇天烈な女。

 中学時代に俺に散々付き纏ってきた女。何故か家の事を心配してきた女。

「なんで、そんなことが言えるの?」

 柿生は泣きじゃくっていた。その表情は中学時代と変わっていなかった。

「私はずっと君が心配で、気にかけていただけなの。だからあの時私が周りから省かれて、いじめられたのも全部覚悟の上で私自身が行動したことなの。君が自分を責める必要はないんだよ」

 久々の、しかも予想だにしない再開に気が動転しているのだろうか。そんな昔話をよくもまぁ恥ずかしげもなく言えるもんだ。

「そんなこと、今伝えてどうするんだ。しかも、俺は自分を責めてなんざいない。単に俺が社会不適合者だから学校の集団行動についていけなくなったから不登校になっただけだ。お前は勝手に俺に執着して勝手に自爆して勝手に標的にされただけだ。俺は知らない。そもそも、お前がそういう行動をしていることがおかしい」

 言った瞬間に後悔している自分がいた。こんなことを言いたかった訳じゃない。

 確かに、柿生にはなんだかんだ世話になった。家に帰りたくなかったので、夜遅くまで公園にいたりした。高校生ならまだしも、中学生だと補導される確率がぐんと高くなるので、夜になると人混みを避けながら警官に見つからないように溜まっていた。

 それを見かねた柿生は、次第に家に泊めてくれるようになった。柿生の両親は優しく、どんな時も俺を迎え入れてくれた事をよく覚えている。おそらく、俺が自立するまでここで暮らしたいと言えばそうしてくれるくらいの懐の持ち主。

 でも、俺はどんどん柿生家を避けた。暖かい家庭に慣れなかったというのもある。でも1番は。

 無意識に嫉妬していたのだ。柿生に。

 おそらく柿生の家庭は世間一般でいうところの「普通の家庭」なのだろう。

 だがその普通は、俺の日常には一切溶け込んでいなかった。

 柿生一家と一緒にいる時は楽しかった。だがそれはあくまで一緒にいる時だけだ。

 一人で帰路についた時、その感情は嫉妬と憎悪に切り替わる。

 傲慢な思考なのは自分でも分かっているのだ。でも、これが俺を俺たらしめるものだということも理解している。

 言い訳だろうか。結局この一人問答は回り回って自分の生まれた環境が悪かったと決めつけているということだ。

 懐かしい、木の匂いがする。

 そうだ。ここは教室、目の前には。

「それは、嘘だよ」

「なんでそう言い切れる。お前に俺の何が分かるんだよ」

「だって、狛江くんはなんだかんだ優しかったんだよ。昔も、多分、今も」

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壊れた過去はやり直せます 雅塵 @ochita

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