第十四話

第十四話「みなしごプフ」(1)

 第十四話


 (1)


 プフには両親が居ない。それはつまり「プフ。お前、ひょっとしてみなしごなのかい?」


 わたしが体を伸ばしてプフの肩から顔を覗き込むと「すらいむ、きれいよ。かおうよ」と、相変わらずキラキラした瞳でわたしのことを見返してきただけだった。

「光の加減で綺麗に見えるんだろうけど、中で反射してるのは、そいつが溶かした残りかすか、溶かしてる真っ最中のものさ。猫の骨とかじゃなきゃ良いんだけど。幸い、小さすぎて見えやしない」


 わたしはプフの頬に肉球を押し当てる。


「プフ。お前さん、お母さんもお父さんもいないのかい? おっちんでしまったのかい?」


「そう。おっちんでしまったのよ」


「いつ?」


「はるかむかし。おっちんでしまったのよ」


 プフには、わたしの質問の意味は伝わっていて理解できているように思えたけれど、おかしな返答をよこしてくるし、「おっちんでしまった」という言葉の響きが面白かったのか、何度も繰り返し「おっちんだ。おっちんだのよ」と、くすくす笑うばかりで、色々と不安になってくる。この子の頭はネジが何本か抜け落ちてしまっている、なんてことはあるまいね? 両親の死でおかしくなった、だなんてよく聞く話じゃないか。


「そうかあ、おっちんでしまったのかい」


 体の中の息を全て吐き出した。なんてこった、と口を開かずに呟いた。


 だいたい一年くらい前の出来事が脳裏をよぎったけれど、そいつは今じゃない、と頭を振って追い払う。今は、そうさね、わたしがみなしごに縁があるということだけわかったところで、うんざりと自分の運命を呪うだけで良い。


「家はないのかい?」


「ない」


「ないのかい?」


「あった。あったけど、なくなった。どっどこどーん」


「どっどこどーん、なのかい」


「そう。どっどこどーんした。それからとおい」


「そうか。遠いかあ」


「とおい。はるかにとおい」


「そんなに?」


「わからないだろう。どっどこどーん」


 どっどこどーん、もよくプフの口から出てくる言葉だけど、両手を広げる仕草からして、爆発でもしたのだろうか。戦争にでも巻き込まれたのかもしれないね。どっどこどーんとみなしごになってしまったのだろう。


「お爺さんやお婆さんはいないのかい?」


「むろん。おっちんでしまったのよ」


「そっちも、おっちんでしまったのかい」


 一手、一手と詰んでいく。


 プフという、変な名前を付けられた幼い女の子が、行くところも帰るところもありやしない、身内もみんなおっちんでしまった、天涯孤独の身の上だということに早々に納得してしまい、みなしご認定してしまい、それで、これからどうすべきか考えてやった方が賢明なのだろう。


 でも、認めたくない自分がいる。運命から逃れたい自分が、ね。嫌な猫だよ、わたしは。


 孤児院に連れて行こうか?


 いや、駄目だ。あそこは最低なところだよ。どいつもこいつも、猫のしっぽを掴むことしか考えられない子どもばかりが育っている。


 それに、この町の孤児院は表向きは良い顔しているけどね、わたしが大嫌いなやつが運営しているから、絶対に駄目だ。どうせ裏で悪いことをやってるよ。


 奴隷商に売りつけるか?


 馬鹿を言いでないよ。猫が金をもらって何をしようってんだ。だいたい、孤児院も奴隷商も、あいつの店じゃないか。あいつの顔を思い浮かべてしまって、げえっと毛玉を吐く真似をする。これだから、みなしごというやつは嫌いだよ。ろくでもないことばかり思い出してしまう。


 わたしは頭を振った。


 けど、でも。


 一縷の望みってやつで「親戚は? 親戚って分かるかい? 年に一度や二度、家を訪ねてきては、酒や飯をねだってくる連中のことさ。お母さんやお父さんの兄弟とかで、おじさんとか、おばさんとか呼ばれてたりする。気前が良いやつなら小遣いをくれたりするらしいけど」と尋ねてみた。


「そんなへんなやついない」


「そうだよな。わたしも変なやつらだと思うよ」


 プフには親類縁者もいないと分かったので、なにひとつ欠けることなくそろってしまった、完全無欠のみなしごということで確定してしまっていいだろう。でも、そうなると。


「ところで、どうやってこんな町にやってきたんだい? なんだって魔物に食べられちゃったんだい?」


 外に出て、大分と新鮮な空気を吸ったせいか、疑問が湧いたら解明しよう、やはり、どうしてそうなったのか、顛末が分からない話というのは説得力に欠けるし、最後に客が首をかしげてしまうのはよくないよ、とわたしの頭もようやくと回り始めてきた。みなしご、というキーワードがわたしの頭のスイッチを押したのかもしれない。どちらにせよ、まあ、わたしでなくても思いつくような質問だったから「そうだぜ。プフみたいな小さな女の子がひとりだなんておかしいと思ってたんだ」と、金魚屋ごときも首を縦に振りわたしの意見に頷いているくらいだ。


 しかし、プフは「どうやって?」と首を傾げた。


「プフ、お前さんは、はるかに遠いところに住んでいたんだろう?」


「そう。はるかとおくのかなた」


「その、はるか遠くの彼方から、どうやってこの町にやってきたんだい? 船かい? 海を渡ってきた? 空から来た? まさか、列車なんてことはあるまいね?」


 しばらくの間、奴隷商船が港に停泊しているのを見かけたことはなかった。海を渡ってくるやつも、空を飛んでくるやつも、ね。ムッツ国からの列車だって、もう、何カ月もやってきていない。ばかみたいに長い距離を敷かれたレールの途中の、なんちゃらとかいう国で戦争が起こってしまったからだ。


「よたはどれがすきなの?」


 とんちんかんな返答をするプフに「空飛ぶ船には乗ってみたいと思ってるよ」と答えてやる。「そらとんでみたいねー」「そうだね。飛んでみたいね」会話がかみ合わない。


「俺は歩いてきたんだぜ」


 ちょっと、金魚屋。横からおかしな口を挟むんじゃないよ。


「馬鹿なことをお言いでないよ。とぼとぼ歩いてやってこれる訳がないだろう? 外には魔物がわんさかいるんだよ」


 金魚屋のせいで話が脱線してしまいそうだけど、カンジン町が徒歩では到底やって来れない場所だということは明らかにしておかねばなるまい。


 この町は特殊な地理のせいで交通手段が限られている。


 北の恐ろし山は険しく、未だかつてひとが登頂したなんて話は聞いたこともないし、そんな話は昔話の類にもなっていない。東の平原だって魔物が巣くっているから、ここをやってくるのだってひとりでは到底無理で、みんな、大きな隊商を作ってやってくる。それこそ冒険者や傭兵を雇って、さ。戦車が後ろからついてくる時もあるくらいだ。


「いや、厳密に言えば歩いたのはほんのちょっとだよ。知り合いの魔法使いに乗せてもらったからな」


 金魚屋は手のひらをはたはたと動かしながら、中空をすうーっと撫でた。また、気になることを言い始めたよ、この男ときたら。


「飛んできた、だって? 箒で?」


 わたしは尋ねる。空を飛ぶ魔法使いの乗り物と言えば、箒しか思いつかない? あれ? 魔法使いは箒なんかで空を飛ぶのかい?


「箒で飛ぶのは魔女だよ」と、金魚屋に訂正された。「うん? いや、待てよ。あいつは女だから、魔女なのかな? 魔法使いって言ってたけど。ヨタ、良いことを教えてやるけどよ、空飛ぶ箒、あれはお尻が痛いんだ」


「知ったこっちゃないけど、その話には興味があるから後で詳しく教えて欲しい」


「ははっ。良いだろう、良いだろうとも。ヨタ。俺は魔法使いや魔女の話も出来るからな。魔法使い関連の知り合いは多いんだ。あ、そうだ。なんてったって素晴らしい魔法道具屋だからな」


 金魚屋は自分の手柄のようにふんぞり返って笑った。ふむ。やはりこの男は、多少持ち上げてやった方が扱いやすいようだ。


「ソファだよ。魔法のソファ。革張りの豪華なやつなんだ。こう、ひじ掛けも大きくてね。ふたりで腰掛けても余裕なんだぜ。間にヨタが入ってもなんてことないな」


 身振り手振りを交えて説明してくれる。


「まほうのそふあ、ぷふもすわりたい」


「良いぜ、プフ。プフが座ったってまだまだ余裕いっぱいだぜ。それに、オットマン付きなんだ。オットマンって知ってるか?」


「しらぬぞんぜぬ」


「存ぜぬとな。足を置くソファだよ。金持ちの家にあるやつだ。あと、絨毯もセットだからくたびれたら床でごろごろできる」


「それはいい。このへんですか?」


「そうそう。こう、絨毯が一面に敷いてあってだね、そこらへんにオットマンだよ。肝心のソファはここだ。で、サイドテーブルにはラジオも置いてあってだね、冷蔵庫にはビールが冷えてる。最高だろう?」


「わあ、すごいよい。すごいよいです、きんぎょや。それから、ぷふはみかんじるがいい」


「みかん汁、ああ、ミカンジュースな。ジュースは無かったから今度冷やしてもらっとこう」


「おかしもな。おかしもいるぞ」


「分かった。頼んでおこう」


 頼めば魔法のソファセットに乗せてくれそうな、信ぴょう性のありそうな口ぶりに、わたしだって内心わくわくしてしょうがないのだけれど、路地裏で始まったままごとを止めなければならない。横道から出てきた三人組が変な顔をしてすれ違って行ったよ。


「金魚屋、プフ。とりあえず家に向かいながら話そう」


 わたしは、見えないソファに腰かけて、百倍スポイトを箸に見立てて何ものかすすり始めた金魚屋と、プフの方は、何をやっているのだろうか? マルセロの腕の断面から、何かを取り出して口に運んでいる。ポップコーンでも食べているつもりなのだろうか。スライム入りの小瓶の口を、自分の口につけているのは、あれはきっと、ジュースでも飲んでいる気になっているのだろうね。


「そうだな。なんか、ちょっと、変な目で見られたもんな。よし、行こう、プフ。ほら、手を繋ごう」


 金魚屋は商売道具を箱に納めて鞄にしまうと左手に持ち、空いた手を差し伸べた。プフはスライム入りの小瓶をポケットにしまうと、マルセロの腕付きランタンを胸に抱き、左手を金魚屋に差し出した。ふたりは手をつないだ。


「お前ね。ままごとをやるのに、実際に手をべちょべちょと舐めちゃいけねえぜ」


「はくしんのえんぎ」


「さあ、行くよ。金魚屋、プフ。次の角を折れて階段を上がろう」


 金魚屋とプフを立たせたわたしは先を急がせる。


「ヨタ、俺の肩に乗っても良いんだぜ? 見晴らしも良い」


 指でもくわえたい顔をしながら、でも、両手が塞がっている金魚屋はうらめしそうな顔で見下ろしきた。わたしは、プフの乗り方も分かったことなので、肩の上で話を続けながら帰路につくことにした。


   §

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