第十三話

第十三話「百倍スポイト」(1)

 第十三話


 (1)


「また、胡散臭い」


 わたしの可愛らしい口から出て来た素直な一言に、金魚屋は相好を崩すどころか、口を尖らせた。


「胡散臭くないって。魔法道具だよ、魔法道具。プフ、手、あとでつなごうな」と、一旦つないだプフの手を離すと、両手で不整形な木箱を持ちなおした。


「じゃんじゃかじゃーん。百倍スポイトと瓶」


 金魚屋は、木箱の蓋を開いて中身を見せつけてきた。錆びついた蝶番ちょうつがいが役目を終えて、蓋と箱とが分離してしまった。金魚屋はなんとも言えない表情を浮かべただけで「じゃーん」と、再度効果音を付けてわたしの前に箱を押し出してきた。


「なにスポイトだって?」


 わたしはうんざりとした顔をしてやった。


「百倍スポイトだよ」


 わたしは木箱の中を覗き込んだ。そこには品質の悪そうな曇ったガラス製の器具が二種類、無造作にしまってあった。


 ひとつは、おしり(いや、こっちが頭かい?)の方に変色した袋がついた管状の器具だ。袋はゴムか革か、材質についていまひとつピンとくるものがない。触った拍子にボロボロと崩れ去ってしまいそうなほどひびが入っていて、ぼろいのだけは確かだ。管は、袋の近くにふたつのふくらみがあり、先っちょの方は尖っていて穴が開いている。百倍スポイトとやらは、こいつのことだろう。


 もう片方は、蓋も本体もガラス製の小瓶だ。三本あって、三本とも形と大きさが微妙にちぐはぐだ。スポイト同様に安物の原材料を使ったのか、透明度が悪い。


 こんなものが魔法道具だって?


 わたしには使い古した実験道具にしか見えない。


 がっかりしたのはわたしだけで、プフの方は「なになに? みせてみせて」と、興味の対象を掴み取ろうと勢いよく手を伸ばしてきた。


「こらっ。駄目だって。割れやすいんだから」


 金魚屋は慌てて木箱を自分の頭上の更に高い位置まで持ち上げた。子どもにガラスで出来た器具なんか持たせたら、何もしなくたって、鼻水でもすすった拍子に割れてしまう運命だろう。不満そうにプフの頬が膨らむ。


「みえなーいよう」


「そんな意地悪しなくたって、プフにも見せてやればいいじゃないか」


「でも、ヨタ。絶対にプフは、割るぜ」


「そんなことないよ。ねえ、プフ。お前さんは、物を丁寧に扱えるいい子だよねえ?」


「ぴふー」


「ぴふーってなんだよ」


「金魚屋。プフもぴふーって言ってることだし」


「どういう意味だよ。いい加減なこと言いやがって。だいたい、こいつは俺のランタンにひびをいれたんだからな。さっきだぜ、ついさっきのことさ。このスポイトはランタンと違って、ほとんど全部ガラス製なんだからな。まるっきり頑丈じゃないんだ。子どもになんか触らせられないよ」


「子どもを信用してやるのがおとなの姿勢ってもんだし、子どもってのは失敗から様々なことを学ぶもんさ」


「ヨタ。ほらね。お前は失敗する前提でものを言ってるぜ。嫌だね。俺だって、こいつを使うのは初めてなんだからな。楽しみにしてたのに、いきなり割られちゃ敵わんよ」


「初めて使う、だって? そんなので大丈夫なのかい?」


「大丈夫? はん。俺は魔法道具屋だぜ? まあったく、心配ないさ。言っただろう? 自転車理論。俺はどんな魔法道具だって使いこなせるのさ」


「自信満々なところ悪いけどね。さっきの、あれは、使いこなせたうちに入るのかい?」


 わたしは指摘する。さっきの、あれ。マルセロの御守りを金魚屋は使った、と言い切っていいのか、まったく納得がいっていない。


 魔法は確かに発動した。そのせいで、魔物はゼリーになってしまったし、店主のおやじや番犬達は眠ってしまった。でも、偶然だったんじゃないのかい? 使い方があっていたのか間違っていたのか、成功したのか失敗したのか、使った張本人の金魚屋でさえまるでわかっちゃいないんだ。当りなのか、はずれなのか、持ち主だったマルセロに聞いてみないことには正解がわからないのさ。それなのに、どこからそんな自信が湧いて出てくるというのだ。


「うん? 何か言った? 聞こえないよ」


 金魚屋が細い目を細めた。この距離で聞こえないんじゃあ、耳の中に相当大きなつまり物があるのだろうよ。掃除機で吸い出してやらなくちゃいけないほどのね。


「言いたいことは山ほど、ある。けど、いいよ」


「そういう冷たい態度をされちゃうと、傷ついちゃうぜ」


「面倒くさい男だよ。とにかく、いつまでもそんな高い所に掲げていたってしょうがないだろう。その、百倍スポイトってのはいったい何なんだい? もう少しよく見せておくれよ」


 こんな薄汚くてはっきり言ってぼろい道具を、どうして「これは良い魔法道具ですね」なんて言えるだろうか。とても魔法の道具なんかには見えない。


 けれど、それは違うね。


 マルセロの御守りの件はさておいて、魔法道具屋が取り出した商品ならば、そいつは十中八九、魔法道具であって然るべきなのさ。


 それにね、どうだい。魔法道具というやつは、得てして、こういう古臭くて今にも壊れそうな外見をしているものじゃないのかい? こういうのが「魔法道具っぽいおもむきがある」と納得しなければいけないよ。


 いいや、あれこれと理屈っぽく考えちゃいけない。


 話し屋ヨタ、それは誰のことだい?


 わたしのことさ。


 百倍スポイトとやらが正真正銘の魔法道具だとするならば、話し屋ヨタ、お前さんはどうすべきだい? ただの道具じゃないんだ。魔法の道具なんだよ。魔法道具なんて相当に珍しいアイテムを前にして、いつまでも好奇心の成長を抑えておく道理は無いだろうよ。百倍スポイトとやらの正体について知りたいって思わなくちゃいけないのさ。わたしは背伸びをした。


「百倍スポイトと、百倍瓶だよ。よく見てくれよな」


 金魚屋は、再びわたしの前で木箱を開いた。わたしもプフもそいつを覗き込む。プフの方も、今度は無暗に手を出したりなんかしなかった。


解放ナルシェ


 金魚屋が呪文の様な言葉を口にした。そういえばマルセロの御守りの時も同じような言葉を発した気がする。


「ほお」


 わたしは感嘆する。


 スポイトの方、袋のポンプにほど近い部分にふたつの膨らみがあるのだけれど、そのひとつ、ポンプに近い方、そこに青白い小さな小さな光の粒が現れた。袋の中から降りてきたように見えた。


「わあ」


 プフが叫ぶ。小さな光の粒が弾けたのだ。青く発光する気体のようなものが膨らみの中に充満した。


「きれいねー」


 発光する気体は、まるで夜空に浮かんだ雲のように、重たそうな青色だった。昼間であれば見慣れた風景で、まったくと、それは自然さ、当たり前のことさ、特別に何も感じやしないくせに、夜ともなれば、おかしいね、夜空に雲なんか浮かんでいたかい? なんて、身勝手な違和感を覚えてしまう、そんな不条理さ、不安定さがわたしの心をかき乱した。しかし、プフの言う通りで、とにかく「綺麗だ」と、自然に声に出さずにはいられない不思議な蒼さを秘めていた。


 金魚屋はわたしとプフの反応を見て、ふふっと満足そうな顔をした。


「この魔法の実験道具は、なかなか面白いんだぜ。その名の通り、見た目はこんなに小さいのに、百倍も吸い上げることができるスポイトなのさ。ここ、見て」


 既にどっぷりとみてるよ、金魚屋。青白く光る気体が封入されたふくらみを指さしながら「この光ってるのが魔法の源さ。ここに圧縮の魔法が詰まってる」と説明した。


「それから、この下の膨らみ。ここは、単に膨らんでいるだけなんだけど、ここにすごい量の液体を吸い上げることができる、らしいのさ。吸い込むのはポンプの圧力を利用してんだけど、ここのこれ、この圧縮の魔法の働きで液体をぎゅぎゅっと凝縮するんだ。だから、百倍の量を吸い込める。そういう仕組み、らしい」


「へえ、それは面白そうだね。お前さんがちょくちょく言う、らしい、って言葉は聞かなかったことにすりゃあいいのかい?」


「俺の言葉は一言一句聞き逃しちゃあいけないよ。おい、だからって、そんな怖い顔しなくていいんだぜ? こいつには説明書がついてたんだよ。だから間違っちゃいない、はずさ」


「歯切れが悪い男は嫌いだよ」


「使ったことないんだもん。仕方ないだろう。そしてこっちが百倍瓶。こっちも、まあ、スポイトと同じで見た目の百倍入る瓶さ」


 小瓶の方は表面に、なにやら模様が描かれていて、そっちの方は、マルセロがくれて大爆発してしまった、あの御守りに描かれていた模様と、その模様自体はまったくの別ものだけど、よく似たようなものに思えた。魔法の文字とかそういう類のものだろうか。


「ああ、それから。百倍って言っても、えらくたくさん、ものすごくいっぱい、って意味だからな。百倍か、千倍か、詳しいことを気にしちゃいけないよ。スポイトも瓶も、どっちも正確にどのくらいの量が入るのか、医者でも博士でも、研究者でも無いのなら、気にしちゃいけないよ」


「正確に測れない、だって? それってつまり」


「ああ、そうなんだ。だから、実験道具にしちゃあ、失敗作なんだよ」


「そうだろうね。うん? そもそもスポイトなんてのは、少量の液体を吸い取るためのものだろう?」


「よく知ってるじゃないか、ヨタ。そうなんだよ。スポイトってのはほんのちょっぴり吸い上げればいいのさ。なにもバケツの代わりに使わなくていい。でも、いっぱい吸い上げてみたかったんだろうな。ちょびちょびやってたら時間がかかって大変だろうし、さ」


「いい加減だなあ」


「俺もそう思う。だから、こいつはずっと売れ残ってたんだよ。とほほ。ちなみに、正式名称は、マ・シュケール博士の錬金術セット、その一だよ」


「胡散臭い」


「その二はシャーレとフラスコで、その三は顕微鏡。その四が試験管で、その五は何だったっけな? そうだ、アルコールランプだ。どれも、とにかく大容量で、高倍率で高火力、とかなんとか、とにかく、そういうコンセプトの魔法道具なのさ」


「コンセプトからして、本来の用途を逸脱しまくってるじゃないか。信用ならないねえ」


「それは作ったやつに言ってくれ。でも、俺はそいつのこと理解してるよ。面白い発想じゃないか。それに、道具ってのは普通のも魔法のも、ようは、使い方ひとつなのさ」


 金魚屋はスポイトをひらひらと振って見せた。


「百倍スポイトは、こういう場面では役に立つ。こいつでスライムを吸い取ろう。これのすごいのは、少々の異物が混入してたって、この、ここを見て。この細い吸い込み口からものすごい吸引力で吸い上げることが出来る、らしいんだ」


 それって、目玉がついていたって吸い込むことができるっていう意味だよね? わたしはプフの腕のスライムの目玉を覗き込んだ。スライムの首が無い代わりに、プフが首を傾げた。


   §

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