第十二話「スライム事変」(3)

 (3)


 金魚屋は一周して戻って来る。動く目玉というやつも、一周しておへその上へ戻って来た。


「くすぐったあいー。かゆいゆいー」


 お腹を出したままのプフはその場でたんたんっと飛び跳ねた。目玉もゆっくりと上下に揺れた。


 目玉はプフの皮膚に直接くっついているように見えたのだけど、注意深く見てみれば、プフの小さな手のひらと、そう大差ない大きさの粘り気のあるゼリー状のものと一緒に貼り付いていた。近づいてよく見ると薄桃色をしているのがわかったけれど、ほとんどプフの血色の良い肌の色と同化していて気がつかなかったのだ。


 魔物ゼリーの残りかすか?


 それならば、この目玉は、魔物に食べられた不運なやつの目玉ということになるんじゃないかい? うげえ、気持ちが悪いったらないね。


 でも、どうも違う。


 目玉付きの桃ゼリーからは、ぷつっ、ぷつっと細かな気泡が浮かんできては弾けているし、表面がざわざわと波立っているようにも見え、そこで気が付く。なんてこった! プフの皮膚の上を目玉が転がって動いていた訳ではない。桃ゼリーが目玉を運んでいたのだ。ゼリーがひとりでに震え、目玉がぷるぷるとうごめく。上下左右に視線を移動して、最終的に、わたしと金魚屋の方を見つめた。


 目玉と視線が合ったわたしと金魚屋は、お互いの顔を見つめてから、もう一度目玉に視線を戻す。


 これは、ひょっとすると!


 ひょっとして「大変だ!」と叫ぶ。


「スライムだよ! スライムがくっついてるじゃないか!」


 プフの腹にへばりついていたのは、生き物や植物はもちろん、木や石なんかの鉱物でさえも、なんだって溶かして食べてしまう魔物だった。


 一般的にスライムと呼ばれていて、顕微鏡で見ても見えないくらい小さな魔物が寄り集まって出来上がった、ゾウリムシやミカヅキモみたいな単細胞生物によく似た体の構造をした魔物だ。元来は森や密林なんかに棲息する魔物だったけれど、いつしか街中の下水道なんかに移り住むようになってしまった。そりゃあ、野生よりも街中の方が暮らしやすいだろうさ。なにせ、住人が毎日大量に出す生活ごみを食べられるのだから、自ら得物を探してさ迷い歩く(這いずり回るの方が正解かね)必要もないしね。それでも腹が満足しなければ、住人を襲って食べればいいのだから、これほど住みやすい場所は無いだろう。


「こりゃあ、クリーニング屋の爺さんが落としていったやつだな。そうに違いないよ。あの爺さんは仕事が雑だから嫌なんだ!」


 早速犯人を割り出したわたしは吐き捨てると、タッと、室外機の上まで駆け上がった。


 むかし、スライム溜まり(水たまりのスライム版さ)に落ちて脚の毛を全部溶かされたことがある。それも四本とも。新しい毛が生えて来るまで、会うやつみんなに「半袖みたいだ」と、えらく笑われたのは思い出したくない記憶だよ。そんな嫌な思い出を作ってくれたのが、クリーニング屋の爺さんなのだ。


「クリーニング屋?」


 金魚屋が、目玉スライムの動きに合わせて、プフの周りをくるくると回りながら「なんでクリーニング屋の話が出てくるんだよ?」と聞いてきた。スライムが体中を這いずり回るものだから、プフはぐにゃぐにゃと身もだえ「きゃはー! くすぐったい!」と、変なダンスを踊っている。こいつが爺さんが飼っているスライムならば、一応は調教されているのだから、いきなり皮膚やら骨やらを溶かされる心配は無い。現に、不運にもスライム溜まりに落ちてしまった幼い女の子は、タコ踊りするだけで済んでいる。だから、わたし達もそのおかしな踊りを眺めながら悠長に話をする時間があるのだ。


「そうさ、クリーニング屋だよ。お前さんも知ってるだろう?」


「俺が知ってるクリーニング屋は、着物を出したら綺麗に洗ってくれてアイロンまでかけてくれるやつだぜ?」


「染み抜きもやってくれるはずさ。洗濯屋とも言うし、町の掃除屋もやってる」


「うん。え? 掃除屋? どういうこと?」


「その爺さんは、信じられないとは思うけど、スライムを飼いならしてるんだよ。この町ではスライム爺さんと呼ばれてる」


「安直な名前だな」


「金魚屋。お前さんには言われたくないだろうよ。それで、調教したスライムで、ワイシャツについた浮気相手の口紅を落としたり、巨人が使ってるどでかくて臭い布団を洗ったり、町のゴミ共を掃除してまわってる」


「最後の言い回しが気になって仕方ないぜ」


「お前さんに想像に任せるよ。そういう意味も少なからず混じってるから安心おし」


 ゴミの日に出された家庭ゴミも、曜日を間違えて出された、何が入っているともしれない、得体の知れないゴミ袋も、とにかく「用済み」となったものならば、すべからく、スライムで処理してしまうのさ。痕跡もなにもかも残さず食べてくれるのだから、スライムというのは、ある一定のやつらにとって、うんと便利で重宝される魔物だということだよ。


「しかし、スライムにそんな使い道があったんだな。俺が知ってるスライムは、見かけたら火をかけられて燃やされてたぜ」


「爺さんのスライムだけだよ。調教されているから出来る技さ。他の、それこそ一般的なスライムなんてのは火で追っ払うよ。こいつは薄桃色だからクリーニングや洗濯に使うやつだね。レモンみたいに、濃い黄色い色をしたやつが掃除用さ。あいつは危ない」


「掃除用」と、金魚屋は喉を鳴らした。


「クリーニングの配達帰りか、別の仕事帰りに落っことしたんだろうよ。窓ふきや、便所掃除、まあ、その、とにかく酷い汚れ用に使うつもりだったのかもしれない。前にもあったんだ」と、足の先が涼しくなるのを感じながら「いい加減、あの爺さんももうろくし始めたんだ。いくら仕事が好きだからって、よぼよぼしながらやられたら迷惑だよ。早く息子に任せて代替わりしてほしいもんさ」と付け加えた。


「ついでだから教えておいてやるよ。薄い色は安全さ。黄色いのも、まあ、直接手で触ったりしなきゃいい。でも、汚い緑色だったり、汚い青色だったり、とにかく、汚い色、特に、どす黒いやつは近付いたらいけないよ。そいつらは、まったくの野生、地獄産のやつだからね。やつらは火も怖がらないし、そもそも、火なんかで焼き殺せない」


 親切なわたしは、若いのにもうろくしていそうな金魚屋に教えてやる。


「そんなのもいるのか?」


「そんなのしかいないんだよ。この町でいう普通のスライムってやつがそうなのさ。そうだ、ついでに教えておいてやるけどね、この町のスライムにはみんな目玉がついている」


 金魚屋でも知っている、その辺のスライムというやつには目玉はついていない。


 先にも言った通り、単細胞生物みたいな魔物なので、目や鼻や口、耳、胃袋や脳みそに至るまで、ぱっと見たところで、あるのかないのかわからない。あったとしても、顕微鏡で覗いてみないとわからないくらい、とにかく小さいのだろう。だから、普通のやつは、ねばねばとしているだけで、カップに入れて売られていたらゼリーと間違ってしまうような外見をしている。


 しかしながら、この町のスライムには、なぜだか目玉がついているのだ。それでも「しらたまかな?」などと勘違いして口に入れるやつがいれば、そいつはあほだよ。


 わたし達を丸飲みにした魔物がそうだったように、とにかくこの町の魔物という魔物は、普通の外見をしてるやつは一匹としておらず、みんなが皆、個性に個性を塗り重ね、くどいくらいの存在感をアピールしてくる。個性の群雄割拠さ。見た目にあまり特徴のないスライムだって、持てる限りのアイディアを持ち寄って、会議に会議を重ね、結論として、目玉をつけようと決めたに違いない。


「爺さんが飼ってるのが綺麗な色合いのやつ、そうでないのが汚い色合いのやつ。綺麗なのと、汚いの、この二種類さ。そのどっちにも目玉がついてる。一個だったり、二、三個だったり、もっと多いのもね」


「目玉が多いのが、多いんだな」


 酒場の魔物を想像したのだろう。そうなんだ。この町の魔物を考えたやつは、目玉さえたくさんつけておけば個性的で素敵だと思っているに違いないよ。


「もしもこの町で目玉のないやつを見かけたなら、そいつはよそから持ち込まれたやつだろうね」


「へえ。世の中、色々なスライムがいるんだな」


「そういう訳だから、爺さんのスライムなら害はないよ」と言ってから「あんまり、無い」と付け加えた。


「安全、なんだな?」


 金魚屋は、笑い転げるプフの方を見て言った。薄桃色のスライムはプフの腹の上から尻へ、脚へと移動して、また頭の方へ移動を始め、最終的に、腕とマルセロの腕付きランタンに絡みついたところではい回るのをやめた。「ひい。はあ。ふふはあ。あははははっ」涙目で呼吸を荒げるプフが気の毒だ。転がったって、手足を一生懸命に振り回したって、爺さんのスライムは取れやしないんだ。ぱっと見ではとろっとしているくせに、一度くっついたら、かなりべったりと貼り付いてしまってはがせない。だから、わたしは半袖になったのだ。


「安全かって聞かれると、安全じゃあ、ないんだろうね。クリーニング用のやつも、ずっと体にくっつけたままだったら、いつか体の毛を全部溶かされちまうし、顔にへばりつかれでもしたら窒息しちまう」


「そりゃあ、大変じゃないか。くふっ。あはは」


「だから目を離すなって言ったじゃないか。あと、笑ってやるなよ。かわいそうに。ふふっ」


「だって。でも、そんな物騒なものがいるなんて聞いてなかった」


「お前さんね。無知だよ。不勉強極まりないよ。カンジン町に来るんだったらきちんと予習しておかないと。この町はただでさえ危ない街なんだ。相当に危ないのさ。子どもなんてのは、きちんと目の届くところに置いて、その手はしっかりと、がっちりと握っておかなくちゃいけなのさ。そういうのは、おとなだったら想像力を働かせればちゃあんと判断がつくものだよ」


 自分だって魔物に食べられたばかりだというのに、そこは棚に上げておいて、金魚屋の能天気な顔を見ていたら腹が立ってきたよ。当の本人は、もう一度動き始めたスライムのせいで、また笑いの虜にされてしまっているけれど、この男の方にはもう少し説教しておかなくては。


「これが爺さんのスライム溜まりだったからよかったものを、野生のスライム溜まりだったら、今頃、プフはラーメンのスープみたいに、骨もなにも残さず溶けてしまってたことだろうよ」


「ラーメンなんかで例えるから、とたんに面白く聞こえてきちゃうじゃないか。くくっ、プフ。笑い死ぬなよ?」


「お前さんみたいな薄っぺらいやつなら、うどんのつゆくらいにしかならないだろうね。減らず口はしっかり閉じて、糸くずみたいな目はもっと見開いて、注意して先を急ぐよ。とにかく、お前さんは人間のおとなで、ちゃんと手足がついているんだ。猫のわたしと違ってね。手があるのなら、そいつは幼い子どもの手を引くためのものさ。だから、もっとしっかりしてくれないと困るんだよ。いいかい? 分かったかい?」


 大きい子どもに言い聞かせると「分かったよ。ヨタはお母さんみたいだな」と、記憶にも無いくせに、わたしの機嫌を損ねた。ついでに「もお、プフのせいで俺が怒られちゃったじゃないか」と余計なことものたまう。


「分かってないみたいだね!」


 わたしはフーッと牙を剥く。


「嘘だよ、冗談」


「よた、こわいー。ひひひ。あー、はっはは」


 心底に能天気なのが目の前にいた。ひとりではなく、ふたりさ。そして、そのどちらにも、親切なわたしの言葉は通じていないだけなのだ。まあ、片方はスライムにくすぐられてそれどころでは無いから仕方が無いけど。わたしは肩を落とした。この町では神経の図太さも重要であって、このふたりはそっちの方は何ひとつ心配いらないようだけど、わたしの話に耳を傾け、もっと気を付けていないと、すぐに命を落としてしまうよ。


「プフ。とりあえず手をつないでおこう」


「しかたなし。くふふ、あは。わらいじぬる」


 わたしの思いを知ってか知らずか、金魚屋はプフの手を、スライムのついてない方の手を握って立たせる。いいさ。とりあえず、このふたりには後でもっと言って聞かすとして、とにかく先を急ごう。早く家に辿り着きたい。


「さあ、分かったら出発するよ。クリーニング屋はうちの近所だから、そこでスライムを取ってもらおう」


 わたしが促すと、プフは「えいえいおー」と、スライムを頭の上に乗せたまま変な掛け声で答えたのに対し、金魚屋の方は「あっ! ああっ!」と思い出したように叫んで歩き出すのを拒否した。まったく! 出鼻があれば、あるだけくじいて回るのがこの男の役目だよ!


「鞄どこだ! 大変だ!」


 金魚屋は辺りを見回した。ずっと大事そうに持っていた鞄が見当たらない。


「さっきまで持ってたじゃないか。どこに置いてきたんだい」


「そうだ。さっきの水たまりのところだ。ちょっと待っててくれよな」


 プフの手をつないだまま、「きゃはー」という甲高い声を引き連れて、路地の奥にだあっと走っていく。そして、すぐに鞄を提げて帰って来た。


「危ないあぶない。商売道具、無くすところだったぜ」


 金魚屋はその場にしゃがんで、地面に置いた鞄を少しだけ開いてその中に手を突っ込んだ。律儀にプフの手を握ったまま。


 もう、何度目か知らないけれど、この男が鞄から物を取り出す所作が気にいらない。


 金魚屋というのは、本当に横着な男だよ。


 物の出し入れのために鞄を開くのがそんなにも面倒だというのなら、そういう箱型の、きっちりと蓋がしまり、かっちりと鍵がかかるようなタイプじゃなくて、袋型のやつで、紐で結んで口を締めるようなタイプの、横着なやつでも簡単に物の出し入れができるいい加減なやつを持ち歩くべきだ。


 金魚屋は、しかし、慣れた手つきでもって「じゃじゃーん。俺の魔法道具」と、古臭い箱型の鞄の中から、これまた、古びていて、どの辺も真っすぐでは無い長方形の木箱を取り出した。


   ◆

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