第十二話「スライム事変」(2)

 (2)


 角やしっぽが生えている亜人なんてのは、まあ、いる。


 結構と、いる。


 でも、腹に目玉がついているやつは見たことも聞いたことも無い。大体、腹に目玉が付いていたからって、いったい何を見ろって言うんだい? シャツを内側から眺めていたってしょうがないだろうに。


「金魚屋。お前さんも見てごらん。目玉だよ、目玉」


「そんな珍しそうなもの、そりゃあ、見るけどさ。プフ。その前に、その可愛い尻を隠してくれよ」


 金魚屋は片手で目を覆って、頭を振った。あまり下の方ばかりじろじろ見ないように気を遣ってのことだ。シャツ一枚着たプフは、尻から何から隠せていない。


 服を着るのが習慣づいてしまった連中にとっては、おっぱいだのおケツだの、体の特定の部位を丸出しにしておくのは、自分も周囲もきまりが悪いと言うものさ。


 わたしも服を着て、羽織を掛けて出歩いているよ。でも、それは話し屋稼業の宣伝のためさ。猫には自前の毛皮があるからね、改めて服なんて着る必要はない。そもそも、わたしなんて猫は、心も体も自由なものだからね。すべてをさらけ出し、丸出しにして生きているのだから、人間や亜人が気にするところが全くと気にならない。


 ふむ。でも。小さなレディに、わたしも、もっと気を遣ってやるべきだったかもしれない。店主のおやじのパンツも剥ぎ取ってこさせればよかったんだ。そうすれば尻がすーすーしないですむ。わたしにとっての気遣いとういのは、単にサイズが合うか合わないか、風邪を引きやしないか、ただそれだけのことだっていうのは、説明しなくても通じておいでだよね?


「金魚屋。ちょっと、こっち側に回っておいでよ。そこで可愛い尻ばかり眺めてたってなんにも出てきやしないよ」


 尻よりも、目だよ。目玉。そっちの方が珍しいのだから、早く見るべきだ。金魚屋は「好きで眺めてるわけじゃねえって」と回り込んできた。


「しっかりとその細い目で見てごらん」


「細いは余計だよ。気にしてんのに。どれどれ?」


 金魚屋は、ゴミ箱の上に立って、服をまくり上げたプフの前で覗き込む。すぐに「うわっ! 本当だ! 腹に目玉が付いてるじゃないか!」と、わたしが求める反応をよこしてきた。


「プフ、お前、相当に変わってるぜ。これ、本物か? なんだって腹なんかに目玉が付いてんだよ。ははっ。変わってるなあ」


 金魚屋にからかわれたのが癪に障ったのか、プフは「ぷふー」と膨れて腹を隠してしまった。それから「きんぎょやはいやだわ」と言ってマルセロの腕付きランタンを振り上げた。金魚屋はさっと身を引いて距離を取ったけれど「そうそう! 俺は金魚屋だよ。プフー」と、名前を呼ばれて嬉しそうだ。その反応が、さらにプフの機嫌を斜めにした。子どもの機嫌が傾くと、実際にどうなるかというと、頬が限界まで膨らむほか、よく回る腕でもって不満を表現するのだ。今回、まわったのは自分の腕ではなくてマルセロの腕の方だった。


 マルセロの腕が金魚屋の脛をしたたかに打った。


 声にならない悲鳴を上げた金魚屋をふたりして笑ってやる。


 プフ、よくやったよ。最初のひと振り、横に薙ぎ払ったあれはフェイントだね? 金魚屋は、プフの動きに反応して体をひねって一撃目を避けたまでは良かったのだけれど、ゴミ箱の上からプフがジャンプして来るとは思わなかったようだ。右足の上に着地され、その上で何度もジャンプされて踏みつけられた挙句に、マルセロの腕でもって、脛を打ち据えられたのだ。これが生身の腕だから良かったものの、ランタンの方だったら、ちょっと想像すらしたくない程痛かったろう。プフは「してやったり」と実際に口に出してにたりと笑顔を浮かべた。


「プフ。危ないって言ってんだろうが。俺のランタン大事に扱えよな」


 金魚屋は大人びた態度を取り繕って言ったけれど、脛への一撃は大分と痛かったらしくて、片目から涙が一筋こぼれているし、まるで尿を我慢しているかのように、もじもじと両足を動かしている。


「ぷふの、ぷふっつ。りんほふのひーなのー!」


 もっと悔しがって痛がって欲しかったという様子のプフは、今度はマルセロの腕の方を掴んで振りあげた。ぶうん、とランタンが空中を切り「ひゃあ! あぶねえってば!」と、金魚屋が大慌てでそれを避ける。うんうん、とプフは納得がいった様子で頷いた。しかし、マルセロの腕付きランタンというは凶器だね。腕の方ならそれなりに痛いだけで済むかもしれないけれど、ランタンの方が当たれば、ちょっと、想像するだけで相当に酷い目に遭いそうだ。そんな物をやみくもに振り回されて、金魚屋が怪我をするのは構いやしないけど、わたしにまでとばっちりが及んでも損なのでここら辺でやめさせなければ。


「こらこら。すぐにじゃれあうんじゃないよ、ふたりとも。仲良しなのはよくわかったからさ」


「じゃれてねえよ」


「じゃれてねーよ」


「仲良くねえよ」


「なかよく、ねーよ。なかよくしてよ?」


「仲良く、するのか?」


「してよ。あそぼうよ」


「ようし」


「おいおい。金魚屋。ようし、じゃないだろうよ。お前さんがそんなだから、いつまで経っても家に辿り着きやしないんだ。遊ぶのは後にしとくれよ。それから、プフ。お前さんも金魚屋をからかって遊ぶのはよしとくれ。特に、そいつを振り回すのは、もうやめにしておくれ」


 わたしはふたりをたしなめると、プフが持っているマルセロの腕付きランタンに注意を引かせる。


「プフ。そいつは大事なものさ。だから、振り回したりしないで大切に抱えて持っていておくれ」


「これ、だいじ?」


「ああ、大事さ。なにせ、そいつはマルセロのちょん切れた腕だからね。そいつを病院に届けてやったら、ひょっとすると、くっつくかもしれない。そうなったらマルセロはうんと喜ぶだろうよ。でも、くっつけた時にあちこちあざが出来てたり骨が折れてたりしたら? くっついた後で痛い痛いって泣くかもしれないね」


 ちょん切れた腕というのも、神経が生きているのだろうか? そもそも。この腕は生きているのか、死んでいるのか。だいたい、くっつくっていうのも想像が難しい。トカゲっぽいひとの体は特殊だ。


「そういうことね。じゃあ、こっちを」プフはマルセロの腕の方を抱えると「ぐるんぐるんすることにする」と、ランタンを回転させる。


「やみつきになるおもしろさ」


「悪い顔してるよ、プフ。マルセロの腕を大事にしてくれるのは嬉しいけどね、ランタンの方をぐるんぐるん回して遊ぶのもやめておくれ」


「ぷふー。ようたもやってみればわかるたのしさ」


「ヨタだよ。猫はそんなもの振り回して遊んだりしない。それに、いいかい、プフ。お前さんがそいつを振り回して、もしもわたしの頭にでも当ったりしたらえらいことだよ。トマトみたいに潰れちまう」


「げえ。それはたいへん」


「だろう? ランタンの方が潰れたってかまいやしない。接着剤で付ければ元通りさ。でも、わたしの頭はそうはいかないからね」


「ランタンだってそうはいかねえよ。接着剤なんかでくっつけたって、魔法道具はなおったりしない」


「横やりを入れるんじゃないよ、金魚屋。それから、いまはわたしの頭の話だよ」


「睨むなって。俺のランタンと、それからヨタの頭、どっちも接着剤では治らない。そう補足してやったのさ」


「細くするのはお前さんの目だけで十分さ」


 金魚屋は「ひでえ」と、目を細めた。「プフ。ヨタが怪我すると困るだろう? ヨタの頭がトマトになっちまったら俺も悲しいぜ。それに、俺のランタンがごみくずになっちまったら、俺は泣くぜ。だから、な。とにかくどっちも大切にして、振り回すのは止めにしてくれ」


「えー。わかった」


「わかった、な? ぶつけたりしないでくれよ。うん? あっ! ああっ! よく見たらガラスにひび入ってんじゃねえか!」


「ぷふっつりんほふのひー」


「だから、なんだよ、その言葉はよ。なになにのひーだよ」


「ぷふっつりんほふのひー!」


「分かんねえって。あ、こら。あんまり力入れて抱き締めるなよ。割れちゃったら、お前だって怪我するんだぜ」


「めるどるん。どっどこどーん」


「める、どるん? 新しいな、おい」


「うるさいよ、金魚屋。黙ってなさい」


「俺だけ?」


「うるさいよ、金魚屋」


 わたしは牙だけ剥いて見せた。


「分かったよ。黙るよ。怖いよ」


「うるさいよ、金魚屋」


「はいはい」


「それから、プフ」


「なにー? ようた」


「ヨタ、だよ。ヨウタじゃない」


「ようた」


「はあ。プフ、ふくれっ面のお嬢さん。お前さんが金魚屋に腹を立てるのも分かるけど、マルセロの腕も、ランタンの方も、どっちも大事なものなんだし、振り回したりしていたら、いつか誰かが怪我をすることになっちまう。だから、とにかく、そんな物騒な物はもう振り回したりしないでおくれよ。分かったね?」


 プフには優しい調子で諭す。


「ぷふー」


 プフは膨れてから、マルセロの腕とランタンとを両手で抱き締めると、尻をふりふりと左右に揺らした。多分、分かってくれたサインなのだろう。


「さて、それじゃあ。もう一度、腹の目を見せておくれよ。なんだか、変な気がわたしもするのさ。金魚屋が言う変と、わたしの変は訳が違うよ。わたしのは、ちゃあんと考えがあって変だって言ってんだからね」


「わかった。かゆいから、みてみてみて」


 プフはシャツの裾を持って一気にめくりあげた。


 目玉がある。


 おへそとみぞおちの中間くらいの位置に。それは、さっきも見ておかしいな、と思ったよ。でも、おかしいところは他にもあった。


「ほら、変だよ」


 目っていうのは、たいていが瞼とセットになっているものさ。猫や人間、亜人の目には瞼が必要だ。無ければ困るからさ。見たくないものを見ないために、生理的には、目玉が乾いてしまわないように、瞼ってものは備わっている。


 でも、腹の目玉には瞼がついていないんだ。


 目玉、ただ、それだけがそこにくっついているんだ


 変だよ。


「なるほど、確かにこれは変だな。瞼がついてない」


 少しも黙っていられやしない金魚屋が、自分の顎に手をやって呟いた。わたしと目があったので、そらす。


「ここ、かゆい」


 プフは腹を右手でめくりあげたまま、目玉の周りを左手でかきむしった。すると、かきむしられた皮膚に引っ張られて、目玉が脇腹の方に移動した。


「ひゃあ! おいおい、目玉が動いたぜ」


 びっくりした金魚屋が声を上げ、目玉が動いた方向へ、プフの正面から脇の方へと移動する。それから「おお! 動いてる! 目玉が動いてるぜ!」と背中の方まで回り込むと、俺こそが面白いものを発見したぞ、そんなような顔をプフの頭の上から覗かせた。


   §

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