第十一話「何時ドキドキ」(3)

 (3)


 ふう、と一息つく。


 たった時間を聞くだけのことに、手間は取ったし、肝もひんやりさせたけれど、我ながら口が達者で良かったと思う。この町では魔物に襲われることをいの一番に気を付けなくちゃいけないけれど、たまたま声を掛けたりすれ違ったりしたやつらが暴漢だったり強盗だったり、まともな神経の持ち主でなかった、なんてことはざらなのだ。歩いているだけでも、命の危険が差し迫っちゃいないか、十分に目を配り鼻を利かせて足を動かさなくちゃあいけない。


 さて、けれど。


 気だけは焦ってきた。


 もうすぐ十時だって?


 昼を過ぎていないのが救いだけれど、こりゃあ、まずいね。昨夜からすれば一晩を過ごした訳で、家を出てからとなると、なんてこった、まる一日以上経ってしまっているじゃないか。


 家に帰ったら、同居人の小言を聞かなくちゃいけない。小言で済まされれば、まだましだけど、大事になっていそうで気が滅入る。


「朝帰りは、朝まで」


 我が家のルールさ。


 ただし、決めたのは家主のわたしではなくて、居候である同居人の方さ。おかしい話だと思わないかい? おかしい話をしていいのは、話し屋ヨタだけさ。


 わたしの稼業というのは飲み屋や飯屋、酒場でもって、お客さんに面白い話を聞かせてやることだ。


 朝でも昼でも街中をぶらぶらと、しかし注意深く歩きまわって、美味しそうなにおいがする料理がテーブルに並んでいたならば、そこにひょいと飛び乗って話を始めるのだけども、昼間は結構ハズレだったりする。なぜかって聞かれると話は単純さ。ランチタイムをのんびり過ごそうってやつは案外と少ないのさ。


 昼間の客というのは大概が気ぜわしくていけない。お茶で飯を流し込むくらいなら、酒でやれば良いものを。そうして酔っ払ってしまって、仕事だとかなんだとかはほったらかして、わたしの話を聞けばいいのさ。でも、わたしと違って、みんな日銭を稼いで生きていかなくちゃいけないからね。仕方が無いことだよ。


 したがって、なんとか定食とか、あれこれセットとか、そういう物を召し上がってる連中には、わたしの話を聞く気も時間も無いので、メインで営業するのは夜となる。


 一日が終わり、今日も命があって良かったなあ、稼ぎもあって良かったなあ、こういう気分の時にやるのが正解なのだ。


 夕方近くなったら、今晩は何を食べようか考える。あの店はあれが美味かったね、あっちのはそれが美味かったね。店の看板メニューを思い浮かべながら街を練り歩き、夜のとばりが降りる前には目当ての店の前まで行って「お邪魔するよ」と、暖簾をくぐって中に飛び込むのさ。そうしたら、そこで一晩、明かす。夜は不死者が出て危ないからね。否が応でも、そいつらが消え去るまで時を過ごさなくちゃいけない。朝まではうんと長いことだし、途中で腹も減ってくる訳だから、いくつかのテーブルを回って話をしてやったり、逆に、旅行者や住人達の話を聞かせてもらって、次のヨタ話のアイディアを練ったりする。そうして、夜が明けたなら、足早に帰宅して、同居人の布団に潜りこむのさ。


「おはようさん」


 眠たげに起き出してきた同居人に挨拶をしたら、そのまま、わたしは同居人が温めた布団の中でぐっすりと眠る。


 こういう営みを毎日続けている。


「朝帰りは、朝まで」


 朝になったら家に居ること。


 そんな当たり前の規則が家主のわたしと居候である同居人との間で取り決めた、いや、一方的に取り決められてしまった、家庭のルールってやつなのだ。


 これを破ると非常に面倒くさい。


 どう面倒くさいかというと。


「大変だ! ヨタ! プフが水たまりに落ちた!」


 子どもが水たまりに落ちるくらい面倒くさい。


「やめとくれよ」


 声の方に目を向けると、路地の先から、頭から足の先までびしょ濡れになった子どもの手を引いて、金魚屋が戻ってくるところだった。


「子どもの面倒くらいしっかりと見てもらいたいもんだね」


 わたしは、出来の悪い息子に対して母親が言い聞かすような、でも、実の子でも育ての子でもなく、まったくの赤の他人であって、更には大のおとなであるので、声の中にとてもとてもうんざりとした気持ちを込めて非難をした。


 しかし、わたしの気持ちは金魚屋には伝わらず「だってえ」と、子どもみたいな返事をするばかりだった。


 わたし達が歩んでいる路地が冷たく硬い石畳でなければ、そして、その上にごみくずや小動物の死骸が落ちていて、虹色に光る油だったり、臭いにおいがする泡水あわみずだったり、そういう生活排水で薄汚れていなければ、そこに正座をさせて、子どもを預かる大人の責任ってやつをこんこんと説教してやっただろう。


 でも、お優しいわたしはそんなことはしない。


 そんなことをしたって、この暖簾に腕押し男には響きやしないし聞く耳もありやしないと、はなっから諦めているからでは決してない。


 ましてや、叱るのがひどく面倒くさくて億劫だなんてこれっぽっちも思っちゃいない。


 水たまりに落ちた当の本人が、歯の抜けた口を大きく開けて楽しそうに笑うばかりで、怪我をした様子も無いから良しとするまでなのだ。そういうことにしておくのさ。


「だってじゃないよ」


 ため息ひとつつき「一緒になってはしゃいでいるからこういう始末になるんだよ」と、続けた。


「だってさ。こいつ、俺のランタンを振り回しながら走るもんだからよ。これって、えっと、鉄? 銀? 素材は知らないけどよ、見た目通りに結構重たいんだぜ。だからさ、遠心力で、ぴょーんってね」


 金魚屋は腕をぐるぐる回した後、ジャンプした。


 プフの短い腕は、それはそれは、勢いよく回ることだろう。


 子どもってのは、どんな種族のやつだって、腕の回転というのがえらく速いもんさ。そうして腕を振り回しておかなくちゃ、話すことも、駆け回ることも、呼吸することもできないんじゃないかと思うほどに、いつだって腕をぐるんぐるんと振り回している。特に、手に棒きれや玩具や、トカゲっぽいひとの千切れた腕や、それが掴んで離さない古ぼけていて重そうな見た目のランタンなんかを持っていた日には、まるでそれが子どもに与えられた特権だと言わんばかりに、やたらめったら振りかざしてくる。そういう生き物なのさ。


 プフの小さく軽い体は、勢いがついた重たいランタンに引っ張られてすっ飛んでいってしまったのだろう。目に浮かぶよ。さらに、着地地点になった場所が、たまたま、いや、いくつもある水たまりのうちのひとつだったに過ぎないのさ。


 見てごらんよ。


 この汚らしい路地を。


 舗装はでこぼこだし、端っこに彫られた溝からは、深さが足りないせいか掃除が行き届いていないせいか、排水があふれてしまっている。この町の道というのは広いのから狭いのまで、全てにおいて、いい加減に作られている。まあ、修理をしたって、そばから魔物やら番犬やら札付き達が壊してしまうのだから仕方ないことだけど。あふれた排水がそこかしこに水たまりを作っていて、わんぱくな子どもが飛び込んでくるのを待ち構えているのだ。


 そんな悪路でプフと一緒になって走り回っていた金魚屋も、元から薄汚れていたところに、さらに飛び散った泥やら何やらを着物の裾にいっぱいつけて帰って来たのだから、子どもをふたりも連れて歩くというのはそれだけで気が滅入ってしまう。


 こめかみのあたりが痛くなってきたよ。人間みたいに指で押さえてやりたいけれど、爪が刺さって痛いだけなのでやめておこう。


 わたしは「おや?」と、気が付いた。


 プフが両手で額を押さえているではないか。お前の頭なの痛さは、わたしと違って心労からくるものではないだろう?


「おいおい。こぶでも出来たんじゃないのかい? 金魚屋。お前さんがちゃんと見てやらないからだよ」


 プフの小さい手が押さえている部分、指の隙間から見えたのだけど、ぽっこりと膨らんでいるようだった。


「転んだ拍子におでこをぶつけたんじゃないのかい?」


 魔物ゼリーから出て来た時も床とたいそう仲良くしていたじゃないか。子どもの手はよく回るけれど、脚の方は鈍く、いつ何時でももつれるように、準備は出来上がっている。それに、こんな舗装がしっかりとしていない路地に子どもなんて放てば、そこら中に張り巡らされた罠にたやすくはまってしまうのは当然のことだ。とにかく、子どもと一緒にはしゃいでいた面倒見の悪い金魚屋のせいで、プフは怪我をしてしまったのさ。


「そうなのか? 頭打ったのか? 見せてみろよ」


 金魚屋が心配そうな顔で手を伸ばすと、プフはひょいとかがんですり抜けた。


「やめてー! きゃー!」


 プフは叫び、びちゃびちゃと、わたしのところまで走って逃げて来た。


「なんで逃げるんだよ」


 それを金魚屋が追いかけてくる。。


「やめとくれよ、わたしの周りで駆けまわるのは。水が散って汚いじゃないか。よそでおやり、って、お前達は聞きやしないね。もおっ」


 わたしは手近なゴミ箱の上にジャンプすると、きしきしと壊れそうな音を立てて動いている室外機を経由して、その辺の軒先へと避難する。わたしは犬でもないし、おとななのだから、子どもたちの追いかけっこになんか参加してやらないよ。


「ちょっと見るだけだから、おい、待って」


「ぶつけてないからー! こぶじゃないからー!」


「うわっ! ランタンを振り回すなよ。当たったら滅茶苦茶痛いぜ」


「うーやー! じゃあ、こっち」


「いやいや! カナヘビ野郎の腕の方を振り回したって同じことだよ。気色悪いってば」


「きゃはは!」


 ぐるぐると、お互いがお互いを追いかけまわす。いつプフの足はこんがらがり、でこぼこにけつまづき、顔面を打って鼻血を垂れ出すんじゃなかろうかと心配したけれど「さあ! 捕まえたぞ」と、怪我をする前に金魚屋によって抱きかかえられた。プフは足をバタバタさせて抵抗をしたけど空中を駆けただけだった。


「ほら。見せてみろよ」


 金魚屋がプフの額に手を伸ばす。


 プフにはまだまだ暴れまわる力は十分に残っていただろうけど、観念したのか、はたまた、金魚屋の優し気でゆっくりとした口調に騙されてしまったのか「ぶつけてないからあ」と、弱々しい声を出すと、その腕の中で力を抜いて自ら額を差し出した。


 金魚屋の手が魔物ゼリーでベタベタになったプフの髪の毛を掻き分ける。プフは金魚屋の顔を上目遣いで見ながら「むずむずするの」と、変なことを言った。


「痛くなくて、むずむずするのか?」


「うん」


「そうか。うん? なんじゃこりゃ」


 金魚屋は首を傾げた。


 プフの頭に角が生えかかっていた。


   ◆

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