第十一話「何時ドキドキ」(2)

 (2)


 パンフレットの生地だけど、一考の余地がありそうだね。メガラテの時もそう思ったのだけど、虫っぽいひと達の手にかかれば、すぐにズタボロになる。薄いせいもあるけど、そもそも材質が安物なのも問題だろう。観光ガイドを買うのは観光客だけなのだから、もっと分厚い上質紙にして、もっと金を巻き上げてやればいいんだ。


 でも、そうか。観光ガイドを持っているとなると、この男は、十中八九、旅行者ということになる。宿屋に泊まっていて、飯でも食いにふらりと外に出たところを、わたしが声をかけたんじゃないのかい? 男が出て来た路地の方角に、みすぼらしい宿屋があったはずだよ。


 ははん。あたりだな。


 だから、ジャンパーに半ズボンだなんてへんてこな恰好をしているのだね。その辺で飯を済まそうと思って軽装で出掛けたに違いないね。そういうちぐはぐなファッションが若いやつの間で流行っているのかと思っちまったよ。


「本当にいるんだな、喋る猫なんて」


 蝉頭は観光ガイドをくるくると丸めると、ぽんぽんと手で叩きながら、有名猫であるわたしのことを観察する。


「あいにくとサインはしてやれないよ。手が不自由なもんでね」


「手が不自由、ね。ははは。違いねえな」


「いまは急いでいるから話はしてやれないから許しとくれ。しかし、お前さん。見た所、旅行者なのだろう? しばらくこの町に滞在するつもりなのかい?」


「明日には発つつもりだよ。本当はもうちょっといるつもりだったんだけどな。この町は、聞いてた以上に危なっかしいから、やばいわ。夕べも魔物が出たしよ」


「ああ、知ってる」


 危ないことも、魔物が出たことも、ね。


 ひょっとして、その魔物ってのはわたし達三人を丸飲みにしたやつじゃないのかい? 魔物の姿かたちを尋ねてみれば分かることだけど、聞いたところで、魔物はゼリーに姿を変えてしまったことだし、わたし達もみんな無事なのだから、これ以上話を横道にやって時間を費やすのは勿体ない。


「それは残念だ。この町は、やたらと物騒なところ以外には楽しさ満点の町なんだけどね。でも、命あっての物種だ。出て行くと決めたんなら早い方がいいよ」


「そうするよ。ところで、お前の話ってやつは、昼はやらないのか? 人気なんだろう?」


「たまには昼もやるけどね、だいたいは夜がメインさ。そんなにわたしの話が聞きたいのかい? なんなら特別に、お前さんの為に短めのやつをひとつ話してやっても構わないけど、そいつは、やめておいた方がいいだろうよ」


「どうして?」


「簡単なことさ。わたしの話を聞いたら、また明日も聞きたくなっちまう。そうなると明後日も聞かなくちゃすまなくなる。お前さんは旅を続けるのを止めて、この町の住人になっちまうよ」


「ははは。なるほどな。そうかそうか。それは残念だわ」蝉頭は笑って、丸めたガイドを広げた「この町も、あちこち見て回って、あといくつかだったのにな」ページをめくって、こちらに見せた。メガラテと一緒に確認した町の案内図のページだった。見たところ、行ったところに赤ペンで丸をつけてあるようだ。見かけによらずまめなやつだね。


「代わりと言っちゃあなんだけど、わたしが美味い飯屋を紹介してやるよ。小腹が空いたから、飯屋を探しに出掛ける所だったんじゃないのかい?」


「その通りだ。腹ペコなんだ。よく分かったな」


「その恰好を見たら誰だって分かるさ。でも、いけないね。ポケットに財布なんて入れて出歩いちゃあ。簡単にすられちまうよ」


 ジャンパーのポケットが両側とも膨らんでいることをわたしは注意深く観察していたのだ。片方がパンフレットなら、もう片方には財布が入っているっていのが相場だろう。


「財布? いや、こっちのはこれだよ」


 蝉頭はポケットから黒い塊を取り出した。


 膨らみの正体はピストルだった。一本指でも構えるのが容易くて、十分に狙いすませてから簡単に引き金を引ける、そんな形をしていた。


 なんてこった、そっちが本命だったのかい。


 わたしは頭を振った。頭蓋骨の中で、からんからん、とすっかりしぼんでしまった脳みそが音を立てたような気がした。駄目だね、ヨタ。お前さんの脳みそは、睡眠不足のせいで豆粒みたいに縮んでしまった様子だよ。


「金目の物は、ちゃんと体の中に隠してるよ。きしし」


 蝉頭は渇いた笑い声を立てた。


 なるほど、お前さん達には別のポケットがあったね。わたしは納得した。虫っぽいひと達特有の、節々が山ほどある体であれば、衣服のポケットなんかをあてにしなくたって物を出し入れできる自前のポケットには不自由しないだろう。


「そりゃあ良い心がけだ。大事なものは肌身離さず持っていないとね。さあ、いつまでもそんな物騒な物を見せ付けていないで、ジャンパーのポケットにでも、体のポケットでもいいからさ、とっととしまっておくれよ」


「きしし。手ぶらで出歩いてると思ったか?」


「わたしには、そんな肩が凝りそうな重たい物なんか持ち歩く趣味は無いからね。皆そうだと思っちまうのさ」


「不用心だな」


「わたしにはこいつが四本もついているからね。そんなもの持ってちゃ、逃げる時に重たくて、邪魔になってしかたないよ」


 前足一本見せ付けてやった。


「そりゃそうか」


「お前さんこそ、飛んで逃げりゃいいじゃないか」


「残念ながら、俺のはねは飾りみたいなもんだからな。飛べないんだよ。せいぜいジャンプして逃げるくらいさ」


 だから、そんな、背中が開きもしない、人間や亜人が着ているような普通のジャンパーなんて着て歩いているんだね。メガラテもそうだったけど、虫っぽいひと達は体の構造が世間様よりよっぽど変わっているから、それに似合うような服を着るのが常だった。翅があるなら、翅を広げる時に邪魔にならないような造りのジャンパーを着なければならない。普通のやつなら、いざ翅を広げようったってそうはいかないからね。翅が退化してしまっているのなら最初から広げる必要もないってわけだ。


「で、こいつの出番だよ。この町にやって来る前にわざわざ新しいの買ったんだ。ほれ、こっちにも」


 腰に回した手の内に、もう一丁ピストルが現れる。おやまあ、どこから出したんだい? まったく用意が良いね。


「十分に備えてることは分かったよ」


「実は、もう一丁隠し持ってんだ」


「やれやれ。新品を買って嬉しいんだろうけど、見せびらかしたいからって相手が悪いよ。猫のわたしに、鉄砲の良し悪しなんて分かりゃしない」


「オートマチックなんだぜ? まあ、でも、そりゃそうだな。猫に銃なんて必要ないもんな」


 蝉頭は、わたしのことを頭から尻尾の先まで品定めをした。メガラテとは違って複眼では無かったけれど、同じようにどこに焦点があっているのかわからない。


「わたしからひとつ忠告しといてやるよ」


 レディの体をなめ回すように見ちゃあいけない。男ってやつは、誰も彼も、品が無い生き物なんだから。まあ、それは口から出さないとして「鉄砲なんか持ってたって油断出来ない町だからね。危ないな、と思ったら、さっさとジャンプなりなんなりして逃げるのがきちってもんだよ。命が惜しけりゃ、すぐに逃げるんだよ」と、忠告してやった。


「ふむ。まあ、そうだな。昨日見た魔物なんか、あいつは気持ち悪かったけど、こんな銃でどうにかなりそうな相手じゃ無かったしな。肝に銘じとくよ」


 蝉頭は鉄砲を懐の中、体の中に納めた。ちらり、と他にも物騒な武器がいくつか収納されているのが見えた。ジャンパーの内側は、相当にポケットが多いらしい。


 ひとまず、これで安心して話が出来る。


「ところで、そうさ。時間だよ。わたしは時間を訪ねたかったのさ。お前さんが腕に巻いている、その高級そうなやつで時間を教えてくれると、ありがたいのだけどね」


 とっとと時間を聞き出して、先を急がねばならない。


「朝のうちなら魚の身や出汁がたっぷり入った雑炊屋を紹介出来るし、昼に近いのなら最近出来た評判のラーメン屋を紹介してやるよ。あそこはチャーシューがとろとろで美味いんだ。餃子も美味い。どちらを紹介してやるにしたって、開店時間を回ってなくちゃあ、無駄足になっちまうだろう?」


「そうだったな。時間が知りてえんだったな。ええと、いまは十時、の十分前だ」


 蝉っぽいひとは腕時計の針を読んでくれた。


 九時五十分。そうなると、酒場で二時間か、三時間か過ごしたことになるのだろうか。色々あってあっという間に時間が過ぎ去ったように感じたけれど、結構な時間を過ごしてしまったらしい。でも、昼になってないのは幸いだろう。


「そりゃあ、また、中途半端な時間だね」


「そうなんだよ。朝のうちから開いてる店もあったけど、どれもいまひとつでな。それに、昨日は遅くまで飲んじまってよ。起きたらこんな時間だし。頭痛いし」


 蝉っぽいひとは、極端に短い首を回しながら、コキコキ、パキパキと音を鳴らして、額(わたしのよりも狭そうだ)に手を当てた。


「飲みすぎちまったんだね、お前さん。それなら、うん、そうだね。この場所から一番近いところで、この時間に開いている店と言えば、うん、そうだ、蕎麦屋がある。温かい蕎麦でもすすっておいで。あそこは、出汁の昆布をけちって薄いつゆだけど、飲んだ翌日なら丁度良いだろうよ。腹も温まって良い」


「蕎麦、ねえ」


 蝉頭は観光ガイドを開く。残念。そこには載っていない、掲載料をケチっている部類の店なのだ。


「お前さんの、そのストローみたいな口でも食べやすいだろう? もうひとつ先の路地を曲がって、階段ひとつと、坂道を下っていくんだ。そうしたら右側にうす汚い暖簾のれんが掛かった店がある。中でオケラみたいな顔したやつが蕎麦を湯がいてる」


 オケラ? いや、コオロギっだったかもしれないけれど。


「そうだ。間違ってもコオロギみたいな顔の方のに入っちゃいけないよ。手前にあるのがコオロギで、奥が、オケラだ。両方とも蕎麦屋だけど、コオロギの方、あそこの蕎麦は見た目は蕎麦だけど、あれは灰をまぶしたうどんだね、きっと。色ばっかりは灰色だけど、ぱさぱさしてるし砂利付くんだ。不味いったらありゃしない」


 あれ? 待てよ。


 手前がコオロギで、奥がオケラだったかな?


 どっちも茶色い殻を被ったやつで、店だって同じくらい汚いから見分けがつきやしないんだ。「まあ、お前さんだったら、どっちがオケラの蕎麦屋か、見分けるのなんて簡単だろうよ」と付け加えた。


「オケラ。ああ、ベランジェ族だな。あいつら蕎麦好きだったな。ふむ。蕎麦か。確かに、俺はまだ酒が抜けきってねえからな。蕎麦、良いな。よし、そこに行ってみようか。ありがとうよ」


「こちらこそ、時間が分かって良かったよ。道中気を付けて」


「そっちもな、話し屋の猫ちゃん。俺もお前の話とやらを聞いてみたかったぜ。じゃあな」


 蝉っぽいひとは、コツコツと足音を鳴らしながら路地を折れて消えて行った。オケラ、コオロギ、ええと、カマドウマだったかもしれない。


   §

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