エピソード2

第十一話

第十一話「何時ドキドキ」(1)

 エピソード 2


 第十一話


(1)


 店から出ると、すっかりと日が昇っていた。


 路地裏(と言っても、この町はどこもかしこも路地だらけなので、裏も表もありやしないのだけど)にも日差しが差し込んでいるので、お昼に近いかもしれない。夜明けに目覚めてから、随分と酒場で時間を費やしたのは確かだ。


「ちょいとおにいさん。良い所に来た。今、何時なんどきだい?」


 横道から出て来た、せみっぽい顔をした男に声を掛けてみる。蝉頭は、きょきょろと辺りを見回してから、ようやく、軒先に居るわたしの姿を見付けた。わたしは雨どいに前足を掛けて身を乗り出すと、軽く会釈をする。


「高い所から失礼するよ」


「うわっ。猫が喋った!」


 ふむ。


 この蝉頭は前にどこかの酒場で話をやった時に見かけた蝉頭と思ったのだけど、どうやら違う蝉頭だったらしい。虫っぽいひと達の顔は区別がつかないからいけないよ。


 わたしを見上げた蝉っぽい男は、文字通り、眼の色を変えた。見付けた時は黒色だった両の目が、喋る猫を見たとたんに赤色に染まった。虫っぽいひと達は硬い皮膚の下に表情筋は無いというのに、この男は、表情以外の方法で感情を表にちゃあんと出すタイプのようだ。


 警戒されてしまった。


 正確な時間が知りたいだけなので、他に声を掛けても良いのだけど、あいにくとこの路地にはわたし達の他にはこちらさんしか歩いていない。それに、一度話しかけてしまったのだから、途中でやめるなんて話し屋のわたしのすることじゃない。後ろの方、やや下の方から「せみだー。みんみんみーん」と幼い子どもの声がしてもだ。


「駄目だぜ。プフ。見た目がまるで昆虫でも虫呼ばわりしちゃいけないんだぜ。失礼じゃないか。ちなみにあいつはミンミンゼミじゃなくて、アブラゼミだよ」


 得意げな声の調子で、起こってもいない火事に油を撒こうとしている、そんな、とにかく記憶する力に難がある男の声がしても、くじけてはいけない。


 わたしは、男の方をきっとにらみつける。男は口を押えて、小さな女の子の背中に隠れた。更に持っていた鞄を盾にする。


「かくれんぼ、だー」


 女の子は、男の背中の方にするりと回り込む。


「おおっ。やるかー」


 きゃっきゃ、きゃっきゃと、ふたりで遊び始めた。かくれんぼなのか、鬼ごっこなのか。狭い路地を駆けまわる。金魚屋とプフは、精神年齢が同じなのか、妙に馬が合った。そのせいで、カタツムリくらいの速度で歩かされる羽目に陥っており、いつまで経っても我が家に辿り着けずにいる。


 両方とも、目に付く物の全てを珍しがって、あれはどうだ、これはなんだと尋ねてくるし、あっちへふらふら、こっちへふらふら、我が家のある方向には向かっちゃいるけれど、随分と遠回りをさせられていた。


 先に説明をしておくけれど、「プフ」というのは女の子の仮の名前だ。


 この子は金魚屋と違って記憶が無い訳じゃないけれど、幼いせいか、金魚屋がそうであるように、時々と会話にならない時がある。


 道すがら何度か名前を聞いたのだけど「ぷふーぷふー。ぷふっつりんほふのひー」とよく分からない発言を繰り返しながら、マルセロの腕付きランタンを振り回すだけだったので、適当に名付けた。


 わたしが、じゃないよ。


 金魚屋が、だ。


 わたしだったら、もっとセンスの良い名前を付けてやるところさ。


 お馬鹿ちゃんとか、とんちんかんちゃんとか、ね。


 わたしの脳みそがいい加減になっていることはさておいて。


 プフは金魚屋によく懐いていて、金魚屋の方も、ああ見えて子ども好きである様子なので、ふたりは道中仲良くやっている。


 それならば、道中にいくつもあった安宿屋の適当なやつにふたりとも押し込んでしまっても、まったく問題なんて無かったんじゃないだろうか? 宿屋の連中も、仲の良い親子だと勘違いしてくれたかもしれない。


 今更そんな考えを思い付いてみたって手遅れさ。


 この先の家までの道中には、これ以上回り道さえしなければ、宿屋なんて無いことだし、わたしが金魚屋という魔法道具屋と、魔物の胃袋に納まっていた小さい女の子と、このふたりともに興味を持ってしまっているのだからね。別れるつもりなんて、もはや無くなってしまっているのだから。


「お前さんは、初めてかい? 喋る猫を見たのは」


 今は金魚屋とプフは放っておいて、こちらさん、蝉頭の相手をしてやらなければあらない。話しかけたのに待たせておいちゃあ悪い。それに、無駄に不信感を強められてしまってもいけないからね。


 蝉っぽいひとは、わたしと、金魚屋、プフとを交互に見比べてから、わたしに向かって「なんだお前ら?」と尋ねながら、一本しか備わっていない指をジャンパーのポケットに入れた。


 ポケットからクッキーでも出してくれるのかな?


 今は菓子よりも、もっと腹に溜まる物が良いね。


 たとえば、おにぎり。具はたらこ。


 そんなことを真剣に考えながら、内心焦る。


 こいつは、拳銃なのかナイフなのか、到底硬くて食べられやしない得物をいつでも取り出せるようにしているのさ。


 面倒なやつに声を掛けちまったようだね。


 でも、これで、この蝉っぽい男から、わたしは是が非でも時間を聞き出さなくちゃいけなくなった。


 でないと、ポケットの中の物騒ななにがしかの相手をしなくちゃいけなくなる。


 わたしひとりだったなら、だあっと駆け出して逃げるまでだ。飛んで追いかけてこられたりしたって、この辺りの路地は入り組んでいるからね。細い隙間に入ってしまえば逃げおおせるのは容易いだろう。


 でも、連れの方はそうはいかない。


 やたら足が遅い裸足の女の子と、それを楽しそうに追い詰める汚らしい毒きのこと、このふたりを連れ立って逃げたとしたって、すぐに捕まるか、後ろからズドン、もしくは、ザクリ、とやられて終いさ。


「こらこら。俺のランタンを振り回すなって。何べんも言ってんじゃねえか。どこかにぶつけて壊れたらどうしてくれるんだよ」


「きゃはははは。どっどこどーん」


 緊迫した状況に、無邪気な笑い声が割って入る。


 はあ、もう。どうせなら、いつでも逃げ出せるように、もっと遠くの方で遊んどくれよ。わたしは心の中で溜息をつくと、軒先からすとんと地面に降り立った。とにかく蝉頭の注意はわたしの方に向かせておかないと。目線が上の相手には本能的に警戒してしまうものさ。こんな状況ならば多少危険になっても同じ道の上で話し合った方が良い。


 なに、猫一匹、飛び込めそうな場所は見付けている。いざとなったらそこに逃げ込めばいい。そうなったら、あとのふたりは、まあ、頑張ってもらう他無いだろうけど。


 わたしは無警戒を装って、すとすと、と蝉っぽい男のそばまで歩いて行く。


 蝉っぽい男は、半歩、後ずさりした。


 おやおや。


 これは良い反応じゃないか。


 訳の分からない相手を前に対して、前のめりになるやつはいけない。


 そいつは、何かあったらやってやるぞ、っていう姿勢さ。腕に多少の自信があるやつさ。そういうやつは、鉛の弾をぶっ放したり、いきなり切りつけて来る危ない思考のやつだから気を付けなくちゃいけない。


 でも、後ろに下がろうとするのは良いよ。危なくなったとたん逃げ出そうって腹だからね。


 こいつは後者だ。


 びびりだ。


 なら、話し合いは楽に進むだろう。


「待ちなよ、おにいさん。お前さんが相手にしているのは、正真正銘の喋る猫さ。虎でも豹でも無いから安心おしよ」


 わたしは尻を地面につけると、猫の仕草でもって、後ろ足で耳の付け根を掻いてみせた。汚い粉が舞う。


「ははん。さてはお前が話し屋ってやつだな」


 なんだい、なんだい。随分と早くわたしを安心させてくれたじゃないか。多少なりともわたしのことを知ってくれているのなら、話し屋としてはやりやすい限りさ。


「そうさ、話し屋ヨタさ。お前さんの、その、どこに付いているのか分からない耳にも、わたしの名前は届いていたかい?」


 蝉っぽい男の、ほとんど黒色に戻った赤茶色の目を見つめて軽口を叩く。


「ほら、こいつで見たんだよ」


 男はポケットから、拳銃やナイフの代わりに、丸めた紙の束を取り出した。


 カンジン町観光ガイドだ。


   §

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